雨中晴
ざあざあと降る雨の音をいつも通り聞き流し、ペイン天道に支えさせながら塔内を歩く。これだけ近ければ発信器もいらない。普段なら小南か多由也に支えてもらうんだが…その、彼女らも女性だ…厠に付き添わせることはできない。
体が思うように動かず、四苦八苦しながら階段を上る。天道の視界にオレがいた。ガリガリと痩け、皮と骨ばかりになったオレ。そいつがふと、こちらを向いた。オレの視界に天道…弥彦の顔が、映り込んだ。生気の無い、無機質な顔。
天道の目だとしても、実質見ているのはオレ自身に過ぎない。弥彦ではない。
もしも弥彦がいたら、今のオレを見ていたら、一体何と言われていただろう。怒られるだろうか。…悲しむ、だろうか。
「それでも、選んだ道だ」
弥彦の声が、静寂のなか、つめたく響く。
この世の中は腐り、泣いている。罪の無い人間が罪多き人間に騙され、害され、殺される。争いは無くならない。繰り返される。永遠の平和が無いのなら、せめて、一時の間だけでも平和をつくる。幾ら犠牲を払おうとも、尾獣を集め禁術を復活させ、恐怖による抑止力で一時の間だけでも争いを無くす。
それしか、方法が無いのであれば。
ようやく扉に辿り着き、二つの気配に気付いた…多由也と、小南か。扉が、開く。
「………!?」
最初に気付いたのは、鮮明な青色。次に光。この部屋はいつも薄暗いというのに、まるで、他国の昼間のような明るさだ。壁と天井一杯に敷き詰められた青色のなか、天井のど真ん中にある眩しい白球に目がくらむ。よく見ればあちこちに散らばる白い綿の塊も光っている。どうやら中に電球を仕込むことで部屋全体を明るくたらしめているようだ。
あまりの眩しさに目が慣れず、堪らず下を向けば…これまた鮮やかな緑色。床一面の緑の上に、赤、白、黄色と色とりどりの花と近くを舞っている蝶の姿を見つけて、綿を除く全てが紙であることにようやく気がついた。
「…一体どうした?」
目を細めつつ部屋内にいる気配…小南と多由也に問いかける、と。
パァン!!
突然響いた発砲音にすぐさま距離をとった。何が起こった?洗脳、成り済まし、あるいは…幻術?
暗い通路に戻り、目をしっかりと開いて前方を睨む。シルエットのように見えたのは、役目を果たしたクラッカーを持って、込み上げる笑いを堪えてる二人だった。
「…それは、」
「ふふっ…ごめんなさい、長門」
小さく吹き出しながら、小南が謝る。弥彦が死んでからは初めて見る、手放しで純粋な笑顔だ。
「ほら、アナタも…」
傍らにいる、未だこちらに視線を寄越してくれない多由也を小南が促す。うっすら赤い顔で、呟いた。
「…ウチは、そういうの…ガラじゃ、ない」
「クラッカーを持ちながら言っても説得力に欠けるわ…ほら」
「……」
四つの瞳が、こちらを向いた。
「長門…誕生日、おめでとう」
「………………………おめでとう」
「……!!」
胸の苦しさを覚えた。何か…何か、とてもあたたかなものが溢れ、全てを包み込んでくれているような、そんな感覚。
暗い暗い闇の中にいても、光の世界へ連れ出してくれるような、そんな。
「食事を持ってくるわ…お腹、空いてるでしょう?」
小南がクラッカーふたつを持って、天道の横を通り過ぎた。
気付けば、多由也がオレと天道の手を取っている。
オレはそのまま、部屋の中へと誘われた。
「あ…」
いつの間にやら用意されていたちゃぶ台に、ふと懐かしい記憶が蘇る。
先に多由也が座り、オレを見上げてくる。促されるまま隣に腰を下ろせば、ぷい、とそっぽを向いてしまった…なんでこんなに愛想が悪いんだか。
「多由也…」
口元はいつの間にか弧を描いていた。こんなにも心が穏やかなのは…オレもまた、弥彦が死んで初めてのことだろう。
一匹の紙で出来た蝶が、多由也の肩に留まった。
「多由也」
再度呼ぶと、ようやくこちらを向いてくれたその赤い仏頂面に、思わず失笑した。
「なんで…その、こんな部屋にしたんだ?」
気になっていた疑問をぶつけてみる。外からは相変わらずざあざあと聞こえているのに、この部屋は…まるで。
「…誕生日くらい、いいだろ。晴れてても」
うつ向いて、呟く。
「いちいち細かいこと気にしてんじゃねーよ、ぐるぐるヤロー」
「…オレにそんな口を利くのは、お前だけだな…多由也」
小さな頭に手を乗せる。滑らか髪質が、あたたかな体温が、人間らしさを失った掌を通じて伝わってくる。
蝶が、ひらりと舞い上がり、弥彦の近くでその羽を休めた。
「ありがとう」
心からの感謝を込めて。
オレの生誕を祝ってくれて。
ありがとう。
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