最初はただ間者だと誰しも考えた。けれど白魚のような手から生える細い指が揃い綺麗に頭をさげる仕草に、ふわっと微笑み完璧なまでに食堂のおばちゃんを手伝う姿に、ふと誰かが零した

「俺、嫁もらうならあんな人がいい。」

確かにと同意の得られた発言はぱらぱらと広がり、間者をみる目から好意の目に移るまで時間はかからない
そんな時だ、女と錯覚してしまうほどに線の細い弥栄がそのそばに居始めたのは
なんだろうと不思議に思うのも、ついつい弥栄に目がいってしまう。そして噂はあっという間に広がった

「弥栄が全部の仕事を手伝わされてる。」

そこからは早かった。弥栄に気のある忍たまは、**にとられ構ってもらえなくなった鬱憤を代わる代わるその身をつかまえ苦情を言い、その弱き身に力を持って思い上がりの制裁を加える
弥栄に気のあるくノたまは、**の仕業と見せかけて食堂を荒らし事務室を荒らし用具倉庫を荒らし借り物の着物を切り刻んだ

何が何だかと先手をうって止めることもできない**に、周りは調子に乗るばかり。何もやり返せない**は変わらず笑みを浮かべて後始末に追われ、結果弥栄が仕事を先回り先回りで奪っていってしまった

「出て行かないなら、早く死んでよ。」

嘔吐発熱悪寒吐血に意識の混濁。ひゅーひゅーと息をして地面に転がる**に吐き捨てられた言葉に、**は痛みで滲む涙を溜まらせたまま口元だけに笑みを浮かべる
なんで笑うんだと叫びたくなるのをこらえ、地面に落とされた竹筒を回収してその場から逃げた忍たまは、微かに救いを求めるように傷の多くなった指先が動いたのを見過ごしてしまった

**が消えた日、忍術学園で一体どれくらいの人が身を案じただろうか。ある事務員は学園中を探し回り、ある食堂の住人は傍観していた教師にそれとなく聞き込みをし、それ以外はただ消えた事実を喜んだ
けれど自主性がと教師は傍観し、ありがとうと言われたいがために妨害し、優しいねと微笑まれたいがために暴行し、恐れるがために無視をした。その誰に誰を咎める権利があろうか?そんなもの、**にとっては皆が等しく敵でしかない

そんな彼らは何を思ったのだろう

「こいつらが勝手にやったことでっ、私が非難されるなんておかしい!」

ガリガリガリと無遠慮に爪を噛み私は悪くないと叫ぶ弥栄をみた瞬間

まるで呪縛から解かれたように弥栄の本質が見えてきたのではないだろうか
某六年の女装より下手な男装と媚びを売るような仕草。不自然に与えられた歪んだ**像ともたらされた結果

唯一罪を訴え罰を与えられる存在の消息は不明。探すべきではないという傍観者たちを振り切り、最早一寸前まで想い慕っていた彼女がどうなったかも追いやり、必死に執拗に無意味に探し続ける


謝ったという事実が欲しいがために


あっと、気づいたのは誰だったか。ある冬の穏やかな昼、小松田の泣きそうな声に反応した誰かが探し続けた**の姿を見たのだ
不意に目が合いそれはすぐになぜかそばにいた利吉と利吉の母に隠される。その利吉と**の繋がれた手を見ないふりをし、誰かが誰かを呼んだ

「あの人がいる!」

贖罪を求める者が呼応し、そして見てしまった

「山田**と、なります・・・あっ、えっと、気が早い、ですよね・・・すみません。」
「もうずっと前から、**さんは私の娘です。利吉さんと婚姻を結ぼうが、それは変わりませんよ。」

利吉は愛しいと目でよく語りながら笑みを返し、**の手を包み込むように握っている。それを真冬に春の香りがするような笑みを浮かべた**が柔らかく握り返すのを

「では、逢い引きでも行きますか。」
「合い挽き・・・はい、行きましょう。」
「またわからないまま頷きましたね。」

そんなことはと言いながら焦ったように見上げる**の額に口付けて、利吉は行きましょうと手をひく。**は微かに頬を赤らめ目を彷徨わせると、心底幸せそうに笑った
その様子を見ながら誰かが**に堕ちたとして、今更すぎること

「***、さ・・・」

誰かがぽつりと零したとして、拾われなどしない

麻薬に似た、いやもっとたちの悪い毒。向けられていないはずの笑みに好意を錯覚してしまう、**の雰囲気から仕草から脳に届く甘い毒
望んで手放した、手に入ったかもしれない毒

後悔は、後に悔いるからこその、後悔なのだ
取り戻せようが、永遠に失われようが