ぎゃんぎゃん喚く3メートル越えを華麗に無視していたアレクシスがペンを置いたのは漂うだけだった冷気がインクの表面を凍らせてからだ。仕事を強制的に止めさせられた形だが、怒りや憤りは一切読めない。それが更に、クザンを煽った

「くどい。」
「これで何回目っすか!」
「卿は本当によく叫ぶな。だが回数のカウントが必要ならば改めよう。今日から数える。」
「そういうんじゃねェって何度っ、」
「食事なら勤務日が重なれば必ず共にしているだろう。」
「昼はなっ!」

サインはできないが読むことはできると書類から目を離さない姿はあるっきり拒絶だ。部下に話しかけれるときも部下から話しかけられるときも余程のことがないかぎり作業を止めてくれるというのに。これでは、付き合う前より悪いではないか。この訴えも、耳にたこだろうしもういい加減口にしたくない

「・・・わかりました。帰ります。」
「そうか。」
「まだ、付き合い続けてもらえますか。」
「卿が飽きていないのならな。」

泣きそうだ。素直になればなるほど口うるさく女々しくなる自分にも、硬化していく恋人の態度にも泣きそうだ。だから早く帰って酒でも呷り寝てしまいたい
お疲れ様でしたと強めに言いながら部屋から出て行く後ろ姿を最後まで見なかった堅物は、至極真面目な男なのだ。勤務時間中に世間話に花を咲かせることも勤務を終えた部下に応えられないのも、ディナーをという誘いより職務を優先させてしまうのも性なのだから中々難しい。第一40近い男が今更変われる訳もなく変わり方もわからず、人間は変わらないと思っている節もある
だが、諦めるべきはクザンだと言い切れないのが現状だ。それでは、あまりに、クザンが哀れだからに他ならない

二人が揃って時間を合わせて出掛けたことはない。付き合い初日のチャンスはクザンが潰し、以降はアレクシスのワーカホリックまんまの日常が潰していた
トボトボと帰路につくクザンの心境も凍えた足を早く温めたいと思いながらも後少し後少しと仕事が止められないアレクシスの心境も交わらない今を、取り持つにはアレクシスに近しい人間が誰もいない。誰も、アレクシスのフルネームすら知らないのだ。クザンも例外ではない

「まだ使える、か?」

溶け始めたインクにペン先を浸し書類整理を再開する頃にはすっかり日付がかわっていた。夜勤でも当直でもない海兵はアレクシスだけであろう時間になってペンを置き、尚且つ疲れたの一言もため息の一つも出ないのだからやはりどこかおかしいのだろう

「大丈夫、まだ終わりじゃない・・・まだっ、」

クザンが今日も明日こそはと考えながらまだ大丈夫と自分に言い聞かせ眠りについた頃、ようやく帰路につけたアレクシスが遠回りだが寮に寄りクザンの部屋の前で止まって沈黙していた
数分間の沈黙の後、手入れなどしていない唇がクザンの名を形作りその場から去る。部屋の主は気づかない。やっている本人が気づかせようと思っていないのだから、当然の結果ではあった

翌日、アレクシスから見れば懲りずに食事に誘ったクザンは今日は無理だと断られぐっと詰まる。こうもハッキリ最初に断られたのは初めてで、ぐらりと揺れた体がデスクに当たりインクが昨夜仕上げた書類いくつかにかかった
慌ててビンを起こし書類を持ち上げるも何枚かは完全に作り直しを要し、デスクを拭く上司に顔を向けられない。今度こそ終わったとまだ始まってから進展していないというのに諦めた姿からは哀愁が漂い、バラバラと持たれていた書類が全て床へと散った

「卿が何をしたいのか、俺には分からん。」

書類を拾いインクに侵された書類だけを確認する姿はすっかり仕事モードで、これっぽっちも気にかけてない。次々に部下達が出勤する中部屋の空気は異常で、なんだどうしたとみんなが聞き耳をたてていた

「ちったー特別扱いしてくれたっていいでしょうや!」
「無理だ。第一何を求められているのかもわからない現状で、どこをどう特別にしろというのだ。」
「手繋ぐとか飯行くとか酒飲み行って泊まったりとか!色々あるでしょうがせめて手ェ止めて顔上げてくれりゃァおれだって」
「え、中将とクザン、付き合ってんのか?」
「いつからだ?」
「あれ、どっちか女だったか?」

口々に、部下達がこそこそと話し合う。しまったと感情的になった口を自分で塞いでみても結果は変わらず、ああやっちまったと絶望した。バレたらお終いだ、だのに気づかれるようなことを沢山口走り、と思ったら今何の言葉も浮かばず伏く
そんなクザンをちらと見て特別とはと悩んだアレクシスは、震えて拳をつくる手に触れてから手首をそっとつかんで部下達に向き直った

「一週間前からだ。隠しているつもりはなかったが、気づかなかったか?」
「いやいやいや気づかないですよ!?」
「そんな素振り欠片だってなかったじゃないですか!」
「職場では極力無私を心掛けているものでな。ろくに構ってやれないが、かわりにクザンが俺を構ってくれるよ。良い男だろう、俺の彼氏は。」
「その辺で・・・」
「クザンが可哀想なので・・・」
「クザン落ち着け部屋が凍る!」

不思議そうにクザンを見上げたアレクシスは真っ赤に染まるクザンから立ち上る冷気と潤んだ目にまた泣くのかと身構えたが、骨を折る気かと疑える強さでつかまれる、クザンの手首をつかむ自分の腕をつかむ姿にそうではなさそうかと、足を動かし張り付きだした氷を剥がす

「なん、でっ、今なんすか・・・!昨日の夜とか」
「夜は残務整理中であったが、今は業務前の準備段階だ。」
「・・・・・・アレクシス、さん。」
「どうした、クザン。」

声にならない叫びをあげへなりとしゃがみこんだクザンは、けれど手をつかんだまま声をかけようとしたアレクシスに叫びながら勢いよく立ち上がった

「わかり難いんですよあんた!!」
「そうか。」



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