賢兄的同一性確立論
アジト内に与えられた自室へと戻ると、扉を背にして一息吐いた。
かくかくと震える手をゆっくり解くと、手の平にはべったりと血液が付着していた。
あの時と同じ、「多くの人間の血痕が付着し、未だに狂喜と言う名の興奮を抑えきれずプルプルと震える掌」だ。
一つ違う事と言えば、戦闘によって味わう事の出来た「興奮」の種類が一族の一件とは異なる、と言う事だろうか。
酸素に触れ赤黒くなったそれをもう一度固く握り締めると、赤々しく美麗な女の泣き顔が脳裏に蘇り、不甲斐なく「興奮」してしまった。
何時も俺の方が僅かに早かった。
朝目覚めるのも、敵の気配に気付くのも、夜寝入るのも――そして……。
仲の良い双子だからこそ、だろうか。
弟が次「何に」目覚めるかなんて、想像に容易かった。
こいつもきっと…いや、ほぼ間違いなく。
今までの経験から話すと、俺の後を辿るだろう。
どろどろの手を洗う事や赤黒くなった服を着替える事よりも先に俺が提案したのは、自我同一性の確立【同じに見られたくないと言う願望】。
未だ首の後ろで傷を癒す唯一無二の存在に語り掛ける。
片手には刃物――…クナイでは無く、鋏。
「……なあ左近。前髪の分け目、別々にしようぜ。」
新聞紙の上に広がる群青色の髪を眺めながら心中で独白を吐露する。
何時も俺の方が僅かに早かった。朝目覚めるのも、敵の気配に気付くのも、夜寝入るのも――そして…恋に落ちるのも。
明日の任務【この里へ来たそもそもの願望】で顔を合わせた時、弟もきっとそうなるだろう。
今日の戦闘では早々に主体を交代したのは幸か不幸か――…泣きじゃくる女の、しかも前髪の区別を付ける以前の俺達の違いを見極めているとは到底思えない。
「左近…明日も闘技場に呼び出されてるだろ。赤髪の女に謝っとけ。分かったな。」
「…?……何でだよ。」
「良いから言う通りにしろ。」
「ッたく…分かったよ。どうせ今日戦った分、兄貴は明日寝てるんだろうしなァ。」
ああ、これで。
これこそが本当の自我同一性【恋心だけは半身から離れたいと言う願望】。
弟が謝れば――…昨日の俺の(好きな人に仕向けるには余りにも)痛恨なミス【殺したかったと言う願望】は、全てこいつが被る事になる。
女の方は愚弟が襲い掛かったと勘違いして――…その為の前髪の区別でもあったんだ。
俺の後を真似て同じ女を好きになるのは構わない。
だが、女がこいつに惚れてしまうと言う二重のミスはどうしても避けたかった。
只それだけの、自我同一性【同族を盾にしてでも恋を実らせたかったと言う願望】。