私が守る‐2



――この忍は、先走る他の忍を諫め、得体の知れない物体へは触れず、今もこうして不用意に距離を詰めずにいる。
読み通り、彼が忍達の頭なのだろう。
頭を狙えば部下は焦り踏み込んで来ると思ったが……まさかここまで上手く行くとは。

「ご想像に、お任せします」

小太刀を握る指に力が入る。この忍は一筋縄で行かない。
薄雲は細かく千切れ、いつの間にか月光が二人に降り注いでいた。

光が飛ぶ。

苦無の鋭い光へ再び水玉を打ち付けるが、先程よりずっと速く走る苦無はそれを容易に切り裂き、辺りに水滴が飛び散った。
忍は跳躍し、木々の間を駆ける。笑弥も続かんとするが、血の抜けた体ではむしろ不利になると踏み、その場に留まった。
風以外の存在が枝を、葉を揺らす音は、いつ聞いても腹の内側をざわつかせる。
生じた不快感に抵抗せんと奥歯を強く噛み締めた。


長引かせてはいけない。
早く、出来れば次の動作で仕留めなければ。

侵入者発見の報をしたためた書状と共に昼蝙蝠を飛ばしたのは半時前。うかうかしていれば、援軍が寄越されてしまう。
今この状態で援軍と合流するのは極力避けたい。

――次。
次、だ。これで終わらせる。

木々のざわめきは止んだ。次に聞こえて来たのは、水が爆ぜる音。

頭上から降り注ぐ人の気配、緩慢な動きで仰ぎ見れば、水玉を忍の振り下ろす小太刀が貫いていた。
紙風船のように容易く破裂した水の塊は、囲いを失い放射状に飛散する。
細かい水飛沫は忍の目元に飛び散り、小太刀の切っ先が笑弥の右肩を抉る。


「ぐっ、がああああああ!!!」


焼けるような痛みの中、笑弥は身を捻らせ忍と正面から向かい合った。
最初は冷静に水玉を避けていたのに。
防御だけに使われ刺激を与えればただの水に戻る様が、彼に油断を招いたか。それとも部下を立て続けに葬られ焦りが生じたか。
どちらにせよ、安易に切り裂かず水玉を避けてさえいれば、目は潰されずに済んだだろう。


「蛇鹿族直伝の毒薬で作った水玉、なかなか効くでしょ?」


浮かべた笑顔は、生きながら眼球を溶かされる忍には届かない。
目を両手で覆い膝から崩れ落ちる忍に、せめてもの憐れみを。
笑弥はにこやかな笑顔のまま間髪入れず刃を振り下ろした。







大木の幹に身を預け、やっと武器を手放した。
木の皮に頬を押し付け、心地良い自然の冷たさにしばし浸る。

傷を負った。血も流れた。
だがこれくらいで死にはしない。
救援が到着するまでそう時間はかからないだろうし、どの傷も致命傷には至っていない。忍をなめるな、これくらいなら朝まで持ち堪えられる。

幹から顔を放し、今度は後頭部を凭れさせると、残り少なかった気力がどんどん消費されて行く。
何もしていないのに――いや、むしろ何もしていないからか。
痛みや脱力感と真正面から向き合い、ますます疲労が強まった。


ああ、このままではまた貴世に無茶し過ぎだと叱られる。
確かに毎度毎度怪我をする機会に恵まれているが、自分だってやりたくてやっているのではない。ただ、多勢に無勢である以上、相手を油断させる為わざと傷を負うことも必要になるだけで。

なら救援を待て、と返して来るのだろうあの年若い頭領は。
それが出来れば苦労はしない。
ほんの数年前、この里に辿り着くまでは救援を当てにしながら戦ってもいた。
だが今はそうも行かなくなってしまったのだ。
情に絆されたと言うべきか、単純に腕が落ちたと言うべきか。

こんな腑抜けになってしまった原因を思い起こしていると、闇の向こうから微かな声が届いた。
そして核心する。
ああ、やっぱり自分は弱くなった。


「笑弥!」


自分の名を呼ばれ、よく知った気配を肌で感じれば、見る見る内に体から力が抜けて行く。
一昔前なら誰が駆けつけようとも安心なんてしなかったのに。
きっとこの安堵は、戦闘中でも湧き上がる。そしてそれは隙となり、自分だけならまだしも、下手すれば駆けつけた相手を危険に晒す。

気が付けば、自分は至極面倒臭い状態に陥ってしまっていた。
無感動に無関心に戦えた頃が懐かしい。
こんな脆弱な精神力では、意地でも一人で片付けるしかなくなるじゃないか。

契約期間中は笑弥の「主」となる蛇鹿族頭領・貴世が、黄緑の髪をたなびかせながら駆け寄って来る。
影に染まった木々の緑はどれも色濃く仄暗いが、明るい色彩を湛えた貴世の周りだけ、まるで時間が朝へ進んだかのように色鮮やかだった。
彼もまた、笑弥を弱くした原因の一つだ。当人に自覚がないから余計質が悪い。

「どーも、貴世様」
「無事じゃなさそうだな。……お前なんで救援待たねぇんだよ」
「待ってたら逃げられちゃいますもん。それよりほら、こいつ等ですよ侵入者」
「見りゃ分かる。それよりお前だお前」

貴世は笑弥の真正面で膝を付くと、喧嘩を打っているようにしか見えない凶悪な目つきで睨み付けた。

「姉上が直に追い付くから、じっとしてろよ」
「……はぁ!? 何で葵霞様が痛たたたた!!」
「馬鹿、お前……大方また怪我してんだろって、付いて来たんだよ。その場で治した方が手っ取り早いだろ」
「だからって葵霞様が外に出ちゃ不味いでしょ!! 体弱いんですからこんな遠くまで――」
「知るか文句は姉上に言え!」

代々一族に仕えて来たとか、旧知の仲だとか、そんな背景何一つ持ち合わせていない一介の忍を、頭領自らよくここまで面倒見切れる物だ。
他人事のように感嘆し、どうしようもなくなって項垂れる。

こんな風に、真っ直ぐ向けられる厚意を実感する度、頭が勝手に決意表明を始めてどうしようもなく鬱陶しい。
一生目標として掲げまいと思っていたありきたりな台詞。
指示された物を淡々と奪う戦いしかして来なかった自分には高過ぎる望み。


「まあ、やり方はどうであれ、お前のお陰で里が守られたんだ。礼だと思って大人しく姉上に治されとけ」


ああまたそんなこと言って。身の程知らずって、諦めたいのに、諦められなくなるでしょうが。







私が守る


(滑稽な決意を、誰か笑って)





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