海の祈り


車の後部座席で呆然としていたら、知らない内に海沿いの道へと差し掛かった。
何処までも暗い。夜の海は嫌になる程真っ黒で、それでも空には見事な満月。
運転席からも「今日は満月ですね」と気の抜けた声が届く。無視したが、息子相手とは思えないくらい丁寧な口調で雑談を続ける物だから、仕方なく適当な相槌だけ打った。

「疲れたでしょう、寝てもいいですよ」

子供扱いするな。言い返したかったが、事実疲れていたので口を噤んでしまった。普段研究所に籠もっていると、データの破損に次いで直射日光が最大の敵となって来る。
脱いでいたコートを再び羽織り、ボタンは留めないまま手で前をかき合わせた。日が落ちてしまうと車の中でも肌寒い。親父は暖房を入れようとしたが、余計な音は欲しくなかったので断った。

窓に頭を凭れさせ、嫌になる程の海面を見下ろす。漁船も出ていない。周りを通る車もいない。灯りは、車のヘッドライトと月光だけだった。
昼間はあんなに晴れて、そのせいで体力が随分消耗されてしまったのに。自分の身を包む軍服も、今は影に染められ暗い青に変わっている。重苦しい視界の中、鮮やかな空色を思い起こした。

自分は戦闘機乗りじゃない。あんな死んだ方がマシな訓練を受けてまで、更に死ぬかもしれない戦闘機に乗るなんて。その気になる方が異常だ。
挙げ句、こうやってパイロットが死ぬ度に、誰も彼もが飽きずに傷付く。
軍葬が行われる中、一つ年上の新人パイロットは無表情だった。現実が受け入れられないのか、涙すら枯れたのか。隣に立つ分隊長が何度も肘で小突き、その度重たそうに顔を上げて。

(面倒臭ぇヤツ)

きっとあの感情は、同じパイロットにしか理解出来ないのだろう。ただの技術者である自分は完全に蚊帳の外だ。
アイツ等は今頃この海を見て何を考えているのだろう。祈りを、どうか藻屑となった同志が安らかであるようにと祈りを、それすら飲み込みそうな暗い海に捧げているのだろうか。

(俺は、違うから、)

戦闘機で空を飛んだことなんてない。血反吐を吐くような訓練も受けていない。死にそうになったことなんて一度もない。
だから、悲しくなる頭も、浮かぶ的外れな祈りも。全て消えてなくなるべきだ。

「アーヴァイン。おやすみなさい。疲れたんですよ、みんな」

まどろみに落ちる直前、あやすような声が聞こえた。


(海の祈り、満ちる痛み)





[ 8/20 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -