ひとつ提案なんだけど、と切り出したなまえの声がやけに緊張しているように感じたものだから、傑はなんとなく背筋をのばした。
「わたし、一人で別のところに住もうかなと思ってて」
「……」
「ちゃんと聞いてね? 美々子と菜々子、あんまり手がかからなくなってきたでしょ。あと、傑の身の回りの世話もしたがるようになったし、離れたほうがいいかなって思ってさ」
「それは……」
「傑を手伝いたいのに、邪魔でしょ?」
そんなことはないと断言できなかったのは、なんとなく予想がつくからだった。怪我が治り、きちんと食べて体が大きくなり、傑となまえと過ごしていくなかで、美々子と菜々子はふつうの女の子のように成長した。それは傑の願うところだったが、想像以上に慕ってくれるようになっていた。
下がっていた視線を上げたがなまえは傑のことを見ておらず、伸びた爪を撫でたりしていた。
「拠点が増えるのは悪いことじゃないと思ったからわたしなりに考えたんだけど、だめかな? 当たり前だけど手続きとかは自分でやるし、仕事もきちんとやるよ。傑、最近一人になる時間が減っただろうし、連絡くれれば部屋空けるから」
こちらへ引き込んだときに考えていたものとは別の種類の、寂しい、良くない思いをさせていることに今更気づいてしまって、傑の胸は痛んだ。
良いとも駄目だとも言わず黙った傑を不思議に思い、なまえは目線を上げる。
「場所とかは傑の言うとおりにするよ。使いやすいところ……うわっ!」
突然グイ! と手を引っ張られ、なまえはバランスを失った。体が傑の腕の中におさまり、きつく抱きしめられる。
「ごめん」
「え? いやこっちこそ急にごめん」
「謝らなくていい……私が悪い」
「悪くないよ。あの子たちが傑のこと大好きなのは当たり前だし変わらないよ、それ以外知らないんだから」
「……」
「好きな人の近くにいる女がいやなのは、それは、そうでしょ? わたしだっていやだ。でもそれが原因で傑が困るのはもっといや。傑の邪魔はしない」
だからわたしが離れる。
心臓を遠慮なく掴まれたような気分だった。なまえは傑の体に腕を回しはしなかったが、離せと抵抗することもなく、傑は遠慮せずに抱きしめた。身体中に心音が響いている。
それからしばらく、ドタドタと二人分の足音が聞こえてくるまで傑となまえはくっついていた。言葉は一切なかったが、ギリギリになってなまえが「離して」と体の間に腕を挟んできて、離れざるを得なかった。
夏油様、と二人の声が飛んでくると同時になまえは部屋から出て行く。傑は動けなかった。
210322