誰よりも清い魂‐1



終わりだ。この国の何もかもが、彼の人の手に落ちた。
落胆の唸り、脱力の歓声が城内を走り抜け、一つの塊となって背骨を這い上がる。

そこかしこに赤黒い遺骸の転がる城内、程良く千切れ雲が浮かぶ澄み渡った晴天。
余りにも不釣り合いな情景を交互に見やりながら、大して汚れもしない陣羽織を脱ぎ捨て歓声から離脱する。
この瞬間はどんな戦場でも言い知れぬ虚無感を伴った。

軍師としての責務を完璧にこなす華星丸だが、戦に勝利した所で得られる物は皆無に等しい。
身分ある武将でもなく、ましてや国主に忠誠を誓った身でもないのだ。

死なずに事が終わった。

それだけでもう、余計な感情は打ち止めされた。


家臣達が立て篭もり抵抗した城郭を抜け、国主と奥方の生活の場であった御殿に踏み入る。
攻め落とされた小国を治めていた武将は、玖填国国主にその首を落とされた。残された奥方と齢三つに満たない若君は恐らくこの館にいるのだろう。
力を持たない女子(おなご)と幼子(おさなご)。処遇は我が大将の采配次第だ。


「――臣下は……何処に消えたんでしょうねぇ……」


耳に痛い静寂。
正室と若君を残し、皆戦に駆り出されたとでも言うのか。絶望的な戦況だったとは言え警備が手薄過ぎる。

侵入者を拒むかのように、廊下は不機嫌な音を立て鳴き続けた。


「華星丸、こっちだ早く来い」


廊下の奥から名を呼ぶ声は、目配せ一つで戦を起こした者と思えない程気が抜けている。
大将が勝手に動き回るのは日常茶飯事。だが、生活の場である御殿に赴くことはそうそうなかった。

……また何か面倒を引き込んでいるのか。
自然と足が早まり、内装を観察する間もなく目的の部屋へと辿り着いた。

床の間に一輪の菖蒲が飾られている――それ以外は、何の変哲もない部屋。
畳表の苗色、木材の檜皮色、そこに混ざった群青色の髪は当たり前だが浮いていた。水浅葱色の陣羽織には所々赤黒い染みが見受けられる。
首だけでこちらを振り向く男からは、大将たる威厳も戦を終えた安堵感も伝わって来ない。
下がった眉と締まりのない口元。茶を飲み畳に転がっている時の表情と大差なかった。

「時影様……毎度毎度いきなりいなくなるの止めて頂けませんかねぇ」
「私がいなくなるんじゃない、お前達が見失うんだろ」
「人のせいにしないで頂き、――」


視線を落とせば、人が二人いた。

畳によく馴染む草色の袴と、時影の髪色と同じく、自然の色合いから浮いた深紫の打掛。
並んで身を横たえた姿は、こんな状況でなければ微笑ましく思えただろう。

「……奥方と若君ですかねぇ」

床に付した女性の右手は、隣の小さな背中へと添えられていた。

「間違いないだろ、前見たのと同じ顔だ」

数歩進み二人の傍らへ片膝を付くと、長い黒髪に大部分が隠れてはいるが、隙間から口元を伝う血色が見て取れた。
息絶えた親子をぐるりと見回し、奥方の左手を静かに持ち上げる。
途端、力無くしなだれた指先から木箱が一つ零れ落ちた。

拾い上げてみれば漂う仄かに甘い香り。
それは見えざる花弁が舞い踊るかのように、箱の底の貝殻から漂っていた。
貝殻は黒く塗り潰され、赤い波模様が描き足されている。

「蛇毒ですかい、用意周到なこって」
「何だお前等のじゃないのか。虫毒もあるだろ」
「私(あたし)達みたいな花の妖貸は波模様なんざ使いませんよ。虫の妖貸も然り。この波模様は、作り手が蛇である証です」

蛇なら幾重もの波模様、虫なら六つ並んだ同型の模様、花は大小の違う模様を四つ放射状に描く。
自害用に使われるのは殆ど蛇毒だ。
虫や花の毒は時間をかけた暗殺や拷問の際に重宝される。

蓋を閉め直し奥方の手に再び握らせようとしたが、命を失った指はなかなか曲がらず、結局掌へ添えるだけとなった。

「……それで? 何故貴方様がこのような場所に一人ふらりと足を運んだんですかい?」
「んー?」
「誤魔化したって駄目ですよ。大将は貴方の手で討ち取ったんです。わざわざ主殿にまで立ち入る理由があったとでも?」
「あー、ああ……」

どうにも煮え切らない生返事を繰り返しながら、時影の視線は宙を泳ぐ。

「面倒を見てやってくれと頼まれていた」

襖から背を放し、時影は華星丸と同じように骸の側に膝を付いた。
緩慢な動きで子供の首に手を当てると、「ああ、本当に死んでるな」と一人ごちて、奥方の髪も手櫛で梳いてみせる。

「……誰にですかい?」
「これの父親に」

煤けた指を幼子の小さな頭に向ける。
彼の父親と言うことは、数刻前時影が葬ったこの国の長か。
華星丸は時影と入れ替わるように立ち上がると、屈むその身の後ろへ回り込んだ。

「ほら、玖填とここは同盟国だったから、あれともそれなりに付き合いはあってな。三十を回ってやっと出来た子と、側室を迎える気にならないくらい愛しい妻と。もし自分の身に何かあれば、気掛かりで死んでも死に切れんと、あれはよく言っていた」


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