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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -



「結婚ラッシュだなあ。流行りでもあんのかね」

 その言葉に相澤は顔をあげた。目の前のグラスはとっくに空になっていて手持ち無沙汰だったから、いつもなら無視するのに今回だけは反応した。隣を見ると、顔を赤くしてスマホを見ている同期がいた。芸能人の結婚発表の見出しが横からでもすぐにわかった。くだらないと視線をもどす。一気に酔いがさめてしまって、相澤は面倒になっていた。店員がやってきて、頼んだ酒を空のグラスと交換していく。すぐに一口飲んだ。

「学生のころはこの年齢になったら結婚してると思ってたぜ。今となってはそんな余裕もないけどよ。なあイレイザー」
「知らん」
「お前らのこと、ずっと見てられると思ってたんだけどなあ」

 無意識にタブーとされていた話題にはじめて触れられ、相澤は目を見開く。グラスを持った手に力が入ったが、それは怒りからではなかった。山田の目には涙が溜まっていて、気づいてもうまい返事ができず相澤は黙り込んだ。山田がだいぶ酔っていることに気づき深くため息をつく。酔いがさめてしまった自分に苛立った。


 学生時代相澤には恋人がいた。同じヒーロー科の女だ。蹴りの戦闘が得意で、女にしては高い身長とすらりと伸びた手足、やたらと白い肌が印象的でだった。いくら背が高くても成長期を終えた相澤には勝てず、何故だか気分が良かったのを思い出す。抱きしめるととてもやわらかくて、それが好きで二人きりになるといつも相澤は影でハグを求めた。毎日互いに生傷が絶えず、疲れた中で一緒に帰る時間が癒しだった時期もあった。相澤もあの頃は若かった。
 なんだかんだ上手くいっていた。みょうじなまえという女が、ヒーローが、心から好きだった。向こうもそうだろうと勝手に思っていて、相澤は知らないが実際そうだった。クラスメイトに見守られ、たまにからかわれるのが鬱陶しいこともあったが、嫌いではなかった。二人の、静かでやわらかな時間がいつまでも続くと信じていた。しかしそれは許されないことだった。
「残念な知らせがある。みょうじが亡くなった」
 いつかの朝のホームルームを相澤は一生忘れられないだろう。なまえが事故で亡くなったと担任は絞り出すように口にした。静かにざわつく教室が何故か他人事のようで、なにも考えられなくなった。二つ向こうのなまえの席が今日はいつまでも空いていることに、今更気がついた。いつもなら早く教室に来ていて、おはようという声かけがあるはずだったのにそれがなかった。隣の席だった山田が声をかけて肩を強く揺さぶるまで、相澤は少しだって動けなかった。葬儀は身内のみで執り行うと聞かされたら、もう自分にできることは何もない。二人が付き合っていることを知っているのはクラスメイトくらいで、言わなくていいだろうと相澤は親にも言ってなくて、なまえもそうかもしれなかった。まだ学生の自分はただの級友でしかないのだ。
 死が隣り合わせにある場所にいるという自覚はしていたはずなのに、こうも一瞬で日常がなかったことになると、どうしたらいいのか分からなかった。しかし生活は待ってくれない。時間が過ぎれば、なまえのことは思い出さなくなった。それが良いことなのかどうかは、やっぱり分からないままだ。相澤は卒業し、プロヒーローになり、教師を務めるようになった。



 十年以上になる。姿を見ていないから死んだと確信はできないと考えていた時期もあったが、教えてもらっていた家に別の家族が住んでいることを知ってからは、なんとなく心に染みついたような気がした。もうなまえはいないのだ。
 先日同期に欠けたところを触れられてからというもの、相澤の頭に浮かぶのはなまえのことばかりだ。自分はとうの昔に戦闘スタイルを確立し、ヒーロースーツも最終決定から殆ど変わらず、母校では生徒ではなく教師として過ごしている。それなのに記憶の中のなまえは、蹴りばかりでは良くないといつまでも戦闘スタイルを決めかね、製作会社やサポート科にスーツの相談をし、生徒のまま、過ごしていた。

 その日相澤は教師としての仕事は休みで、パトロールをしていた。雄英高校の教師は基本、普通のプロヒーローとしての活動が強制されることはない。しかしどこかから要請を受けたり、希望すれば活動も可能になる。最近は考えなくてもいいことばかりを思い浮かべてしまい、一人になると爆発しそうだったから活動を希望した。確かに体は疲れているはずなのに、眠れないのだ。それなら動いていた方がマシだった。

「痛っ……」

 人の通りが少ない道のそばにある低いビルの上に相澤は立っていた。なにか良からぬことは、だいたい影から起こるものだ。上がった声に反応し地上を見ると、女性が一人転んでいた。そばには杖が転がっていて、足が悪いことが分かり相澤は飛び降りた。

「大丈夫ですか」

 声をかけてもすぐに立ち上がらない女性を不思議に思わなかったわけではないが、杖を持ち、左の腕がなく服の袖が肩からストンと落ちているのを見て相澤はひとり納得した。びくりと揺れた体に自分はヒーローだということを告げて安心させようと思ったが、彼女が安心するようすはなく、動きが止まる。変に思いながらも相澤が免許を見せようとしたら、彼女は慌ててショルダーバッグからマスクを取り出して装着した。

「あ、歩けます。大丈夫」

 相澤は耳を疑った。
 女性が杖を掴み急いで立ち上がる。ロングスカートについた目立つ汚れも払わず、帽子を深くかぶりなおして歩き出す姿に相澤は言いようのない焦りを覚えて思わずその肩を掴んだ。再度体を揺らしたが、彼女がそれ以上歩くことはない。カタカタと震えているように見えた。

「なまえ……?」

 ひどくかすれた呼びかけだったが、彼女はしっかり聞こえていたようですぐに俯いた。同じ方向を見ているから相澤には彼女がどんな表情をしているのか分からない。
 顔や性格は覚えていても、声は思い出せなかった。ここ最近はずっとなまえのことばかりを考えていたが、それでも声だけは、思い出せなかった。人を忘れるのは声からだとどこかで聞いたことがある。しかし今の声で相澤はハッキリとわかってしまった。目の前にいる彼女があのなまえだと。高校生のときに死んだはずの恋人だと。心臓が今までにないほどうるさくなっていた。

「人違いだと思いますよ。助けてくれてありがとうございます、それでは」
「待て! なまえ……なまえだろう?」
「違います。離して」
「離さない」
「離して!!」

 体全部を振って、彼女は相澤の手を振りほどく。次の瞬間には相澤の横腹に軽い蹴りが入っていて、力こそ強くないものの油断していた相澤はよろめいた。こんなこと、自分がなまえだと大声で叫んでいるようなものだ。相澤はこの蹴りを何度も食らったことがある。しかし利き足は右のはずだ。今の蹴りは左足だった。先程歩き出したときに引きずっていたのは、右だった。
 彼女は蹴りに耐えきれず尻餅をついた。肩で息をして、片腕で這って相澤から距離を取る。体重が乗った腕はプルプルと震えた。相澤は体勢を戻し、なまえを見下ろし目を合わせた。帽子とマスクの間から見える瞳は、涙を限界まで溜めていた。         


 他人の“個性”発現の瞬間に、偶然巻き込まれてしまった。いわゆる“個性”事故だ。腕と足が潰れ、すぐに大きな病院で手術を受けなければならなかった。結果腕がなくなり、杖がないと歩けない状況になってしまいこれではとてもじゃないがヒーローなんて夢のまた夢であり、なにより心がぽっきりと折れてしまった。だから学校は辞めた。死んだことにしてもらった。家族で引っ越して、退院後高校は通いなおした。今日は具合の悪い祖父の見舞いに来ていた。知り合いと会いたくなくて人の少ない道を選んだが、まさかピンポイントで相澤と出くわすとは思っていなかった。


 というようなことをまとまらないままなまえは相澤に話した。二人は今席の少ないカフェにいる。なまえは最後に、消太には悪いことをした、と付け加えた。

「今はもう平気だけど、あの時はすごく痛かったし、傷痕もひどくて、見てほしくなくて……。気持ちに余裕もなかった。当たり前にヒーローになれると思ってたから、ショックが大きかった」
「だから死んだことにしたのか?」
「……うん、もう戻らないつもりだったし。でも祖父母はこっちに住んでるから」

 なまえが足をさすったのを見て、相澤は謝罪した。

「足……ごめん」
「いやわたしも、蹴ってごめん。咄嗟に足が出るの、ほんと、……辞めたい。ダサいよね。結局こけてるし」

 かわいた笑いが耳に届く。記憶にあったすらりと伸びた手足はすっかり隠れて、それだけで相澤に年月を感じさせるには十分だった。
 言いたいことは当然たくさんあった。死んだことにまでしなくても良かったんじゃ、俺にだけは教えてほしかった、今は何をしているのか、俺のことは。なにより生きていてくれたことが嬉しいとか。でも、なまえのこれまでを知らない自分に、そんなこと、易々と言えるわけがなかった。
 なまえの目の前にあるコーヒーと水は、一度も手をつけられていない。長すぎる沈黙を先に破ったのはなまえだった。

「わたし……帰るね。パトロール中にごめんなさい。昔のことも、本当にごめんなさい。許してもらえるとは思ってない。でも……ごめんなさい」

 待て、待ってくれ。金をテーブルに置く小さな手を被せるように掴んだ。向けられた潤んだ瞳からは涙がこぼれて、それを見て相澤も泣きそうになった。

「もう会えないか?」
「わたしにそんな資格ない。今日もただの偶然」 
「俺が会いたいって言ったら?」
「わたしは……」
「俺のこと、嫌いになったか?」

 語尾が震えたのが情けなかったが、なまえはそれに気づいてはいなかった。唯一の手を相澤が掴んでいるからなまえは涙を拭えない。止めどなく頬を伝ってスカートに落ちていく。

「嫌いになんてなるわけない。許してもらえると思ってないのに……今、すごく嬉しくて、それがおこがましくて、最低で、嫌だ。もう、どうすればいいのか、わかんない……」

 手を引き抜き、なまえはハンカチで顔を覆った。二人分の体温と手汗で、二枚の千円札が少しよれている。なまえは悪くないと言いたくて、でもうまく声が出なかった。しゃくり上げながら泣くなまえを見ていられなくなった相澤が俯くと、目から直接涙が落ちてスーツの色が濃くなった。



200220 お題箱より(学生の時に個性事故で死んだと思っていた同級生の彼女が実は生きていて再会する話)