薄暗闇の宿場町で‐3
「お待たせー!」
満面の笑顔を浮かべ、男の胸にバスケットと瓶を押し付ける。男は怪訝そうな表情を浮かべたが、ユキトがすぐ手を放そうとするので、とっさに胸元の荷物を掌で支えた。
「何なんですか、これは」
「ベーコンとチーズとタヌイ草のキッシュ、カボチャのキッシュ、瓶は赤ワイン!」
「……で?」
「良かったら食べて!」
「いえ、結構で」
「いらなかったらそこらに転がってる酔っ払いにでも押し付けて! じゃっ、急いでるのよね、引き止めてゴメン! ありがとう!」
「はっ、」
男はまだ何か言おうとしているようだったが、ユキトはお構いなしに別れの挨拶を済ませ、酒場の扉を思い切り閉めた。
相手の許可も取らず一方的に食事を押し付け、強制的に会話を終了させる。恐ろしい程押し付けがましいが、放っておけば話の終わらない酔っ払いをよく相手にするユキトからすれば極自然な対応だった。
受け取る物は受け取った。礼ーーと相手が認識しているかは不明だがーーも渡した。さあ仕事に戻ろう、とベルトに吊り下げた羽ペンを指で摘んだ瞬間。
「……、あっ……」
何かを思い出したのか、ユキトは息を飲むと慌てて大通りに飛び出した。
辺りを見渡せば、建物二軒分程挟んだ所に、ついさっきまで対峙していた黒コート。ユキトがその後ろ姿を視認した直後、男は歩みを止め振り向いた。ほの暗い空間の中、青緑の瞳がその鮮やかさを一層際立たせる。
「……まだ何か?」
「――あっ、うん、名前――」
「……名前?」
「いやー人とはどんな縁があるか分からないから、名前はちゃんと聞けって躾られてさ。良かったら教えて?」
笑顔のまま小首を傾げてみるが、男は無表情のまま。
名前を教えたがらない旅人はよくいるし、特別な理由がなくとも、初対面の人間にいきなり名前を聞かれて戸惑っているのかもしれない。
「や、別に強制じゃ、」
「サンザ」
スルリと耳に滑り込んだ空気の震えは、ハッキリその音をユキトに届けた。
サンザ。
小さく呟いてみれば、「サンザ・ニッセンです」と言葉が続く。最早人と知り合い打ち解けるコトが趣味であるユキトにとって、覚えられる名前が増えるのはこれ以上ない喜びだった。
ただ名前を聞き出せただけなのに、自然と顔が綻んでしまう。
「サンザ、ね! 教えてくれてありがとう! 気を付けて帰ってね!」
手を振りそう叫べば、男――サンザ・ニッセンは、左手を軽く上げ答えた。そしてそのまま踵を返し、再び薄暗闇に向かって歩き始める。
ユキトもまた、しばらくサンザの背中を見送った後、騒ぎ声の響く酒場へと戻って行った。
ユキトの姿が酒場に消えてから数秒後、サンザは首だけ振り返り、肩越しに先程までユキトが立っていた場所を見詰めた。
「ユキト・ペネループ……さすがはあの方の親族と言った所でしょうか」
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