遠き日のマイナスゼロ‐3


 走馬燈見たか。
 問われて、嘘を付いた。お前はどうだったんだと聞き返せば、クォーツはうなだれたまま首を横に振った。
 んな余裕なかったべ。脱力する同窓生の左側に座ったせいで、黒地に白い斑点の散った、奇妙にも程がある髪色がよく見える。何とはなしにその血糊が張り付いた耳を見つめ、何とはなしに頭上の空を眺めた。
 ぷかりぷかりと浮かぶ羊雲の中に、彼等も混ざって飛んでいるのだろうか。命からがら離脱出来た自分達の後ろで、彼等はあの白い大群に飲み込まれていった。
 鮮やかな色彩にあまりにも不釣り合いな、真っ黒い煙を棚引かせて。
 自分の持ち物を全てなくして。
 ゼロよりずっと深淵の、マイナスへ。

「そろそろ本命作るべか。こう言う時思い出せる顔が恋人じゃねーってのも、結構物悲しーべ」
「お前、耳それ手当てしたのか」
「人の話聞かねーべな……心配すんでねー。オメーこそ目ん玉無事だべか」
「これの何処が目玉に見える。眉の上だけだ、問題ない」
「んなモン帰投した時顔面血だらけだったら判断付かねーべよ」

 アイスブルーの瞳が、自分のそれとは対照的な赤茶の眼球をねめ付ける。この赤が傷つき、似た色の血が溢れ出していたら。パイロットなら誰しもが考える最悪の事態だ。茶化しはしたが、想像するだけで身震いする。
 風が裂傷だらけの頬を打つ。
 これだけ被害が出たのだから、明日からは尋問の嵐だろう。上は十代の一般隊員にも容赦などしてくれない。ならほんの一時、何の生産性もない行動に従事するくらい、許されていいだろう。

「走馬燈、以外と見えねーモンだな」

 ポツリと零れた感想は、テレビドラマに対するそれと大差なかった。
 吐き出した当人のクォーツも、この簡潔さに拍子抜けしているようだ。無理もない。空での出来事は全て劇的で、鮮明な物なのだと、ダンテも信じていた。
 クォーツには嘘を付いたが。走馬燈らしき物は、確かに脳裏を過ぎった。だがそれは、映像でなく一枚の写真を一時眺めた程度の、薄ぼんやりとした回想。
 あんなに一瞬で、走馬燈と呼ぶにも頼りないくらいささやかな激動なら。

「もっと色々抱えねーと、見る資格もねーってか」

 遠き日に貫かれた衝撃の方が、よっぽど、この身をマイナスに近づける。

「後十年もしたら、もう少し長いのが見れるようになるだろ」
「……十年経ったら、二十八か。どーなってんのか想像も出来ねーべ」






 季節にそぐわない生温さが、微風に絡まっていた。波が森のような深緑を海岸線に叩きつけ、海猫が何処か居心地が悪そうに滑空する。
 今日は珍しくクラスメイトにも絡まれず、平和な帰路を楽しめたと言うのに。隣の穏やかさと気候の不穏さが、何とも言えない気味悪さを主張していた。
 重い空気を振り払うように、勢い良く自宅へ駆け込み兄の元まで駆け寄る。

「兄さん!」
「おお、今包丁持ってるから抱きつくなよ。危ないぞ」

 魚を捌きながら、兄が困ったように眉を下げた。ダンテが何を強請ろうとしているのか、大方察しているのだろう。

「おばさんの所行って来ていい?」
「ビーチェさんだろ! ダンテ、この前父さんにいい加減控えろって叱られたばっかりなの分かってるか?」

 そんなこと、言われなくても。口を尖らせ、今置かれた状況が如何に理不尽か主張する。彼女がいいと言っているのに何故他の人が駄目だと言うのか。帰れと言われたなら、自分だって駄々をこねたりせずちゃんと従うのに。
 大人の社交辞令だとか、言われずとも控えるだとか、そう言った物を子供は理解出来ていない。兄はそのことを十分理解してくれていたのか、呆れつつもダンテの訴えに耳を傾けた。

「まあ、ビーチェさんもほとんど近所と交流しない人だからな……追い返さないってことは、楽しんでくれてるんだろうけど」

 魚のアラを取り分けた後、汚れたゴム手袋を外し兄は思案した。
 彼女が周囲と目立った交流を持たないことは、ダンテも知っている。家だって住宅街から離れた場所を選んでいるし、パーティに誘われても滅多に応じない。
 かと言って、無愛想だったり偏屈だったりするかと言えば、全く違う。現にダンテにはあんなに優しく接してくれる。どちらかと言えば、人との交流より、外に出ることを苦手としているのかもしれない。

「……一週間がまんしたよ。今日ももし忙しそうならすぐに帰るから。会いにいっちゃダメ?」

 腕を組み、兄がこれでもかと眉を寄せる。父からダンテを見張るよう命じられているのだろうか。その表情には迷いの色がありありと浮かんでいた。

「兄さん……」
「あーあー分かった! じゃあこうしよう! 今日は兄さんも行く!」
「えっ」
「嫌そうな顔するなよ! ダンテは先に行っていいから、仕込み終わったら追いかける。それで、兄さんから見ても本当にビーチェさんが歓迎してるって思ったら、一緒に父さん説得してやるから」

 どう考えても、兄に、自分は味方であると宣言された。頭を撫でて来る掌の優しさが、それが思い上がりでないと証明してくれる。
 喜びのあまり飛びつけば、兄は締め上げられた家畜のような声を上げて、倒れた。


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