夕闇と共に‐1


 穏やかな空に油断した。

「あっ、――」

 短い発声は何の役にも立たず、吹き込んだ風に続きランプへとぶつかり消えて行った。ランプの蓋を閉じておけば良かったと後悔するが時既に遅し。
 一瞬強くなった風が、あっさりとロウソクの火を消し去って行った。
 夕暮れ時、辺りは何処も彼処も赤く染まっている。このまま日が落ち切ればこの部屋の光源は月明かりだけになってしまうだろう。
 ユキトは自らの不注意を憂いた。
 普段なら隣人に火を借りればいいし、道具さえあれば自分で火を起こすことだって出来る。だが此処は勝手知りたる自宅ではない。
 昼間担ぎ込まれた警備隊宿舎の一室は、ベッドとサイドテーブル、後は小さな椅子とこれまた小さな箪笥が置いてあるだけ。無闇に出歩くなと指示された今、下手な行動も出来ない。

「まだ寝るには……早いな、夕飯食べてないし」

 独りごちながら、夕焼け色に染まったページを一枚捲る。それはイルクシュリから退屈しのぎにと渡された一冊の本だった。
 表紙は高級そうな光沢を放つ茶色の革で、膝の上に乗せればズシリと重く、普段目にする乱雑な造りの本とは似ても似つかない。
 上質な本に触れる機会を持たなかったユキトは、赤子を抱くようなたどたどしい手付きで付属の栞を挟み込んだ。
 内容は、何処を開いても色霊のことばかり。
 最初のページは、目次でなく聞いたこともない御伽噺が記されていた。色霊を創った神様の話らしい。後はイルクシュリから聞いた必要最低限の説明が続き、そこから先は難しくて殆ど読み進められていない。
 元々読書する週間がない上に、単語の殆どが専門用語なのだから仕方ない。見事な責任転嫁の後、ユキトは本をサイドテーブルに乗せた。そして隣のランプを手に取ると、ベッドから足を下ろす。

 アッシアとの邂逅を終えてからも、イルクシュリは時折部屋を訪ねてくれていた。火の消えたランプを扉の外に置いておけばいずれ気付くだろう。
 それまでは、朧気な明かりの下で読書に勤しむしかない。難解な文章相手だが何もせず過ごすよりはマシだ。
 扉を半開きにし、床にランプを置く。
 廊下にも幾つかランプが備え付けられていたがまだ明かりは点っていない。この階の部屋は普段使われていないとイルクシュリが話していたから、誰かが点しに来てくれる望みは薄いだろう。
 やはりこうやって明かりが消失したことをアピールしておくしかないようだ。諦め混じりの溜め息を吐き出し、部屋に戻ろうとした時だった。

「何をしているんですか?」

 聞き覚えのある声に、顔を上げた。
 低くて厚みがあるのに、抑揚のなさに何処か力が抜けてしまう独特な声。

「サンザ……」

 扉から部屋三つ分程離れた廊下に、サンザは立っていた。昼間部屋で会った時と同じ髪を解いた姿だが、重たげなコートは着ていない。
 ――と、視認出来たのはそれくらいで、薄暗い廊下、しかも距離があるせいで、顔には影がかかってしまっている。

「眠るんですか? 御存知ないかもしれませんが、火と言う物は息を吹きかければ簡単に消えるんですよ。部屋を暗くしたいからといってわざわざランプごと外に出さなくても」
「分かってます!! て言うかわざと言ってんでしょそれ!?」
「ええ、大方不注意で消してしまった物の出歩かないよう指示されているので扉の外にランプを出しておいて気付いて貰おうとしたとかそんな所でしょう」
「はーい見事な御名答!!」

 そこまで事細かに予想出来ているなら、何故わざわざ嫌味を口にするのか。つくづく理解出来ない性分だ。このサンザと言う男は。
 まどろっこしい会話に地団駄を踏みそうになっていると、サンザが厚いブーツの底で床を打ち鳴らしながら歩き始めた。
 悔しいがスラリと長い彼の両足は、瞬く間に開いていた距離を跨いでしまい、そのままユキトの目の前で立ち止まる。そして視線も合わさないままその場にゆっくりしゃがみ込んだ。
 ここまで近付けばよく分かる。
 サンザの右手は、植物を思わせる模様が刻まれた、真新しいランプを握っていた。手袋をはめたままの手で蓋を外すと、中から火種を取り出し、足元のランプへと差し込む。

「え、あ……ありが、と」
「さっさと部屋に戻って下さい」

 ユキトの言葉に答えないまま、開いた左手にもランプを携えサンザは立ち上がる。左手の――ユキトが火を消してしまったランプには、橙の温かな光が灯っていた。
 無言で差し出されたそれを受け取ると、サンザはすぐ様踵を返す。
 ……そんなに早く立ち去りたいのか。不満に思わず口を尖らせたのと同時、広い背中が真新しい記憶を思い起こさせた。
 無意識の内に右手がサンザを服を掴む。
 初めて酒場で会った時は焦る余り髪を思い切りひっ掴んでしまったが。今回は、そっと袖を握り締める。

「ねぇ、ちょっと待って」
「……何ですか」

 美的感覚に自信のないユキトだが、それでもサンザの顔立ちはなかなか整っていると思う。
 終始眠たげに細められている物の、瞳は硝子玉のような美しい青緑。その瞳の間を通る鼻梁は程良い高さで、知的な雰囲気を一層強めている。
 真一文字に結ばれた口元のせいで冷たさが強調されてしまっているが――世の女性は、それすら魅力的に思うかもしれない。
 せっかくいい物持ってるんだからもっとニコニコすればいいのに。ぼんやりとお節介も甚だしい思考を巡らせた後、ユキトは口を開いた。

「詳しい話聞いたんだけど。仕事、だったのよね。あの場所で密売が行われるから、捕まえる為に待機してたって」
「……全くその通りですが、それで?」
「私が押し付けたキッシュ食べながら」
「…………それ、で?」
「おっ、怒んないでよ冗談じゃない!! ……うん、だから、あの……ごめんなさい」

 出来る物なら目を瞑ってしまいたかった。だが、非を詫びる当人がそんな様では伝わる物も伝わらない。
 ユキトはランプの取っ手を握り締めると、真っ直ぐサンザを見据えた。

「入るなって言われてたんだけどちゃんと聞いてなくて。邪魔した上に、怪我までさせて。ごめんなさい」

 一度頭を下げるが、またすぐしゃんと背を伸ばした。
 サンザは今にも閉じそうだった目を微かに見開いている。驚いているのか、それとも何か他の感情か。読み取る術など持たないユキトは、続く沈黙に耐えられず半ばやけくそで声を荒げた。

「……申し訳ありません、の方がいい!?」
「何で貴方が怒ってるんですか」
「怒ってないけど!! 忠告してくれた人間に文句抜かした分際で掌返して謝るとかもう大分恥ずかしいの!! 勢いくらい付けさせてよ!!」
「酷い言い分ですね……」
「自分が一番分かってる!! あーもーいいとにかく謝りたかっただけです部屋戻るから、」
「いいことを教えてあげましょうか」

 嫌味を言われる前に逃げ出そうとしたが、サンザの言葉に引き止められる。

「……いいこと?」

 何の脈絡もない会話の切り口だが、いいことと言われれば無視は出来ない。頭一つ分高い場所にある瞳を見詰めながらユキトは次の言葉を待った。

「貴女が持つ色無と言う力。この国にとっての――そうですね、救世主と言った所でしょうか」
「救っ、世、主っ!?」
「ええ。色無を使えば、より迅速に、圧倒的に、黒獣を滅することが出来る。皆が待ち望んでいた存在です」

 自らが持つかもしれない力、色無。
 それを救世主などと称されユキトは面食らった。
特別な力とはイリから説明されていたが、この辛辣を具現化したような人間に「待ち望んでいた」と言われるなんて。
 サンザは困惑するユキトと視線を合わせないまま、淡々と続けた。

「どうします?逃げますか?」

 ――全く質問の意図が掴めない。
 どうします、って、何を?逃げますか、って、何から?
 サンザを凝視してみるが、相変わらず視線は逸らされたままでかち合わない。

「全っっっ然話の流れが読めない」
「そんなことだろうと思っていましたが……ハァ」
「あからさまな落胆どうもありがとう」
「どういたしまして」
「いえいえこちらこそ……って違ぁぁぁう!! 何なのその会話の放り投げ方!! 何が! 何を! どうして! ちゃんと説明して!!」
「……貴女が、周囲の期待から、自由になる為、逃げますか?と聞いたんです」

 サンザの目が動く。途端、身を包む薄ら寒さにユキトは大きく震えた。
 射抜くような視線は迷いなく、指一本の動きすら制止する。



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