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 朝からさんざん行きたくない行きたくないと渋られそれでもなんとか仕事に行かせたはずなのに、昼にもならない時間に帰ってこられてなまえは吠えた。
「何してんの!?」
「ちょっと出かけない?」
「はあ!?」
 なにがなんだかわからない。クザンの後ろにはいつもの自転車があった。大声を無視して顔を近づけ、なまえが化粧をしていること、きちんと着替えてパジャマじゃないことを確認してから、クザンはなまえの小さな体をヒョイと持ち上げた。なまえはもう、暴れる気にもならなかった。
「デートしよう」
「クザン、仕事は?」
「置いてきた。ほら行こう」
「クザン」
 話にならない。遅刻したうえに早退なんて、もう最悪だ。仕事のことはわからないがこんなにだらけていていいのだろうか? 早退ならまだ良いほうで、絶対にサボりなことをなまえは聞かなくても分かっていた。絶対に。なまえはクザンのことをよく知っている。持ち上げられたせいでずいぶん高くなった目線で、痛む頭をおさえた。そのあいだにも景色はどんどん変わっていく。たくさんの海兵に不思議そうに見つめられながら、ふたりは海を渡る。パキパキと海が凍る音、自転車の音。なまえは落ちないようクザンの腹にまわした腕にギュッと力を込めた。止める者は誰もいない。



 クザンの前にはホットコーヒー、なまえの前には巨大なパフェがある。クザンの背中は笑いで震えていた。
「ちょっと、電伝虫持ってない? 撮りたい。パフェが大きすぎてなまえが見えないの本当面白い」
「あるわけないでしょ。手ぶらで来させられたんだから」
「買ってきていい?」
「こんな大きいパフェひとりで食べてる人だと思われるの嫌だ」
「でもひとりで食べるでしょ」
 その言葉にキッとなまえがにらむと、クザンは口の端をつり上げた。クザンは甘いものを好んで食べたりしない。甘いものが好物なのはなまえのほうで、だからクザンはこんなに大きなパフェを頼んだ。そしてそれをなまえが食べるのはあたりまえだった。こんなものは朝飯前だと知っていながらクザンが勝手に注文したのだ。でもなんて言われる筋合いはない。言いたい文句はいくらでもあったはずなのに、もう、なまえはなにに怒っていいのかわからなかった。せっかく作ったパフェが溶けて崩れてしまうのは嫌だと、すこしとろけたアイスをすくって口に入れる。途端につめたいものがいっぱいに広がり、なまえは目を見開いた。
「美味いか」
「うん……」
「そりゃ良かった」
 良いけど、良くない! とキレようとしてやめる。クザンが自分を見つめる目がとんでもなくやさしかったからだ。それからはふたりとも、だまって飲んだり食べたりした。たまになまえはクザンにスプーンを向けて食べさせた。クザンは目立つ。見た目も、その正体も。店に入った直後こそ、まわりの客からひそひそとなにかを言われていたが、時間さえ経てばそれも無くなっていった。
 細長い器の底のそこ、チョコレートソースとフレークがからんだところまで余すことなく食べ終えて、なまえは大きく息を吐いた。紙ナプキンて口元を拭く。かわらずクザンはなまえを見つめている。
「これからなにするの」
「なにしたい? 帰りたいは駄目ね。夜になったら帰るし」
「夜の海はきらいだから夕方に帰りたい」
「じゃあそれで。買い物でもする? 欲しいものは?」
「ん〜……」
 そう言われても、夕飯の買い物くらいしかなかった。でもそれがクザンの求める答えではないことは分かっている。かなりながい時間、なまえは悩んだ。クザンのコーヒーは三杯目、なまえの紅茶は二杯目だった。トイレには行きたい、と思った。
「思いつかないから歩きたい」
 クザンはにっと笑い、それからなまえの手をとって立ち上がった。

 夕方、ふたりは海辺にいた。なまえの胸元には、朝にはなかったネックレスが光っている。
「そろそろ帰ろうか」
「クザン」
「ん?」
「今度はどのくらい行くの」
「だいぶ長いかな」
 なまえの怒りはすっかりおさまっていた。パフェを食べてネックレスを買ってもらったからではなく、単に気持ちが落ち着いただけだった。サボってばかりなことを、いつもなまえはクザンに叱る。でもわざわざクザンがなまえを連れ出すのは、理由があるからなのだ。それをすっかり忘れてしまっていた。なまえのすこし前を歩いていたクザンが、振り返って手をさしだす。握ると、ひやりとした。
「連絡してよ」
「はあ?」
「最低限しかしてくれないでしょ」
「クザンにいわれたくない」
「今回はほんと、長いのよ。多分。まあ、しなくてもいいけど、たまに部下よこすからそれはきちんと会ってね。あと食べて」
 すっかり顔見知りになったクザンの部下を思い出し、なまえは変な顔をした。ゆるりと太い指が細いのに絡んで、手の甲をすり、と撫でた。ひとりになることにはもう慣れた。自分の夫がそういう人で、そういう職種であることは理解している。さみしいという気持ちがだいぶ薄くなってきているのはかなしい気もする。でも仕方のないことだった。
「若い子と遊ばないでよ」
「じゅうぶん若い女の子嫁にもらってるから、もうしないよ」
「そうですか」
「ネックレスみておれのこと思い出して」
「そこまでさみしくならない」
「あらそう」
「つめたい?」
「つめたさならおれのほうが上でしょうよ」
 パキパキとちいさな音をたてて触れているほうの手のひらの表面だけが氷になったので、なまえは思わず手をひっこめた。そういうことではないとなまえはクザンを見上げたが、夕日で逆光になっていてどんな顔をしているのかわからなかった。ぬれた自分の手をみつめる。次に手をつないでもらえるのはいつになるのだろうと思った。声は聞こうと思えばいつでも聞けるが、さわることはかなわないのだ。どうして忘れていたのだろう。朝から怒ってしまったのが、いまさら申し訳なくなった。
 夕日に照らされながらくるくると変わるなまえの表情に、クザンはしずかに笑みを浮かべる。氷をひきまた手をさしだすと、なまえはいちど視線をおとしてから握った。
「……朝、怒ってごめんなさい」
「いいえ。おれも悪かった」
 ぐっと屈み、クザンはなまえの頬にひとつキスをした。ぱちりと目があい、数秒見つめたあと今度はなまえがクザンの頬にキスをする。昼から放置していた自転車が、ようやく向こうがわに見えてきた。明日からなのか明後日からなのかはわからないが、しばらくクザンはいなくなる。特別なことではないのだが、なまえは、なんとなく今回だけ、いつもよりさみしく感じた。この気持ちを伝えたほうがいいのか伝えないほうがいいのか、迷う。ちり、と鳴った自転車のベルが波のはざまに消えていくのを感じながら、なまえはまた昼とおなじように腹にまわした腕に力をこめた。



200129