夕闇と共に‐4


 ――どうしてこうも物好きばかり集まるんだ。
 ユキトとアッシアをねめつけ、サンザはわざとらしく嘆息した。逃げ回ればいい物を、何故わざわざ自分から重圧を迎え入れようとするのか。全くもって理解出来ない。

「サンザ、馬乗って行くんだよネ」

 突然の質問は意図が掴めず、真面目に答えるか正直迷った。馬に乗って行くも何も、全ての手筈を整えたのはイルクシュリ本人だろう。今更確認して何の意味がある。

「……何の話ですか」
「ん〜、じゃ、違う質問。全く同じ馬に別の人が乗りましタ。さて、行き先は同じでしょうカ」

 青筋の浮かぶ感覚がありありと伝わって来る。いい加減腹が立って尻に蹴りを入れてやれば、潰れた蛙のようにしゃがれた叫びが届いた。
 イルクシュリは時々、こうやって試すような話題を振ってくる。しかも内容は毎度突拍子もない。
 簡単に回答してやるのも癪で、お決まりのように暴力を返してやるのだが、幾らやってもイルクシュリは懲りない。今だって蹴られた尻をさすりながら、期待するようにこちらを見上げて来る。
 これはもう適当に答えた方が早く治まりそうだ。

「……別な人間なのでしょう。なら行き先が同じとは限らないのでは」
「同じ馬でモ?」
「当たり前でしょう、馬は移動の手段です、手綱を握る人間が違うなら目的地も変わって来ます。……何なんですか無駄な話してる暇があるなら、」

 言葉を遮るような振動が腹に響く。
 咳き込む程でもないが体の中心が僅かに揺らぎ、足を一歩後ろに下げて堪えた。
 拳をサンザの腹に押し当てながら、イルクシュリはいつものように飄々と笑い、いつものように明るく言葉を紡いだ。

「そーゆーコト。人間が違えば、同じ環境でも終着点は変わって来るノ。進むのは人だからネ」

 何を言わんとしているか考えれば分かる気がした。それでも思考を巡らせようとは思わない。直感で悟った、このまま突き詰めれば、自分で自分の首を絞めてしまう。

「君とユキトちゃんは同じじゃないヨ。確かに似た境遇にあって絶望を味わったかもしれないけど、君の悲観をユキトちゃんに押し付けちゃダーメ。……分かっタ?」

 だから嫌なんだ、イルクシュリの唐突な質問は。
 何のことか理解出来ないまま不用意に答えてしまえば、思ってもみない核心を無防備な状態で揺らされる。自分ですら気付いていなかった心の機微をどうしてこの男は見抜くんだ。
 頭の中で記憶が反響する。犯した過ちへの罪悪感と、未だ救いを求めんとする浅ましさに、自分へ向けた物とは思えない程の侮蔑の感情が込み上げて来た。
 唇を噛み締め、肯定も否定もしないままイルクシュリの手を振り払う。

「……言いたいことはそれだけですか」

 吐き捨てればイルクシュリはまた笑った。
 見透かされたような態度に苛立ちが募る。踏み込まれる危機感に、頭の奥を鈍痛が襲った。

「まだあるヨ。でももう向こうの話が付いたみたいだからネ、また今度にしまショ」

 吊られ横を向いてみれば、イルクシュリ曰わく――自分とは違う手綱を握る――少女が、こちらを真っ直ぐ見据えていた。





 建て付けの悪い引き戸を開け、古ぼけた備品倉庫に立ち入れば、サンザは真っ直ぐ隅に積み重なった木箱の山へと向かった。
 足を木箱と壁の間にねじ込み、全体重をかけ無理矢理横へ滑らせる。
 埃が巻き上がり幾つか布や紙切れがサンザの頭へ降り注いだが、本人は気にした様子もなくその場にしゃがみ込んだ。床に溜まった埃を手で払えば、アッシアの説明通り、人が二人通れる程の大きさの隠し扉が現れた。

「あ、ホントにあった……」
「当たり前でしょう」

 ふとした感嘆でさえ間髪入れず否定される。
 一々苛立つ気力は今持ち合わせていないが、その辛辣さを受け止めて、ユキトの脳裏を真新しい記憶が掠めて行った。
 ――存在自体が間違いだ。生まれるべきじゃなかった。
 目覚めた直後、ロクな説明もないままに投げかけられた。生まれるべきじゃなかった、なんて、自分の存在を真っ向から否定された。サンザはユキトを気にする様子もなく、錆び付いた扉を力ずくでこじ開け中の様子を確認する。

「貴女はまだ入らないように」

 皮袋を肩に担ぎ、床に開いた穴へと足を踏み入れる。
 覗き込んでみれば梯子が暗闇の中へ伸びていた。サンザは一段一段確かめるように梯子を下り、通路へ着くと同時ランプに灯りを点した。

「問題ないようですね……」
「ねぇサンザ」
「ああ、構いませんよ下りて来て下さい」
「生まれて来るべきじゃなかったって、どう言う意味?」

 ランプの灯りに照らされていても、褐色の肌は暗闇に紛れやすい。サンザの瞳が青緑でなければ、見開かれたそれの存在にさえ気付けなかっただろう。
 ユキトは穴の淵に手をかけ、中を覗き込んだ。土壁に冷やされた空気が優しく頬を撫でる。

「先程から随分と悠長な質問ばかりするんですね。追われている自覚はあるんですか」

 反響するサンザの声に笑顔を返してみる。
 やはりサンザは表情を歪めたが、それでも口角を上げ続ける。

「答えてくれなきゃ下りない」

 今度は歯を見せてみた。サンザの顔は面白いように険しさを増して行く。
 最初会った時は表情のない人だと思ったが、何度か話せば意外と感情豊かなことに気が付いた。
 確かに、わざわざ今確認しなくたっていいかもしれない。でも、もし本当に王連院から追っ手が送り込まれたなら。自分はこれからサンザに守って貰わなければ、共に逃げなければならなくなる。
 どれくらいの期間になるか分からなくても、早い内にわだかまりを解消しなければ。その一心で、ユキトはサンザを見下ろし続けた。
 サンザは数度頭(かぶり)を振り、一度は梯子に手をかけ上ろうとしたが、思い留まったのかそのまま俯きすぐ様勢い良く顔を上げた。

「いらないでしょう、色無なんて強大過ぎる力。世界に待ち望まれていたとしても……貴女は必要としていなかった」

 今度はユキトが目を見張る番だった。
 だらしなく口を開けたまま、サンザの言葉を頭の中で反芻する。
 ――存在自体が間違いだ。生まれるべきじゃなかった。
 ――いらないでしょう、色無なんて力。
 二つの言葉は、同時に思い浮かべてみれば上手く繋がった。あれはユキトに対してでなく、色無と言う力に向けられた物――と解釈していいのだろうか。
 強過ぎる力は、望まぬ者の元に宿るべきでない。そう言いたかったとでも? それにしたって、あんな鋭い言葉なのに主語を抜いて発言するなんて。このサンザ・ニッセンには誤解を恐れる気持ちがないのか。

「さあ、答えましたよ。早く下りて来なさい時間の無駄です!」

 遠慮のない物言いは何度目だろう。
 思えば、サンザは始めから横暴の固まりだった。
いきなり人を突き倒すし、ナイフを向けて来るし、鎌の柄で思い切り殴って来るし、

「……でも、なぁ……」

 何をすればいい。
 森の中で問いかけた時サンザは答えてくれた。貴女が消したなら、貴女がまた作りなさい、と。その遠慮のなさが、遠ざけられて来たユキトにとっては心地良かった。
 貴女に出来ることをしろ。そう言われた気がして、認めるのは悔しいけれど、安心してしまったのだ。
 慇懃無礼を体現するような、この男の言葉に。

「下りる」
「だから始めからそう言って」
「受け止めて」
「……は?」

 すっくと立ち上がり、数歩後ろへ下がった。途端に暗闇の中から引きつった声が聞こえ始める。

「何を横着してるんです、こんな狭い所――梯子で下りて来なさい!」
「だって私左手怪我してるし、時間ないんでしょ? じゃっ、効率良く行かなきゃ!」
「待てっ、今上がる――」
「私担いで黒獣から逃げ回ってくれたでしょ、大丈夫! 行くわよっ、受け止めて!」

 暗闇へ、先の見えない漆黒へ身を落とす。
 恐怖を感じる程の余裕はない。だから今の内に、突っ切れる所まで進んでしまおう。足に力を込め駆け出せば、自然とアッシアの言葉が甦った。

「必ず、必ず伝えるべきことは伝える」

 約束だと呟けば笑ってくれた。
 この力が何を招くかなんて分からない。サンザの手を取って、何がどうねじ曲がってしまったなんて推測する気にもならない。
 約束したから。無知の不安も、今は受け入れる。



「――この馬鹿っ――!!」






 数多の色が混ざり、白と黒を作り出す。
 戻るには切り離さなければ。片割れを押し潰して、たったの一色へ帰るには。

 与えれば救えると思っていた。

 何にも染まらないで、どうか透き通る心のままで、貴方の痛みを貫いて。



 ――色無 空虚 透徹と夕景の砦より来たる―



第一章・青天霹靂 END




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