ないものねだりの贅沢者


光に音が、音に色が付いたかのような、煌びやかさの洪水。
これから自分はそこに放り込まれるのだ。自覚すればする程、アルベルトは首元のネクタイを引きちぎりたい衝動に襲われた。
もう何度も堅苦しいスーツに身を包み仰々しい高級車に揺られて来たと言うのに、何故パーティーと言う物はこうも自分の性格に馴染まないのか。

夜の街を疾走すれば、灯った光が車窓から差し込み顔の上を滑って行く。
光すら自分を嘲っているように思えて、アルベルトの顔は更に引きつった。

「情けない顔をしないで頂けますか」

隣の座席に腰掛けた男は、アルベルトを一瞥もしないまま低く呟く。
丁寧に編み込まれた金の三つ編みを肩へ流し、青みがかったグレーのスーツとベスト、明るいグリーンのアスコットタイを纏った姿からは、多くの言葉を交わさずとも気品が伝わって来た。
同じスーツと言う物に袖を通しておきながら、どうして醸し出す物に差が出るのか。
スーツ姿を「チンピラ」だの「マフィア崩れ」だの揶揄された苦い経験が思い起こされる。
アルベルトは前屈みになっていた姿勢を崩し、男と同じように深く革張りのシートへと腰掛けた。

「司令官殿と違って、こう言う場には馴染みがない物で」
「ほう。私が記憶する限り、一月に三回、三月に一回、四月に二回、六月に一回参加しているはずの第一分隊隊長がまだ慣れないとは。謙遜にしては現実味に欠けますね」

男――国防軍上級司令官、リュディガー・ツァイスは、眼鏡の奥の瞳をあからさまに歪め、肩まで竦めて見せた。
本当に、この嫌味な性格は臆病なフェルディオや真っ直ぐ過ぎるチータに見習って欲しいくらいだ。
シートに背を預けたまま脱力するアルベルトに、リュディガーの容赦ない言葉が続く。

「幾ら元が救いようのないクソガキだったとしても、今の貴方は精鋭部隊の部隊長です。自身の役割くらい自覚なさい」

アルベルトの返答を待たずして、二人を運んでいた車が緩やかに停止した。
リュディガーは目を合わせないままさっさと車から降り、踏ん切りが付かずシートに腰掛けたままで入ると、「早くなさい」と冷たい指示が飛んで来る。
逆らう訳にも行かず渋々下車すれば、一気に眩暈が襲って来た。
会場となる屋敷の前には数十段の階段が聳え、段差に備え付けられたライトの放つ淡い光を浴びながら、着飾った貴婦人やいかにも重役と言った貫禄ある男達が談笑し上って行く。
この中に自分が紛れ込める訳もない。ツァイス家の跡取りに同伴する空軍の年若い部隊長など、注目されるに決まっている。
現に今も、自分達を追い越して行く人々の視線が痛いくらい突き刺さる。

「最悪だ……」

リュディガーは運転手に迎えの時間を伝えると、苦悩するアルベルトなど存在しないかのように階段を上り始める。
三つ編みが揺れる度、鋭く甘い香りが鼻孔を掠めた。整髪料か、香水か、どちらにしても普段の彼が纏う物ではない。

「何で俺なんですか? ジャン辺りが妥当でしょう、こう言う場所は」
「何度言わせるつもりです、自分の役割を自覚なさい。隊長である限り、無様に逃げ回り続けられる訳がないでしょう。経験を積んで猫の被り方を覚える以外に選択肢があるとでも?」

階段を五段上った所で立ち止まり、体を半分捻らせる。身長だけで言えばアルベルトの方が10センチ近く上だ。こんな状況でありながら、見下ろされると視点の違いに新鮮さを覚える。

「……入隊する前は戦えばそれでいいと思ってましたよ」

脳裏を過ぎるのは、幼い頃の無様な記憶。今浮かんでいるのは随分と皮肉めいた笑顔だろう。
リュディガーは眉を顰め、それでも落ち着き払った様子で口を開く。

「後悔しているのですか?」
「……何を?」
「軍に入隊したことですよ。こんなことになるなら、あの街に残っていた方が良かった、とでも?」

今度は声と共に口角を吊り上げた。
喧嘩を売っているように見えるから止めろと、何度注意されても一向に治ることのない、低く響く短い笑い声だ。
「まさか」吐き捨てるような呟きは、間違いなく本心から零れた物。
あのまま街に残っていたなら、ギャング崩れの捨て駒に使われるか、薬物中毒にでもなって路地裏で野垂れ死んでいただろう。きっとゴミよりも役に立たない無意味な死に様だ。
アルベルトは顔を上げ、怪訝そうに細められた緑の瞳を見据えた。

「生まれた場所からやり直して普通になれるって言うんなら乗りますけど――それが出来ないなら、入隊した方がまだマシです」

自嘲でも何でもない。これもまた本心だ。
何と諫められるか、辛辣な言葉を想像していたのに、耳に届いたのは意外な問い掛けだった。


「貴方にとって普通とは何ですか?」


もちろんそんなはずないのだが、漫画やアニメのようにスーツが肩からズリ落ちた気がした。
まさかそこを追求されると思っていなかったアルベルトは、だらしなく口を半開きにしたまま、「普通?」と間抜けな声で呟いた。
情けないそれと対照的な、よく通る凛とした声で、リュディガーは「そうです」とだけ返答する。
生まれた時から家族を知らず、帰る家も待つ相手も持たなかったアルベルトにとって、普通を語れと言うのは大抵の任務より困難な物だった。

それでもリュディガーが冗談だとフォローして来る可能性は皆無に等しいし、先程から立ち止まっているせいか向けられる視線が段々増幅している。
ここでもたつけばいらない注目を集めることになる――
アルベルトは頭の中が整理されないまま、それでも事を前に進めようと口を開いた。

「そりゃあ、……自分、を、待ってる人間とか、帰る家とか、があって……馬鹿騒ぎできる相手だとか、何かやりたいことだとか、そう言うのもあれば、上等な「普通」なんじゃないですか?」

半ばやけくそで、子供の頃抱いていた理想を並び立てた。
口にすればする程青臭い、やはり適当に流せば良かったかと後悔を抱き始める。苦し紛れに頭を掻きもう無駄話せず大人しくしていようと心に誓う。

「随分と、悲観した物の言い方をするのですね。まるで何も得ていないかのような口振り、傍から見ると滑稽ですよ」
「……さっきから一体何の話なんです。もう駄々こねたりしませんから、さっさと会場入って――」

階段に片足をかけ、さっさと降参しようとリュディガーへ視線を向ける。



「もう手に入れてるくせに」



振り向き囁くリュディガーの口元には、もしかしたら笑みが浮かんでいたのかもしれない。
だがアルベルトの頭はすぐ様羞恥心に支配され、貴重な完全に見逃してしまった。

ああそうだ、もう手に入っている。
帰りを待つ人間も、戻る家も、馬鹿騒ぎ出来る友人も、命を懸けて成し遂げたいことも、全部驚く程狭い範囲に揃っていると言うのに。幸福を自覚していなかった訳でもないのに。
陰惨な過去を思い出すだけで、まるでそれが今にまで浸食しているかのように、子供染みた捻くれ者の物言いになってしまった。

「貴方がそんなに贅沢な人間だとは知りませんでしたね。まだ足りませんか?」

一目もはばからず下唇を噛み締め、革靴の底を打ち鳴らしながら階段を上る。
リュディガーの隣に並べば、いつも通りの視点が返って来た。
視線だけ彼の頭に落としわざと大きな音で舌打ちする。


「いいえ。もう充分です」


友人。部下。居場所。おまけに、嫌味で辛辣でいつまで経っても追い付けない上司まで手に入ったのだから。
浮かぶ言葉をグッと堪え、「これ以上望んだら腹壊します」と吐き捨てれば、隣で同じく吐き捨てるような嘲笑が響いた。


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