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 部屋には医療機器がたくさんあり、そのどれもが人間につながっていた。それと、ピピピとしずかな音がいくつか。アルコールのにおいが充満していたから、閉じようとしていた扉をエースは少しだけ開けておくことにした。

「オヤジ」
「ここに居る」
「…………」
「邪魔だから連れて行け」

 部屋の中央でどっかりと座っている白ひげの、おおきな膝に寄りかかって髪を乱しているなまえは規則正しく呼吸で肩を上下させていた。それを見たエースは怒鳴りそうになったが、起こすかも、という気持ちのほうが先行し口をつぐむ。いつものことだ。彼はたいがい、彼女に甘い。

「飲み過ぎだろ! オヤジも止めてくれよ」
「娘との晩酌は止められねェなァ。グラララ……」

 とんでもない酒豪の父に付き合える息子がそうそういないことをエースは知っていた。たいてい、それなりに強いなまえが付き合っている。飲むより食べるほうが好きな自分は、父に付き合うことができない。なまえが行く先々で酒を買い込み、それの荷物持ちとして自分が駆り出されるのも父と飲みたいからという理由だということは分かっている。が、やはり飲み過ぎるのは無視できない。毎日飲むわけではないにしろ、飲み始めたら止まらないし止める人間はエースのほかにはいない。だれに頼まれたわけでもないが、エースにはなんとなく、責任があった。
 いくら強くても酔い潰れるときはある。これだけ飲んで潰れても、瓶を転がしたりせずきちんとまとめているのがなまえの良さだ。白ひげは手を伸ばしてなまえの頭を雑に撫でてから、ほそい体を掴んで放り投げる。エースはそれを難なくキャッチし、なまえの顔をのぞき込んで眉を下げた。頬をピンクにしてすやすやと気持ちよく眠っているのを見ると、怒る気もなくなる。これも、毎回のことだ。空瓶は朝取りに来るということと、寝る前の挨拶を済ませてからモビーの長い廊下を歩いていく。夜風がふたりのあつい肌を撫でていった。

「おいなまえ」
「ん〜」
「寝る前にトイレ行くぞ」
「ん……」
「寝んな!」

 漏らしたいのかと言いそうになった。
 散々迷って自分の部屋に連れ帰ることにした。トイレは行きたくなったら勝手に行くだろう。ベッドに下ろし、服のボタンをいくつかはずして、タオルケットをかける。ふうと一息つくと、もぞもぞと緩慢な動きでなまえが動いてベッドに座っていたエースの腕を引っ張った。振り向くと、ぼんやりした顔のなまえ。

「……父さんは?」
「まだ飲んでる。明日空き瓶拾ってこいよ」
「うん……へへへ、だいぶ飲んだ……」
「飲み過ぎだって」
「わかってるけど父さんと飲みたいの」

 なまえは父との時間をなによりも大切にしている。だからエースもあまり強く言えない。ズルズルと尻をベッドから床に下ろして、顔を近づける。酒のにおい。なまえは近くなった顔に満足そうにわらい、エースのそばかすに唇をよせた。くすぐったいと身を引きそうになるが、ここで引くともう寝てしまう気がして我慢した。酒くさいのも我慢。彼女と付き合うにはとにかく我慢がたいせつだということを、エースはこれまでに散々学習している。ちゅっと音を立てるキスに心臓はうるさい。酔っているときは抱かないと決めているのに、酔ったなまえはふだんよりスキンシップが多いのが、エースにはつらかった。

「エース」
「ん?」
「いつもごめんね」

 そう言ってなまえは自身の顔を隠すようにして、エースの首に腕をまわして抱きついた。なまえは、酒を飲んで回収してもらうたびにエースに謝罪する。それが飲みすぎてごめんなのか、酒くさくてごめんなのか、回収させてごめんなのか、また別のなにかなのか。くわしく聞いたことはないが、エースはなんとなく予想がついていた。言葉にするようなことではないと思っているから、わざわざ追求したりはしない。さっき聞いた、機器の無機質な音が頭を横切る。謝ることなんてなにもない。いつか必ずきてしまう未来を認めたくないのは自分のほうな気がした。なまえはそれを認めているから、酒を理由に父と過ごし、島で酒を買うのだと勝手に思う。
 ほそい腕を解いてエースもベッドに入る。なまえが開けたスペースに横たわり、タオルケットを分け腕枕をした。ぱちぱちとなまえはまばたきをして、エースを見つめた。

「めずらしい」
「たまにはな。暑いって言ってもやめねェぞ」
「暑いよ」
「やめない」
「やめなくていい……、ん、んっ……、ぁ、えーす……っ」

 なにか言いそうだったのをくちづけることで消した。なまえの口のなかはあつくて、なじみの桃の味がした。これを味わうと、いつもエースは頭がくらくらして、しびれてしまう。このお酒がいちばん好きだけど、父さんは甘ったるくてダメだって。そう言っていたのはいつだったか。代わりになまえは父の好む辛口の酒が苦手だ。ちゅうと舌を吸って、歯をていねいになぞって。「エースのキスはねっとりしててなんかヤダ」まあまあ傷つくようなことを言われたこともあったが、本気で拒絶されたことがないから、エースはずっと同じようなキスをしている。すぐに胸を手のひらで押され、口を離した。糸が引くのを見せつけるように尖らせた舌を出す。それを見たなまえが、眉を寄せて自らの手でその銀色を切ったものだから、エースは声に出してわらった。



「これ女に人気の酒か?」
「おう、桃味でうまいぞ。ピンクでかわいいだろ? プレゼントにはぴったりよ」

 おちついた雰囲気の店のわりには店主がにぎやかで、そのちぐはぐさにエースはひっそりと笑う。それくれよ、と食い逃げのおかげで中身の減ってないポケットの中の金を出した。ありがとよという言葉とともにエースの手にやってきたのは、頼んでもないのにかわいく包装されたものだった。食い逃げ犯だと大騒ぎになっている街をスルスルと抜け、海の見える崖に腰を下ろす。その下の海面ではストライカーが揺らめいていた。数分前にほどこされた、エースには似合わない包装をやぶき蓋を開けて勢いよく飲む。知った味で驚いた。ピンク色で桃味となんとなく覚えていたが、まさかビンゴだとは。でも、今日はくらくらしないししびれもしない。たしかになまえの好きな桃。瓶の中でとろりと震えるそれを見つめた。

「……」

 なまえに会いたい。だがこの旅にはとてもおおきな理由があった。このひろい海を逆走するほどのおおきな理由が。終わるまでは絶対帰らないことを彼女に説明して、納得してもらった。いつになるかは分からないがきちんと、父の、なまえのもとに戻ってくると約束した。涙でぬれた瞳に心が揺れなかったと言ったら嘘になるが、伝える前からなまえは待ってると言ってくれると確信していた。だから、寂しいとか会いたいとか、そういうのは考えないようにしていた。そのはずだったのに、あれだけ飲みすぎるなと言った酒ひとつで、こんなにも胸がくるしくなる。

 戻るときはこれを土産にしよう。「このお酒、おぼえてたの?」となまえは目を丸くするしれない。荷物持ちはするがわざわざ中身までは覚えたりしなかったから。そうだと笑ったらうれしいと言ってくれるだろうか。辛口のものもどこかで買おう。父は驚かないだろうが、「飲めねェくせに買ったのか」と馬鹿にはされるかもしれない。ふたつ持ってふたりのもとに行って、一緒に飲む。そのときは、飯を食うのは我慢。飲んで、潰れたなまえを回収して、またキスができたら、そのときのくちづけはくらくらして、しびれるのだろう。エースの目がしずかに揺らめいたが、本人はそれに気づいていない。
 もう思いだすのはやめる。中身の残った瓶を置いて、エースは真下の海のストライカーに飛び降りた。足がめらめらと燃えると、船は波をきって進みはじめる。いつのまにか向こうの空から夜が伸びてきていて、こんなに時間が経っていたのかとエースは驚いた。なまえのこと、家族のことを想う時間が無駄だと言い切るつもりはないが、足を止めている暇はない。それに、逆走するのならやりたいこともあった。エースのポケットの中には一枚の手配書がねむっている。

 エースは、酒を土産に戻れないことを、キスどころかもう二度となまえに会えもしないことを、このときはまだ知らない。崖に置いて行かれた中身が半分になった瓶が風にあおられて割れたことも知らないまま、海を割って、行った。



200118 企画提出