滅せよ‐1



聞こえる。

馬の嘶きに似た怒号。
頭の中で這い回り、失せろと何度叫んでも執念深く人の脳髄にしがみ付いて来る。

気が付けば、まるで生まれた時からそこに居座っていたかのように、平然と怒号が横たわるようになっていた。


滅せよ。
滅せよ。
憎き者を、その手が触れた全てを、滅せよ。
灰になるまで、ひたすらに。





まるで、氷が冷涼さと清冽さを保ったまま液体に戻ったような――人の世に生きる限り起こり得ない矛盾をはらんだ味が、その酒からはした。

「これも狐狼族の酒か?」
「いや、これは知り合いから譲り受けた物じゃ。口に合うたかの?」
「ああ……美味い。今まで飲んだ冷酒の中で一番だ」
「それは良かった」

豹烈火は徳利を手にすると、六人の杯へ酒を注いだ。
とっさのことに思わず受けてしまったが、命の恩人である以前に豹烈火は狐狼族の長だ。
そんな者に酌をさせて良い物かと、抱いた引け目が顔に出ていたのか。
豹烈火は六人に穏やかな笑みを向けると、「お主は客人じゃよ、六人」と囁いた。
瀕死の状態で錦に担がれ里へ転がり込んだ人間の何処が客人か。
思わず零れそうになった指摘をぐっと堪える。これは、腕を負傷している自分への気遣いなのだろう。

甘んじて受け入れた厚意を、酒と共に飲み込む。
喉元を走る熱さは確かに感じるのだが、同時に歯切れの良い清涼感も通り抜ける、不思議な酒だ。
腹の中に溜まる酒が、四肢や頭の余分な熱を奪って行く。

頬を撫でる風がより涼やかになったのは、気のせいだろうか。

「……ふむ、六人、お主酒に強いようじゃのう」

長い指を徳利のくびれに絡ませ、豹烈火は嘆息した。

「まだ二杯しか飲んでないが」
「いや、弱い者なら一口目で顰めっ面じゃ。二杯呷って平然としとるなら大した物じゃろう」

――そんなに強いのか、この酒は。
得体も知れない客人を晩酌に招いてくれた気持ちは有り難い。
だが、未だ包帯の取れぬ怪我人に勧める品ではないだろう。
豹烈火の考えが読めず、六人は普段から寄りっ放しの眉間の皺を更に深くした。


「だが、そうじゃのう―― 見込みは外れたやもしれん。此方としては酔って貰いたかったんじゃが」


徳利を指先で弄びながら何処か残念そうに呟く。
口角から獣の名残である犬歯が覗くも、鋭さを感じさせないのは何故だろう。
六人は月明かりに照らされた豹烈火の横顔を眺め、次の言葉を待った。

「酔うた方が本音を聞けるかと思うたんじゃよ」

三度徳利の注ぎ口が向けられる。
狐狼族が入れ替わり立ち替わり訪れ落ち着かなかったこの部屋も、今となっては静寂に包まれ、酒の注がれる小気味良い音すら縁側によく響いた。

「……恩人とは言え、腹の底までは話せない」
「だから、これじゃよ」

そう言って自らの杯を翳すと、躊躇なく一気に飲み干した。
余りに鮮やかな飲みっぷりを見せ付けられ閉口してしまう。

「酒の力を借りようとして、この様じゃ」
「――はっ、強行だな。さすが一族の長だ」

清々しい物ではなかったが、笑みを浮かべたのは随分久し振りに思える。

「あんたに付き合ってたらいつか酔うかもな」
「ああ、かもしれん。だがそれでは時間がかかり過ぎるからのう、正攻法で行くことにする」

満ちた酒に、葉が落ちる。
混じり気のない新緑から視線を上げると、金色の双眸が真っ直ぐこちらを見据えていた。
荘厳さと寛大さを湛えた、長たる者の持つ目だ。

忠誠を誓った狐狼達は、この瞳に射られながら偽りを吐くことが出来るのだろうか。
ゆったりと猶予を与えながら、それでいて明瞭な線引きを示してくるこの男に。

「少し気になることがあってのう。六人、お主いやに落ち着いとらんか?」

高過ぎず低過ぎず。
まるで詩を読むかのように、余計な波を立てないまま発せられる声は、理不尽な怒号や辛辣な嫌味より余程頭に響く。

「……恩人の自邸で、騒ぐなんて」
「そう言う意味ではない。感情の話じゃ。主君を討たれ、同士を処刑され、自らも眼(まなこ)を奪われ腕まで潰された。体の傷は狐狼の力でいずれ癒える。だが、六人、お主が主に注いで来た忠誠は、それで心に拠り所を得る程、弱い物でもなかろうて」

杯を板敷きの上に置き、豹烈火は身を乗り出した。
淡藤色の髪が眼前で揺れ、花の薫香が鼻孔に届く。
六人は何と答えれば良いのか分からず、詰められた距離に思わず身を引けば杯から酒が数滴零れた。

「数百の年を重ねたが、失った者を幾度も目にして来た。有形無形の違いはあれど、己の支柱であった尊き物を失った者達じゃ。――六人。お主はとても同じ苦難を背負うた者に思えん」

皮膚の粟立つ感覚が何とも気色悪い。
また一滴 杯から酒が零れ落ち、床に染みを作った。



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