愛してる。-2


 自分の母親とちょうど同じくらいの年齢だった彼女は、それにしては随分年上に見えた。
 彼女の夫はある過ちから大会社に粛清され、巻き込まれた娘は二目と見れぬ姿になったのだと。教えてくれたのは他でもない父親だ。その大会社はドレー社なのだろうと問えば、お前も私に似て来たねと頭を撫でられた。
 自分に嫌われた訳ではないから、何処も痛くはなかったけれど。
 復讐の為仇である男に取り入って。その息子に、薄汚れた血筋を自覚させながら、守り育て。ボディーガードとして尽くし信頼させて。最後にどんな裏切りで俺を壊すつもりだったんだろう。俺がドレーの名を捨て軍に逃れると聞いて、貴女は今何処まで壊れているのだろう。
 ああ、泣かないで。懇願を口にすれば、彼女は瞳の灯りを自ら消した。

「坊っちゃん、あなたはあの男の息子です。あなたには、人の痛みが分からない。軍へ、IAFLYSへ逃げたって、いつか必ず、あなたは憎まれる」
「大丈夫だよ、大丈夫だから。俺は父様とは違う人間だから。ちゃんと、人の痛みもわかる」
「そんなこと、」
「仇の愛人なんて辛かったでしょう。もう自由になっていいよ」

 次の働き口は紹介してくれるって、父様が。
 そう言いかけた所で、真っ先に腹部を撃ち抜かれた。

「やっぱりあの男の血だ! 放っておいたって勝手に自滅する! せいぜいその手でたくさん殺して全部失えばいい! いつかきっと、あなたは自分を憎むようになる! 全ての支えをなくして生きて来たことを後悔する! 必ず、必ず!!」

 ねえ、泣かないでよ。
 あなたの作るちょっと焦げたお菓子が大好きだったんだ。笑う時必ず左手で口元を隠すのも、独創的なマフラーの巻き方も、髪を束ねる時一房取り零す癖も。全部全部、本当に大好きだった。

「あなたのお陰で今の俺がいるんだよ」

 あっと言う間に取り押さえられた彼女に、絞り出した最後の言葉は届いただろうか。

「あなたは一生そのままだ、シャルル・ドレー!」

 何で、坊っちゃんと呼んでくれない。
 一発だけ銃声が轟いた。仰向けに倒れてしまったから、目と鼻の先で何が起こったのか、結局分からないまま。広がる熱と失われて行く体温に、大理石の冷たさが心地好かった。
 唯一視界に広がる自分の血は、いくら見詰めてもただの赤で。どんなに混ざっても、人の血は赤だけで。
 呪われているなんて言う人の気持ちが、ちっとも理解出来なかった。





 付けっ放しのテレビから流れる、またドレー社が会社を買収したと言うニュース。映し出された最高責任者の笑顔。見覚えのある楽し気な瞳に、今回も表に出せない方法を使ったのだと悟る。
 深く考えず開いた雑誌には、最新鋭の試作機が特集されていた。IAFLYSの、しかもアラート待機室にこんな物置くなんて何処の誰だ。まだ塗装もされていない実験機の側には、ドレー社提供としっかり記載されている。
 アラート待機に入ってまだ一時間弱だ。誰も彼も、暇を潰す術を見失っていない。

「シャルル、お前チェス代われ。ジャックじゃ相手にならない」
「ちょっと待てよもう一回だって! 次勝ったら全裸でリビングルーム乱入の罰ゲームなしにしろよ!」

 声を掛けて来た張本人達が、当人同士で勝手に盛り上がる。ダンテ相手に敵わないと分かっているのに、ジャックファルは何故罰ゲームを賭けてまで挑むのだろう。
 立ち上がりチェス盤の脇に立てば、確かにダンテの圧勝だった。ジャックファルもそこまで弱くはないのだが。如何せん、相手が悪過ぎる。

「太陽にお相手して頂けるんだぞ。光栄だな」
「あーあー! 違うって、まだだって!」
「ジャック……大丈夫。俺はいくらだって付き合うから。卑屈になることないよ! さあ、太陽が正面にいたら眩しいかも知れないけどチェス盤に集中して!」
「あーあーあー!! うるせぇ! お前ホンっト自分のコト大っ好きだよな!」

 この身は憎まれている。
 この血は呪われている。
 他人の命の加護を奪って、何不自由なく育まれた。
 それでも私は愛している。誰のどんな言葉でも侵すことの出来ない自分自身を。
 未来永劫、裏切ることはないこの価値を。

「当たり前だろう。自分で愛さないで、誰に頼むつもりなの」

 アラートが鳴り響いた。
 他愛のない会話をしていたジャックファルも、コーヒーを淹れようとしていたダンテも。待機室内にいた全ての人間が一斉に駆け出す。立ち上がった拍子にチェス盤の駒が倒れてしまったけれど、既に体は部屋の外だった。

「シャルル、気を抜くな」
「太陽に慢心は存在しませんよ!」

 一瞬足りとも立ち止まることなく、戦闘機へ立てかれられた梯子に飛び付く。コックピットに滑り込み、酸素マスクとヘッドアップディスプレイを装着し、閉じて行くキャノピーを見送った。

 ーーせいぜいその手でたくさん殺して全部失えばいい!

 彼女の望みは叶ったのだろうか。あの時の言葉通り、沢山落としてその分失って来た。

 ーーいつかきっと、あなたは自分を憎むようになる!
 ーー全ての支えをなくして生きて来たことを後悔する!

 ああ、でも、まだか。
 憎くないし、後悔もしていない。全ての支えをなくしてもいない。どれだけ仲間を失っても、自分が存在する限り絶望は歩み寄って来ない。
 太陽のように迷いなく輝こう。己の価値を己だけに求めよう。そうして来たから生きている。
 そうしていれば、ーー生きて行ける。

「愛してるよ。全部」

 愛してる。
 愛されている。
 他でもない、この私が。未来永劫、私が、私を、愛している。





 坊っちゃん。
 あなたには、人の痛みが分からない。
 いつか必ず、あなたは憎まれる。
 ーー他でもない、一番愛しい、あなた自身に。




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