白と 2





※2019年の「白と」の続きとなります※





「また、会いましたね」


桃色、白色、黄色、緑色。色とりどりな春の森の中、赤い少女がひとり佇んでいた。
気配を消してなかったために、既に此方に気付いていたらしい彼女は、睨みつけては来るものの、その瞳に敵意は見受けられない。


「こんにちは」

「……ああ」


警戒はされているものの、素直に返事を貰えて少し嬉しくなる。口元が自然とほころぶのを自覚した。茶色い双眸が、ボクの腕に通した籠を映した。


「また何か採ってんのか」


中には前回会った時にも採っていた蓬や他の葉たちに混ざり、白く細長い蕾も入れてある。蕾をひとつ摘まんで、近くの白い花に寄せる。


「スイカズラの蕾です。風通しのよい日陰で干せば、炎症や痙攣に効くんですよ」


彼女はふうん、と呟きながら、白い花をひとつ摘み、咥えた。細長く、先が二又に分かれているスイカズラは、ツツジのように甘い蜜を吸うことができる。子供が森でおやつにすることもある。


「…あんま甘くねェな」

「先に鳥や虫が蜜を持っていったのかもしれませんね」


顔をしかめて花を捨てた彼女に苦笑して、思い出す。
ああ、そうだ。ボクは彼女のことを呼んでみたかった。せっかくまた、会えたのだから。


「あなたのことを、赤色さんと呼んでもいいですか?」

「…は?赤色?」

「はい」


怪訝そうな彼女の、長い頭髪に目を向ける。


「とても鮮やかな赤毛なので。どうでしょう?」

「………」


眉根を寄せたまま自分の髪に目を遣り、ボクを見上げる彼女は、少し幼く見えた。嫌がっている感じはない。

きっと彼女も、お互いが忍ということは気付いているのだろう。だから、本名を名乗らない。名前を知らない他人であり…だからこそ、このまま、また会えるのではないかと希望を抱く。


「…ならお前は黒だな。黒髪だから黒。ウチはそう呼ぶ」

「……!!はい、赤色さん」

モノでなくてはならないボクにとって、この浮き立つような感情が必要ないことはわかっている。それでも。
本当の名前と逆の色を持つその響きは、ボクにとって彼女…赤色さんからだけに呼ばれる、特別な名前となった。




 

大蛇丸様に命じられ、少し遠くの里との文書の運搬をすること、3回目。途中通る森で、ウチは何故か毎回、とある人物と遭遇していた。

女神のような慈愛に満ちた顔立ちと、穏やかな言動。ウチを赤髪だからと「赤色さん」なんて呼ぶそいつを、黒髪だからと「黒」と呼んでいる。

そんな黒は、今回は人ほどの大きさを持つ籠の傍らで、梅拾いに勤しんでいた。


「黒」

「あ、赤色さん!こんにちは」


呼び掛ければ、嬉しそうに目を細めるそいつの身元を、名前を、ウチは知らない。
きっとこいつも忍なのだろう。そしてそれをわかっているために、身元を明かさない。味方でなくとも、せめて敵になってしまわないように。


「梅か」


青く小さな実がコロコロと地面を埋めている。梅は食用としても薬としてもと、用途が多い。


「はい。大きなものは梅干しに…こっちの未熟な実は、薬に使おうかと」


黒はそう言って、梅の実の入った風呂敷を肩に掛け、横に置かれた籠を見遣る。中には思いの外大量の実が入っており……下の方、潰れてんじゃねェのかこれ、何キロあるんだ。
思わず華奢な体躯の黒を、まじまじと見てしまった。


「……お前これ、持てんのか」


きょとり、と黒曜石のような大きな目が丸くなる。


「……ふふ」


黒の色付いた唇から、息が漏れる。それを境に、丸くなっていた目を細め、くすくすと笑い始めた。


「大丈夫ですよ、赤色さん。ボク、これでも男なんです」


男。


「…男」

「はい」


そうだとしてもその細腕は、そんな力があるようには到底見受けられない。いつもであれば貧弱だのおんな男だのと吐き出すこの口は、たった一言、そうか。と呟くだけだった。




黒と別れ、森の木々を駆けながら思う。この誰にも教えることのできない、微妙な関係を。

この秘密の邂逅はまるで小さな毒のようだと思う。会えば会うほど、小さな小さな秘密が、罪悪感が、危険が、……とても小さな、執着心に似た何かが。積もり積もって、この身をじわじわ侵食していくようで。
ああ、そうだ。これは梅の実によく似ている。食用にも薬にもなるあれは、実は毒も持っている。子供でも複数食べなければ症状が出ないような、小さな小さな毒。


黒と再会の約束をしたことがない。
また会えるだなんて希望を、確約することはできないから。

黒と別れの挨拶をしたことがない。
また会いたいなんて希望を、心の奥底で願ってしまってるのかもしれない。






色付いた葉が枯れ葉となって地面を覆う。近頃はよく冷える。もうそろそろ、秋も終わりだ。

はあ、と吐き出した息は白く、思わず雪の中の赤い少女を幻視した。まだ片手の指に届かないほどしか会ったことのない彼女とは、未だに踏み込めない、踏み込まない間柄が続いている。

森の中を歩き、目的の植物の蔓を、葉を、小刀で切って籠に入れていく。小さな黒い実が生っている部分は残す。きっと、鳥が厳しい冬を越すための糧となるだろう。

カサリ。


「赤色さん、こんにちは」


振り向けば、薄茶を背景に小柄な赤色。秋らしい色合いの中、つり目がちなその瞳がボクを映す。


「おー……黒、それは?」

「スイカズラです。量が無くなってきてしまって…春に一緒に見ましたね」


蔓と濃い緑色の葉を籠から持ち上げる。晩秋の蔓と葉は、開花間近の蕾と同じ薬効がある。

赤色さんは周りに生えているスイカズラに目を遣った。寒い空気に晒された指が、つ、と内側に丸まった葉をなぞる。


「厳しい冬を、耐え忍ぶ…だったか」

「…スイカズラの別名、ですか」

「ああ」


葉を内側に巻き込み寒さに耐える。忍冬。ニンドウ。忍の道を指し示す言葉と同音のそれを、どちらも口にはしない。


「他にも、こっちの根はワレモコウです。止血や火傷に効きます。それにこれから菊の頭花を採りに行こうかと」


話題を変える。少々あからさまだったかもしれない。内容はいつも薬草のこと。お互いを知らないようにしているので当然なのだが、正直それが寂しく思った。


「…そうか」


彼女にも、用事があるだろう。だからここで会えているのだから。
同じ想いだったらいいのに。寂しいと。離れがたいと。……そうだとしても、ボクにできることなんて無いのだけど。選択肢なんて。

ボクの予定を聞いたからか、赤色さんが木の枝に飛び乗って、何処かへ駆けていった。別れの挨拶が存在しないため、キリのいいところでいつも赤色さんが去る。
今回はいつもより話せなかったように思う。何故『忍ぶ』などと口にしたのだろう。

……会うのが最後だとしても、理解していたことだ。それに本当に最後であれば『さようなら』を言っていたのではないだろうか。
彼女の真偽はわからない。


「また、あなたに会いたいです。赤色さん」


約束はできない。さよならは嫌だ。だからせめて、森の中でひとり、希望を呟いた。






そろそろ作戦が確定するだろう。持ち帰った文書を読む主は、割りと機嫌が良さそうに見えた。


「そう……フフ。ああ、多由也、もう下がっていいわよ」

「はい」

「そのうち風の国に侵入するから、他の四人衆の子達にも伝えてきてくれるかしら」

「御意」


頭を垂れ、退室する。他の奴等を捜すために耳を澄ませ……外へと足を向けた。

殴り合う音が聞こえる。忍術の名前が聞こえる。怒号が飛び交っている。
鍛練中らしいが煩い。もっと静かにできねェのかこいつらは。


「ん?多由也か。どうした」


鬼童丸が樹に寄り掛かりながら聞いてきた。先程まで技を使っていたのか、周りには蜘蛛の糸が散らばっている。陽光を浴びてきらきら反射するそれに構わず、目の前では左近(+右近)と次郎坊が闘り合っている。どうせあのデブが負けるだろう。全然結界内に捕らえられずにいる。


「大蛇丸様から四人衆に指令だ。そのうち風の国に侵入するから、いつでも動けるようにしておけ。あのバカどもにも伝えとけ」


こいつに伝言任せて戻ろう。おう、と軽い返事をした鬼童丸に背を向けると、思い出したように声が掛かった。


「そういやお前、止血剤かなんか持ってねぇか?さっきから血が止まんなくてよ」

「知るか。そこらの蓬でも張っ付けとけ」


足は止めない。

糸がちらつく。陽の光を反射する、白い雪がちらつく。
雪の中、蓬を渡してきた優しい顔が、自然と頭に浮かんだ。黒く艶やかな髪と、慈愛が滲み出る黒い瞳が。
つきりと胸に痛みが走る。


きっともう、あの黒色に逢うことは無い。






「仕事が入った。波の国に行くぞ」

外から帰るなり、再不斬さんはそう言った。どかりと椅子に座る彼に「わかりました」と返し、お茶を入れてから出立の準備に取りかかる。
この冬、彼女とは会えていない。偶然か、それとも来ていないのか。どちらにしろ、いずれ来る別れだった。あまりにあっけないけれど。

薬部屋に入り、できあがっているものを選別しながら、袋や布に詰めていく。


蓬。これは割りと年中何処にでも生えている。手軽に手に入ってありがたい。効能は止血、殺菌、血液促進。…初めて逢った時、血を流す彼女に手渡した。目を閉じれば、まぶたの裏に銀世界が蘇る。

スイカズラ。蔓性の植物で、開花間近の蕾と晩秋の蔓、葉が薬となる。効能は抗菌、抗炎症、鎮痙作用。花を漬けた酒はまた別の薬効があるが、そちらは作っていない。別名は忍冬。…春、蜜を吸う彼女は愛らしかったな。自然と頬が緩んだ。

梅。未熟な実を燻製にしたもの。効能は止血、嘔吐、整腸、健胃、下痢。…男だと言った時のぽかんとした顔が忘れられない。「そうか」と返した彼女は、一体どんな心境だったのだろう。

目線を横にずらす。此方にあるのは、ボクが調合した毒だ。その中から、ひとつの小瓶を手に取った。

梅の毒。あれだけ大量に採ったというのに、濃縮させ、他の毒と混ぜ合わせた結果、出来たのはたったこれだけだ。
梅の実には毒がある。若ければ若いほど、小さければ小さいほど強くなる毒が…ほんの少し。
頭痛、下痢、吐き気に嘔吐。酷くなると失神、痙攣、呼吸困難を引き起こす。…このことを彼女は、知っていただろうか。知っていたからといって、どうすることもないけれど。


ボクはモノ。再不斬さんの道具。わかっている。
モノは感情を持たない。道具にそんなもの必要ない。わかっている。
不満など無い。ボクがそう望んでいるし、あの人のためなら死んだって構わない。


そうだとしても。


せめて、表に出さないようにすることで。この想いを抱いたままでいいだろうか。
鮮やかな赤い髪に。つり目がちの茶色い双眸に。『黒』と呼んでくれる声に。
たまにでいい、想いを馳せることは許されるだろうか。


きっともう、あの赤色に逢うことは無い。






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