草履はとっくの昔に使い物にならなくなった。服はよれて、枝で裂けたりしている
髪はボサボサになって、肌は垢がたまって足の裏は皮膚が擦れて血が滲むけど、あれからどのくらい歩けたのかわからない

痒い、痛い、お腹空いた・・・

短刀1つ持って山を進んで何日たったのか?ふらふらになりながらも、少しでも村から離れたくて歩いた

死体が見つかれば、弟が悲しむかもしれない。
死体さえ見つからなければ、どこで生きてると思ってくれるかもしれない。
生きるつもりはない。けれど、死ぬなら山を幾つか越えて死にたい。

「はっ、はっ・・・っ、は、ゔっ!」

足の裏に枝が刺さり、痛みで転んだ。それでも這って移動していれば、穴に落ちる
足が折れ、浅い穴からも這い出れない。ちょうどいいかと、唯一持っていた道具である短刀を鞘から出し、目をキツく瞑って振りかざした
痛みに耐えることくらいなんでもない。恐怖も、感じるには死を知らなすぎる

「・・・・・・あれ、え?」

何かが短刀を止めた。そろりと目をあければ、シワシワの手が短刀をつかんでいて、その皺の多い手からポタポタと血が足に落ちていく
目を見開いて顔をあげた僕に、老人は難しい顔を向けた。強く光る目だ、信念のある目

「・・・な、んで、」
「将来のある若い芽が己で枯れようとしている。それを見逃すには、些か問題のある職についておっての。」
「僕は、死なないと・・・いけなく、て・・・あのっ、で、ですが、ありがとうございます。」

短刀から手を離せば、老人も短刀から手を離す。僕は袂にある傷薬を老人に差し出した
祖父の知識と善法寺の外から来た父の求めるある種特効薬。染みない薬、皮膚の再生を促す薬、体温をあげて自己治癒力を促す薬、上がりすぎた体温を下げる薬。作りたい薬は多くあって精製方法も突き詰めてっていて、その内の一つ。ある程度の深い傷なら縫合しなくても治る、傷薬だ

「傷薬です。結構深い傷でも平気な調合しましたから、すぐに治りますよ。僕は今清潔ではないので、塗って差し上げることはできませんが、僕はもう使わないので差し上げます。」

こんな手で塗ったら悪化させてしまうと薬を手渡せば、老人は少し驚いたあとにそっと笑った。穏やかで落ち着く笑顔だ。弟とは全く違う、けれど嫌じゃない笑顔

「お主名は?」
「ぼ・・・くは、」

善法寺伊賀。元服の際につけれる予定だった名前。幼名もそれも、名乗るわけにはいかない僕の名前。もう呼ばれることはない名前

「善法寺家の嫡男・・・ではないかな?」
「な、・・・なんで、」
「七日ほど前からかのぉ、あちこちに人相がきが貼られておる。」
「僕は、あの家に帰るわけには行かない!帰れば、弟が、」

弟は、僕が元服の儀を終えたら殺される。その予定は、家では立場の弱さ故弟の扱いを見て見ぬ振りをし続けた父から聞かされ、僕はあの日急いで家へ戻ったのだから
僕が生きて帰れば、弟は不要になってしまう。それだけは避けなければならない

「うむ。この傷薬は沁みず塗りやすい。」
「・・・?」

にこりと、老人特有の笑顔を向けられキョトンとすれば、血の出てない方の手を差し出された
その手と老人の顔を見比べて、首を傾げながら老人を見つめる

「儂の養子として、捨てようとした人生を歩んでみようとは思わんか?」
「・・・僕は、死ぬためだけに家を出たんです。」
「善法寺としてのお主は、今ここで死んだ。これからは大川として生きなさい。」

生きなさい。

死のう、死なないと、死ぬべきだ
そう思っていた僕を溶かしてくれた老人の手を、僕は汚い手でつかんだ

「儂は大川平次渦正。お主はこれから大川伊賀として生きるんじゃ。」
「え、」
「名前は勝手につけさせてもらったが、何か希望でもあったかの?」
「いいえ!」

伊賀。
与えられる予定を捨てたその名前に、死ぬはずだった僕は笑う。どうしよう、死ぬと決めた僕は図らずも同じ名を与えられたんだ


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