同棲後


明確な時間は決めていない。だが定刻は決まっていて、自分から誘っている。だから先に待ち合わせ場所にいるのは自分でなくてはならない
それなのにと、クザンは自分の限界の速度で走っていた

「お、またせっ、しま、した!」

ぜぃぜぃと掠れた呼吸も滴る汗も、全てほったらかしで頭を下げたクザンは丁度アレクシスの後ろでcloseに変わる看板にそっとアレクシスの顔を伺う

「見ての通りだ。」
「っ、は、い。」
「店は別の場所を探そう。日を改めても構わない。」

いつも通りの無表情でいつも通りの冷めた目で、抑揚少なくい声を発したアレクシスは決断をクザンに委ねた。今日はクザンがどうしてもとお願いして節制や堅実を美徳とするアレクシスに少し高い店でディナーをと計画したのだ

「・・・、おれ、」
「今日でなければと散々言っていたな。ん?ああ、ついているぞ。」

顎と首の境目に触れた指。その位置にぞっとしたクザンは勢いよくそこを拭い、ちがう、ちがいます、と必死に首を振る
アレクシスは指先をハンカチで拭い、白いコートの袖口にある赤に目を向けた

「否定するということは、やましいことなのだと白状しているようなものだ。」
「なっ!ちがっ、これはおれが望んだんじゃ」
「ならば最初からそう言うべきであろう。経緯を話しこの時間までここで突っ立っていた俺を一言労えばそれで済んだ話だ。」
「あ、あ・・・あぅ、ちが、ほんとに、呼び出されて、そんで、ちがいます浮気じゃないすぐひっぺがしたしそれ以前に断って、だから、」

喘ぐように謝罪と理由を口にするクザンは微かに聞こえたため息に体を強ばらせ、縋るようにアレクシスを見つめる

「わかった。少し安心した。別れ話かとも、待っている間考えはしたからな。」
「は、」
「ちょうど卿に想いを告げられた日だ。今日は。だからと、少し、らしくないことをした。別れ話ならばわざわざ席を設けずとも応じるが、卿はそのような不義理を働く人物ではないことは分かっている。だから待てたのだ。」
「わか、れ・・・ばな、え、なん、そんな、わかれたく、ない、」
「そうか。何にしても今日は色々無理だろう。日を改めたほうが賢明だ。」

帰ろうとするアレクシスをふらふらと追いかけたはいいが、クザンはショーウィンドウに映るひどい顔に前を向けず唇を噛んだ

「クザン。」
「は、い、」
「そのこの世の終わりかのような顔はよしてくれ。」
「だって、アレクシスさんが、アレクシスさんがおれをっ、き、きらいにっ!」
「なっていない。落ち着いてくれ。」

呆れたようなため息に持っていた包みを近くのゴミ箱へ投げ入れたクザンは踵を返し宛もなく走り出す
アレクシスは潰れてしまった包みをゴミ箱から持ち上げ、同じだとポケットから小さな包みを取り出した。そして、そのままクザンの後を追う。アレクシスが欲しいのは言い訳でもプレゼントでもなく、これからも一緒にという同じ気持ちだけなのだから

「一緒に住むと考え方まで似るのだな。」

だから、このままではいけないとわかる。いたずらに過ぎる今がどれほど貴重かなんて、嫌でも知っていた
アレクシスはぐっと筋を伸ばし、鋭く逃げるクザンの背を見つめる。地面を押し蹴り走り出したアレクシスの体は容易くクザンに当たり、その速度に思わずクザンは足を止めた

「アレクシスさん、」
「速いだろう。肉弾戦は得意な方だったのだ。」

逃げるなと腕を掴まれたまま、クザンは目を顔ごと反らす
アレクシスは握っていた包みを見せ、訝しげにするクザンに包みを片手ずつにわけた

「俺も卿へと選んでいた。」
「・・・それ、」
「ネクタイピンだ。おれはシルバーを選んだ。」
「お、れも・・・シルバー・・・を、」
「揃いだな。貰ってくれるか。」
「い、いの?」

小さいながらも柔らかく笑ったアレクシスは震えている手のひらに包みを乗せ、貰うぞと一度は捨てられた包みを見せる

「・・・おれ、すみません・・・、また、一人で暴走しちまった・・・」
「構わない。さて、帰って休もうか。」
「でも、」
「朝から熱があるのだろう。昼にダウンしていたことは卿の上司から話を聞いている。大方ぼんやりしていて女性からのアプローチを流せなかったのだろう。」
「なんで・・・全部、」
「卿のことは割と見ている方だからな。それくらいなら分かる。」

もごもごと謝罪を口にしたクザンは片方の口端を上げて意地の悪い笑みを浮かべるアレクシスに不覚にもどきりとさせられ、告げられたらしくないセリフに顔を真っ赤にさせた

「偶の記念日だ、俺も自分の心に素直にならねばな。」
「すなお?」
「熱がある時くらいは甘えてくれていい。好いた相手の弱っている時に頼られないのでは、虚しいだけだ。」

好いた相手という言葉はどうしようもなくクザンの顔を緩ませ、まだ人の往来がある道の途中でアレクシスを抱き締める
どうしたと言いながら背を撫でてくれる手に、クザンは熱い寒い助けてと小さく小さく吐き出した

「家に帰ろう。帰ったらハーブティーを淹れるから、それだけは飲みなさい。」
「なんで、茶・・・?」
「ならば何が良い。おれの故郷では割とメジャーだったのでな。あとは、そうだなエッグノッグか?」
「・・・ハーブティーがいいです。」
「そうか。」

ぎゅうぎゅうにしがみつくように抱き締めてくるクザンはそのまま離れたがらず、アレクシスは幼子に言い聞かせるように指を絡めて手を繋ぐ
嫌われたかと思った何で今日に限ってと泣きそうに呟くクザンの頭を撫でて、アレクシスの声が優しく落ち着かせるようにクザンを呼んだ

「・・・アレクシスさん。」
「どうした。」
「帰ったら、いっぱい、名前呼んで。」
「いくらでも。」
「熱下がるまで離れないで。」
「そのつもりだ。」
「キス、してもいい?」
「こういう時くらいはしてくれくらい言わねば甘えに入らんだろうに。卿が良いのなら構わないが。」

そんなこと思いつきもしなかったし調子に乗るなの蔑まれたら一度死んだくらいでは足りないくらい落ち込むに決まっている。クザンはそんなワガママをと口を噤み、でもチャンスは今しかと口を開けてはまたつぐんだ
そうこうしているうちにあっさり家についてしまい、クザンは流れでキスを乞うことができないまま服を脱がされ寝間着を渡されてしまった

「あ、あのっ、」
「体がベタついているな。軽くシャワーを浴びてくるといい。」
「は、い。」

表情を暗くしながら頷いたクザンはバスタオルや下着を用意してくれるアレクシスに贅沢は言えねェよと自嘲して、大人しくシャワールームへ入る
アレクシスの好みのシャワールームはガラス張りの隠すものが何もない、クザンにしてみれば羞恥心を煽るだけの場所だが、アレクシスにしてみればいつ誰が侵入してきてもガラス越しに分かるので奇襲潰しには良いのだとか。クザンはシャワーを浴びながらぼんやりとガラスに手をつけ、ひんやりとするそこに肩をつける

「やべ、」

パシパシと凍っていくお湯だったものに慌ててシャワーを止めようとしたが、くらりと走っためまいにシャワーヘッドもシャンプーボトルも全部巻き込み床に崩れた
派手な衝撃音が鳴り響き、アレクシスが勢いよくサニタリールームのドアを開けシャワールームを開け放つ。クザンは力が入らないと起き上がりかけたままぐにゃぐにゃに歪む視界で必死にアレクシスを見上げた

「アレクシス、さ、」
「まずは熱を計るべきであったな。」

泡立てたスポンジが肌に触れるだけで痛みが走るほどに敏感になっている体は高熱のせいで節々が痛み、アレクシスの手が体を滑る度にピリピリとした痛みに呻く

「っ、アレクシスさ、いた、い、」
「高熱がでるとおれもなる。辛いものを食べた後の舌と同じようにならないか?ピリピリ痛み衣類の擦れも億劫になるからな、暫くは我慢するしかない。」
「ひさびさ・・・こんな悪ィの。」

爪の間まで丁寧に洗われたクザンは自分が今どれほど無防備に裸体を晒し、預けているかを理解できず、アレクシスの腕をつかみながら痛いと身を捩った

「きれいになったから、髪を乾かそう。」
「ん。」
「良い子だ。」
「アレクシスさん、つらい・・・」
「そうだな。」

子どものようにぐずるいい歳した三メートル越えを宥め賺してベッドに誘導するアレクシスはその大変さなど欠片も見せず、濃いめに淹れたカモミールティーを手に持たせ飲ませる
唸るように嫌がるのは喉がひりつくように痛むからだろう、クザンは良い子だからと促され恨めしそうにアレクシスを見ながら渋々カモミールティーを飲み干した

「朝食にはチキンスープを用意するから、取りあえず寝なさい。」
「なんで、チキンスープ・・・?」
「風邪を引いたらハーブティーにチキンスープだろう。」

さも当然だというようなアレクシスに布団を被ったクザンは唾を飲み込むのも億劫な喉を押さえ、本当に効くのだろうかと首を傾げる
アレクシスは辛そうなクザンの頭を撫で、不思議そうに見上げてくる顔にキスを一つ落とした

「っ、何、いきなり。」
「嫌か。」
「いやじゃない。」
「ならもう一回。」

柔らかく触れた唇は少しかさついていて手入れなんてされていないであろう男のものだ。なのに、触れられた唇が更に熱を上げるように胸をときめかせられる

「終いで良いか?」
「っ、キス、して。もっと、たくさん・・・。」
「仰せのままに。」
「アレクシスさんのデレが急で嬉しいのに恥ずかしいんだけど。」
「卿もそろそろ、おれのそういう面を分かったほうが良い。」
「どこがスイッチかわかんねェから。」
「嫌か。」

嫌なものか。移るくらい濃厚なのが欲しいくらいだ。ぼんやりした頭で考えながらふらつけば、アレクシスの目が優しくほそまる

「クザン。」
「何すか。」
「呼んでいるだけだ。沢山呼べと言ったではないか。なあ、クザン。」
「っ、耳元は、いい、からっ、」
「可愛いな、クザン。普段仕事をしている真面目な姿はかっこいいが、家での無防備な姿が一番愛しいよ。あまり実感が沸かぬだろうが、俺はクザンを想っているからな。」

もういいからと首に絡みついた腕はひどく熱く、けれど漂う冷気が能力の暴走を知らせたが、アレクシスは構わず厚ぼったい唇を優しく喰らった


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[mokuji]