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- ナノ -

壊れてくれるな


「ナマエ、おはよう。洗濯ありがとうね。これから暇?」
「おはようございます、暇です。」
「船長さんにお薬持っていってもらえるかしら。」

 医療のことはまったくわからないが、父がなにか病気を患っていることは知っていた。毎日付け替えられる点滴に投薬。飲酒していない日がない気がして、それはいいのかとナマエは薬と水を抱えながらぼんやり考える。船長室の扉をノックする前に、軽く身だしなみのチェックをした。

「お父さん、お薬です。……あ。」

 ノックしても返事がなく、不思議に思いながらそっと扉を開けると、白ひげは眠っていた。毎日決まった時間に起きて仕事を始め、そして大体同じ時間に眠るナマエには、不規則な生活リズムというもの感覚がよく分からない。これはモビーディック号に乗る前からずっと同じだ。海が荒れたり、敵襲があれば嫌でも起きなければならないのは分かっている。眠れるときに眠っておく。そこに関わらないから、理解できないのだ。
 薬の時間だとナースに頼まれたから、飲んでもらわないといけない。しかし起こすのははばかられた。薬と水が乗ったトレイをテーブルに置いて、椅子をベッドの横につけて座った。体が大きいといびきも大きいらしい。
 船に乗せてもらってから、ナマエには新しいことばかりが起きている。やってもやっても終わらない洗濯、いつまで慣れないミニスカート、美味しいご飯、沢山の人、すぐに変わる天候と荒れる海。どれもこれも知らなかった。父がナマエを娘にしてくれたから経験できたことだ。船の上で生活する時間のほうがまだ圧倒的に短いのに、拾われる前の長い長い年数よりも濃い時間を過ごしていた。
 ナマエがじっと父の寝顔を見つめていると、突然目が開いた。白ひげは、本当はナマエが部屋に入ってきたときから起きていたが、それをナマエが知るはずもない。飛び上がった。

「なんだ、ナマエ。」
「わっ! ……! お、お薬の時間……です。」

 慌てて口に手を当てたナマエに白ひげは笑った。

「あァ、悪いな。」

 ナースに持たされた薬を白ひげはすべて飲んだ。体が大きいといびきも大きい、薬の量も多い。コップをナマエの持つトレイに返したあと、深く息を吐く。きちんと飲んだのを見届けたナマエは、椅子を元に戻して部屋を出ようとして、父に止められる。素直にまた椅子に戻った。

「最近は、どうだ。」
「このまえ、ナースさんたちに服をたくさんもらいました。お下がりって初めてで、楽しかったです。」
「そういえば、騒いでたな。」

 エースに服を買ってもらってそのまま船に戻ったあと、一番反応してくれたのはナースたちだった。「ほとんど新品で着てないのがたくさんあるわよ。」そう言われ、仕事が終わったあとでずっと着せ替え人形にされてしまったのだ。何度も着せては脱がされ、疲れはしたが楽しかった。見にきたエースが「お下がりもらうって手もあったなァ。」と言っていた。父はずっと、自分の話を聞いてくれている。



 あれこれ話すナマエの口は、ゆっくりではありながらも止まることはない。随分話すようになった、笑うようになった。少し顔は丸くなったが、小突けば折れそうなのは変わらない。話が終わりそうなタイミングで、白ひげがナマエの名を呼ぶ。ナマエは首を傾げた。

「胸、見せてみろ。」

 その言葉にナマエは眉を下げたが、拒みはしないのを白ひげは知っていた。上まできちんと留められているボタンをいくつか外して、両手でグイと左右に開く。先日エースも認めた多数の痣がそこにいた。手を伸ばし、指でそこに触れる。力を入れたつもりはなかったが、ナマエは一瞬だけ顔をしかめた。真白い肌に、これだけが似合わないのにいつまでも居座り、主張していた。短期間で綺麗に元に戻るようなものではない。白ひげがナマエの胸を見るのは、これで二度目だ。それでも、最初よりは薄くなっている気がした。誰かのものではあるが、傷や痣を気にすることになるとは、ここまで生きても何があるかわからないもんだなと心の中だけで笑う。なぞっていた指を離すと、ナマエは白ひげをうかがいながらボタンを留めた。

「あ、新しい傷ができないだけでも、だいぶいいんです。」
「……。」
「ナースさんに診てもらえるから、届かないところもないし……。」
「そういやァ、届かず諦めてた傷も、あったな。」

 白ひげはナマエのことを拾ったと家族に伝えていたが、実際はそうではない。小さな唇が、なにかを決意したようにきゅっと結ばれた。

「あの……お父さん。」
「どうした。」
「わたし、洗濯と掃除しかできないし、ナース服着てるのに、ナースさんの仕事はできなくて、……不満とかじゃなくて、その。」
「もっと、整理して話せ。」

 何が言いたいのかは分かっていた。これは、意地悪だ。しばらく黙ったあと、息を吸う音がした。

「どうして船に置いてくれるんですか。」

 語尾は震えていた。目線を上げると、ナマエの瞳が揺らめいているのが見える。

「お前を娘と呼ぶことが理由になってねェか?」

 涙が出て、ナマエは慌てて俯き目元を拭った。白ひげはのっそりと起き上がり、ナマエの体をその大きな手のひらで掴み、自分のベッドに乗せた。グズグスと鼻をすするナマエを壊さないように、小さな体を温めるように、手を添える。
 お父さん、ありがとう。つかえながらも述べられた礼に、白ひげが返事をすることはなかった。ナマエを昼食に誘おうと思ったエースが居場所を知らないかと船長室をたずねるまで、二人はずっとベッドの上にいた。



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