空から飴玉



纏う青も、日に透けそうな白も、眩い銀も、何もかも空の色だった。



空から飴玉



見慣れた門の前で足を止め、無意識の内に口が「マジかよ」と発していた。
何故、こんな所に、彼等が。浮かぶ疑問に回答などあるはずもなく。今はただ門の脇に立つモニュメントの陰へ身を隠すだけで精一杯だった。
今日は特別講習も実地練習もなかったはず。なら、自分の目的地である航空学校本校舎玄関前に停められた、あのあからさまに高そうな車は一体何だ。
あんな高級車でこの学校に乗り込んで来るなんて、十中八九軍本部のお偉方じゃないか。

フェルディオの心臓は、朝包丁を突き付けられた時と同じく、生真面目に凄まじい量の血液を送り出している。
ああ、最悪だ。
久し振りに実家で外泊したら母親の買い物に付き合わされ、その出先でジュニアスクール時代好きだった女の子が同級生と付き合っていると知り、ショックの余り地元の友人と遅くまで遊び歩いたせいか清々しいまでに朝寝坊し激怒した 母親に包丁を突き付けられ死に物狂いで学校行きの電車に飛び乗ったと言うのに。
まだ災難は終わっていないのか。最早満員電車で脂ぎった中年にサンドされたことなんてどうでも良くなって来る。

以前軍幹部が見学に来た時なんて最低だった。
ただでさえ緊張する相手だと言うのに、運悪く話し掛けられてしまった。
教師達からは「粗相をするな」と目で訴えられ、校長は馬鹿みたいに「我が校の生徒は素晴らしい、優秀です」とハードルを上げに上げ。
結局、史上類を見ない程噛みに噛み倒し、フェルディオの心は殉職した。

もう二度とそんな目に遭って堪るか。
過去の苦い思い出に身震いした後、大きく深呼吸しほんの少し冷静さを取り戻す。
始業時間ギリギリだが、ここはもう裏に回るしかない。
本校舎を取り囲む塀に沿いながら迂回して、渡り廊下から教室へ向かおう。
今の所車の周りに人影は確認出来ない。正に千載一遇のチャンスだ。
逃げ足の速さになら定評がある。本部の人間が姿を現す前に突っ切ってやろう。
気合いを入れ直し、モニュメントの陰から右足を踏み出したその時だった。

「おい坊主」
「キャアァ!!」

柄の悪そうな声に呼び止められるまで全く想像していなかった。
まさか自分の背後で、長身の男性が腕組みしたまま佇んでいるなんて。
全く、全く気付かなかった。

「……女子か。何だ“キャアァ”って」

男性は呆れたように一言呟いた。
だがフェルディオは何も返答せず、男性をひたすら凝視するだけだった。

空の深い部分を落としたような青い軍服。
その生地に走る白いボタンや枠線は、青天に浮かぶ綿雲や飛行機雲を思い起こさせる。
国防軍に所属する部隊でこの青色を纏う資格が与えられた者。
航空学校に入学した人間なら、望む望まないに関わらずその名を頭に叩き込まれる。

間違いない。
彼は、『IAFLYS』だ。


「IAFLYS第一分隊隊長、アルベルト・ララインサルだ。怪しいモンじゃね
「いやあぁぁやっぱり―――!!」
「テメェ会話する気あんのか!?」

軍本部の幹部と鉢合わせる事を思えば、確かに最悪の事態は回避出来たのかもしれない。
だが、それでも、一般航空学校生のフェルディオからすれば、『第一分隊隊長』も立派な『軍のお偉方』だった。
絶叫は反射的、怒号は必然的。
最早なりふり構ってる余裕などフェルディオには残っておらず、無意識の内にその場から逃げ出そうと足が動いた。
しかし、そこはさすがエリート部隊隊長と言うべきか。アルベルトと名乗った男にしっかり襟首をひっ掴まれてしまった。

「逃げてんじゃねぇよ……今の航空学校は軍の人間見たらダッシュしろって教えてんのか? あ?」
「ちっ、違っ、ますっ」
「じゃあちゃんとこっち向けやコラ。手離すぞ、次逃げたら飛ばすからな」

何を、なんて聞き返せるはずもなく。
襟首の圧迫感が消えてからフェルディオはゆっくりと振り向いた。
当たり前だが、アルベルトは変わらず不機嫌そうな表情のまま佇んでいる。
幾らパニックに陥っていたとは言え用件も聞かず逃亡しようとしたなんて。
マズい、これはもう完璧にやってしまった。
心地良い春の陽気はフェルディオの周囲から裸足で逃げ出し、今はただ背筋を這う寒気と体の内側に籠もる不快な熱しか感じられない。

更に、改めて向かい合ったせいでアルベルトの鋭い瞳に見据えられてしまった。
銀色の瞳、銀色の髪。
遠くから見れば美しいと思えるはずの配色も、今は威圧感の手助けしかしてくれない。

「……で、お前を呼び止めたのは、アレだ。聞きてぇ事があってな」

長い髪を乱暴に掻きながら小さく舌打ち。
その僅かな音にさえ、フェルディオは盛大に肩を上下させてしまう。
過剰な怯えは相手の機嫌を損ねるだけだと分かっている。頭では簡単に理解している。それなのに、フェルディオの言動を支配するヘタレ精神が、どうも真逆の命令を脳に下してしまうらしい。
電流でもブチ込まれたのかと思う動作に、アルベルトの眉が顰められた。

「お前俺の事殺し屋だとでも思ってんのか」

まぁぶっちゃけ下手な殺し屋より怖いですよねー
……もちろんそんな本音口に出来るはずもなく、しかしフェルディオの引きつった愛想笑いは、彼が思い浮かべた返答を如実に表していた。
アルベルトの眉から皺が消え、代わりに呆れの光が瞳へ宿る。

「クソっまたジャンに笑われんじゃねぇか」

溜め息混じりに吐き捨てたかと思えば、アルベルトはフェルディオに向かい右手を突き出して来た。
だが、緊張し切っているフェルディオは即座に反応出来ず。
アルベルトに「手ぇ出せ」と指示されるまで奇妙な沈黙が広がってしまった。

「スイマセンっ!」
「何で謝るんだよ手ぇ出せっつっただけだって」「スイマセンっ!」
「…お前…」

フェルディオが盛大に震わせながら差し出した掌。
そこへ落とされたのは、紫色の小さな包み紙だった。

「…えっ」

回らない頭で具体的な想像が出来ていた訳ではないが。それでもこの展開はリアクションに困ってしまう。
だって、どう見ても、掌の上でコロコロ転がっているのは、

「あ、飴…」

飴。だ。包み紙に巻かれた、何処にでもある平凡な一口大の飴。
飴自体の存在は決して稀有な物でないのだが、何しろこの状況にこの相手だ。飴が飛び出して来る展開を誰が予測出来るだろう。
フェルディオは掌の異物に熱烈な視線を送るだけで、次の行動へ移れずにいた。
この飴をどうしろと言うんだ?何か意味があるのか?隠語?葡萄味…、だから、何?
困惑するフェルディオの耳に届いたのは、飴に続く予想外の言葉。

「いきなり声掛けて悪かった。それで機嫌直してくれ、な?」

…何処からツッコミを入れればいいのか分からない。
まずエリート部隊の分隊長が一学生に謝る事自体おかしいし、そもそも声を掛けただけで逃げ出そうとした相手に何故怒らない。
それに、「それで機嫌直してくれ」とはどう言う事だ。この飴で、学生とは言え少なくとも十五歳オーバーの少年の機嫌を、どうにかしようと思っているのだろうか。

恐る恐る視線を飴玉から上げてみると、アルベルトはバツの悪そうな顔で髪をいじっていた。
何だ、何なんだこの状況は。
逆だろう、許しを請うて申し訳なさそうな顔をするべきなのは自分だろう、そしてその様を腕組みして眺めるのが『お偉方』だろう。

なのに何で今自分が謝られているんだ?

呆然としていると、突然口の中に何かが飛び込んで来た。
途端に広がる甘ったるさとほのかな酸味。
吐き出しそうになるのを何とか堪え、口の中で転がしてみると、レモン味の飴玉だとすぐに理解出来た。

飴玉に羽はない、足もない。
目の前で軍服のポケットをまさぐるアルベルトが口に放り込んで来た。そう結論付けて問題ないだろう。

「えっ、えぇぇちょっと!」
「足りねぇか? じゃあメロン味もやる」
「違――! 違いっ、ますって! いやもうあの、――充分です! 大丈夫です!」
「……機嫌直ったか?」
「機嫌も何も! そもそもあの、こっちこそ逃げようとしてスイマセンでした! 怖くて、ついっ、あっ!!」

いつだったろうか、「墓穴を掘る速度ショベルカー並」と揶揄されたのは。
せっかく(相手の意図が全く読めないとは言え)形勢が逆転しそうだったのに、思い切り余計な一言を口走ってしまった。
これはもう一発くらい小突かれても仕方ないととっさに目を瞑る。

だがここでも、返って来たのは予想外の反応で。

「……よく言われる。生まれ付きなんだ勘弁してくれ」

呆れたように、疲れたように、それでも確かに笑いながらアルベルトはそう言った。


謝るべきなのか、フォローするべきなのか、流すべきなのか、正解を導き出せないまま。
それでも確かに、アルベルトに対する恐怖は、口の中の飴玉と共に溶け始めていた。


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