夕闇と共に‐3
十年前――全ての元凶となった、災厄の日。
クジェス王国を統治していた国王ユストゥス・ラド・クジェス、王妃ウラ、第一王位継承者バルドゥス、その他十一名の王族が何者かに殺害された。
ある者は王族以外何人たりとも進入出来るはずのない王宮の執務室で。ある者は屋敷に構えた自室の中で。ある者は視察中の名もなき村で。
目撃者によれば、まるで獣が腸を食い破ったかのように、突如臓腑を撒き散らし息絶えると言う凄惨な最期だったらしい。
その後、ユストゥスの従兄弟に当たるトゥークが国王に擁立されかけるが、彼もまた不審な死を遂げる。
黒獣の出現、度重なる王族の逝去。
まるで呪いだ、即位すれば自分も国王達の二の舞になるのではないか――漠然とした恐怖はあっと言う間に人の心を浸食し、打診された者は誰もが頑なにこれを拒否した。
そこで擁立されたのが、当時王族護衛軍隊長として名を馳せていた――アッシア・グランセスだった。平民の出でありながらその類い希なる剣の才能と頭脳を認められ、王族の為生きる騎士に任命された男は、僅か数ヶ月の後にクジェス国軍元帥の地位まで押し上げられた。
誰もが嘲笑った。傀儡だと。王族をこれ以上犠牲としない為、死んでも問題はないがそれなりに実績のある人間を祭り上げただけだと。いずれ事態が沈静化し、暗殺の首謀者が判明すれば、彼はすぐ国主の座を退くだろう、と――
だが、アッシアは、彼を取り巻く事態は、全ての期待を見事に裏切る。
王族殺しの大罪人は未だ影すら掴めず。黒獣の脅威は日々増大し。
必要とされたのは神の加護でも王族の祈りでもなく。
ただの人間に宿る至極単純な「力」だった。
「王連院は、その名の通り王へ連なる人間の集まりだ。だからこそ、平民でありながら王に成り代わった俺を敵視してる」
「……伯父さんを元帥に仕立て上げたの、王連院でしょう……」
「奴等にとって俺は開けた政治を国民へ強調する為の手段でしかなかった。だが、既に十年、事態は何も変わっていない。何とかこちら側の弱味を握ろうと向こうも躍起なんだよ」
宿舎の裏手、夕闇に紛れながら四人は合流した。
すぐ脇にある古びた備品倉庫、その床下に隠し扉が備えられ、そこからユキトとサンザが脱出する手筈だとイルクシュリが話す。
続いてアッシアに王連院の脅威を掻い摘んで説明されつつ、ユキトはイルクシュリに左手の治療を任せていた。
流れ出た血や黒獣の体液がスカーフで拭われ、銃を作り上げたのと同じあの橙の液体が傷口へ振りかけられる。冷たさも暖かさも帯びず、液体はゆっくり傷口へ染み渡って行った。
「ユキトちゃん、痛みが酷くなるようならサンザに言うんだヨ。色無の宿った君ならこんな傷すぐ治るだろうけド……念の為に、ネ」
包帯を手際良く巻き終え、イルクシュリの掌が優しく髪に触れる。
名前を挙げられたサンザは別段気にした様子もなく、宿舎の外壁にもたれ掛かり不機嫌そうに眉を顰めていた。
「ありがとう……御座います……」
「もーユキトちゃん、そんな顔しないでヨ! 大丈夫、サンザが付いてるし、王連院だって君の存在を確認してる訳じゃなイ。ちょーっとの間だけだヨ」
ユキトに外套を羽織らせながら、イルクシュリは軽やかな声色で明るい言葉を口にする。楽観視出来ない状況を隠す気はないのだろう、紡がれる理想論の青臭さが痛い程伝わって来る。
事態の全容も見えぬまま闇雲に逃げることがどれだけ危険か。どんな甘ったるい慰めを吐き出し、美しく取り繕おうとも事実は露見する。なら、滑稽と分かっていても演じるしかない。
ユキトはイルクシュリがそう考えているのだと解釈し、ただ黙って頷いた。
「サンザ、隠し通路から出たら南に歩け。アヌビの木に馬が繋がれてる」
「……山を行くしかなさそうですね」
「一晩難儀だと思うが、頼む。夜が明け次第いつもの宿に向かえ、これを見せれば話は通る」
アッシアとサンザが何やら相談していて、それが自分にも関わる内容だと理解しているが、全く頭に入って来ない。
俯き、外套の襟を握り締めれば、隣に立つイルクシュリがユキトの頭を自分の方へと引き寄せた。
「心配しなくていいかラ。大丈ー夫」
腰に二丁の銃を携えているのに、イルクシュリから鼻に付く火薬の香りはしなかった。
大丈夫。
何がとは聞き返せない。イルクシュリもきっと答えを持っていないのだろう。
「ユキト!」
名を呼ばれ、イルクシュリに促されるままアッシアの前に歩み寄る。
「お前はサンザから離れないようにしろ。不用意な行動は取るなよ」
「……それ以外は?」
「それ以外? いや、……とにかく、離れなければいい」
「離れないだけでいいの? 私は何もしなくていいの?」
小さく舌打ちの音が聞こえた。続いて、イルクシュリの声で「サンザ!」と。 目線だけ上げてみれば、あからさまに顔を歪めたサンザと目が合った。急いで逃げなければいけないのに、何悠長なことしてる――そんな声が聞こえてきそうだ。
だがユキトはサンザから視線を外し、再び俯いた。そして、普段の彼女からは想像も出来ないような、か細い声を絞り出す。
「――何も考えなくていいの?」
ユキト、と呼ぶ声は、微かな焦りを孕んでいた。
この声を覚えている。まだ今以上に幼くて、両親の死を受け入れられなくて、悲しみに押し潰されて、涙を零しそうになる、その瞬間。いつもこの声は自分の名を呼んでくれた。
昔は救われた。血を分けた肉親の存在が証明されて、荒れる心を何よりも迅速に宥めてくれた。
なのに。今届く自分の名は、どうしてこんなにも。
「やっぱり無理だよ……」
喉の奥が揺れている。泣きたい気持ちはもう消えた。今声を震わすのは、子供じみた決意だ。
「不安なのは分かる、だがここにいても――」
「そうじゃなくて!!」
一度張り上げればもう止まらない。
ユキトは顔を上げると、真っ直ぐアッシアの赤い瞳を見詰めた。戦士のように凛とした表情は、ついさっきまで困惑に俯いていた少女のそれとはかけ離れていた。
アッシアの瞳が見開かれ、視界の隅ではイルクシュリが割って入ろうとするサンザを制止している。
「何も考えないなんて、無理! 十年前とは違うの、あの時はホントに何もかも分からなくて、知らない間に全部起こってて、でも今はそうじゃないでしょう!」
「ユキト、」
「私に――私に、起こってることなんだから、……考えないなんて無理! 今度こそ自分で考えて自分で決める! だから!」
十年間ずっと悔しかった。両親を亡くして、それでも大丈夫だって言われて、何も考えるなって言われて、そうするしかなかった自分に、いつも歯がゆさばかり感じていた。
でも今は違う。色霊も色無も何もかも知らないことだけど、これは今自分に起こっている紛れもない事実だ。
何も考えないでいられる訳がないし、知らないままでいたくない。
「だから、「考えるな」なんて言わないで……!」
そうやって優しく突き放されるのが一番悲しい。何もかも、アッシアに一人で背負わせたくない。
アッシアはユキトから目を逸らさなかった。鋭い瞳に射抜かれれば、真意を読み取れないままでも萎縮してしまう。結局自分は何を伝えたかったのだろう。
今のでは、ただ子供が仲間外れにされてぐずったのと変わらない。
蚊帳の外に放り出されたのが悔しいんじゃなくて。アッシアが、自分の負うべき重圧を肩代わりしようとしている。それだけは許容出来ない、そう伝えたかったのだと、今になって自覚する。
「あ、の――」
「ユキト」
肩と頭に、微かな温もりが触れる。
両腕を広げて、背中に回して覆うように抱き締めるのではなく。添えた手にほんの少し力を込めて、アッシアは胸元にユキトの額を引き寄せた。
呆れられるか怒鳴られるかと気が気でなかったユキトは、突然の行為に息を飲む。
「やり方が間違ってたようだな。別にお前を除け者にしようとした訳じゃない、ただ――ああ、どっちにしろ言い訳か。ユキト、悪かった。お前の方がよっぽど冷静だったな」
ユキトは、アッシアの軍服に鼻先を擦り寄せた。かけられる言葉の一つ一つが、ない交ぜになった感情をあるべき姿まで引き離して行く。
「今は余裕がない。お前を安心させることも出来ない。それでも必ず、必ず伝えるべきことは伝える。考えればキリもないくらい不安だろうが、これはユキト自身に生まれた力が招いた結果だ。今は耐えてくれ」
今は耐えてくれ。
人によっては、これこそ「突き放された」と感じ心を痛める台詞だろう。誰しも不測の事態には動揺し素早い解決を願う物だ。だが、耐えてくれと言われれば、それ以上どうすることも出来ない。
だが今のユキトにとって、鉄格子にも似た逃げ道のない言葉が、何よりもの慰めだった。
「ずっと……そう言って欲しかったの」
元凶が私の力だと言うのなら、もう貴方に肩代わりなんてさせない。
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