今知る、その名は‐6


「で、でもさ、伯父さん。私本当に巻き込まれただけなんだって!」

 アッシアが自分の身を心配してくれたのはよく分かった。それでも、自ら黒獣の前に飛び出して行ったと勘違いされては堪らない。
 ユキトが言わんとする先を理解したのか、アッシアは額に手を当て俯いた。

「もうその発言で大体の事情は読めるけどよ……お前、俺が送った手紙は読んだか?」

 手紙。そう言われ思い浮かぶのは、昨晩サンザから受け取った封筒。
 世間には天涯孤独と公表しているアッシアが、そう頻繁にユキトを訪ねることは出来ない。その為公務でカトンに立ち寄る際は必ず手紙を出した。
 周囲に気付かれないよう密会する為、時間や場所を指定し、ほんの僅かでも肉親同士水入らずの時間を過ごす為。
 確かにユキトはその手紙に目を通した。朝の二回目の鐘が鳴る辺りでユキトの自宅へ迎えを寄越す・と。確かに、アッシアの字でそう記されていた。

「読んだけど?」
「最後まで、か?」
「え」
「紙はいつも通り三枚あった。三枚目の最後までキッチリ目を通したか?」

 そう問われると、ユキトの表情があからさまに引きつった。

「……読んで、ねぇな?」
「いやっ、違っ、いつもはちゃんと読んでるって! ただ昨日は酒場がほんっと忙しくて家帰ったのも夜中でとんでもなく疲れててとにかく時間と場所さえ確認すればいっかってどうせ三枚目はいっつも「男出来たか」とか「女らしくしろ」とかお決まりの説教ばっかりだし」
「その三枚目に森に入るなって書いてたんだよ!! あんな時間帯にあの場所に立ち入る物好きはお前くらいだろ!」

 ユキトはやっと、アッシアの怒りを理解した。ユキトにとっての故郷は、アッシアにとっても弟と義妹を亡くした悲しい思い出の土地。
 それでも確実に回復する様を伝えたくて、アッシアに会う時、集落のあった土地で花を摘み手渡すのが最早恒例行事となっていた。葬り去られた集落も焼け焦げた大地も、十年の時を経て草花が自生するまでになっている。
 それを、生き生きとした美しい花でアッシアに証明したかった。
 恒例行事だったからこそ、ユキトの行動をアッシアは予見していたのだ。朝方会うとなれば、少しでも新鮮な花を渡そうと早くに森へ入るだろうと。

「あの周辺は周りからも呪われた土地として恐れられてる。だから商人――いや、密売人共は取引場所に選んだんだよ」
「取引?」
「……とにかく、その情報が入ったからサンザを向かわせた。取引現場を抑えて一網打尽にする為にな」

 アッシアはうなだれ、慰めの言葉すらかけられないくらい露骨に肩を落とした。

「まさかお前がそこにノコノコ乱入するなんて……頼むから、俺の白髪増やす真似は止めてくれ……」

 悲痛な訴えに、ユキトは自分の犯した失態を嫌と言う程実感する。
 あの商人達が何を取り引きしようとしていたかは知らないが、あれだけの戦闘能力を有するサンザが遣わされたのだから、公に出来る商売ではないのだろう。
 姪の身を案じわざわざ手紙まで寄越してくれたと言うのに。自分は脳天気にサンザの邪魔をし、挙げ句アッシアにまで迷惑をかけてしまった。
 ユキトは目に見えて表情を暗くし、反省するように身を小さくした。

「ごめんなさい、……でした」
「何だそりゃ。まぁ、もういい。無事で反省してんなら」

 ユキトの額を右手で小突くと、アッシアは困ったように笑って見せた。大きな掌の影から、その笑顔を見上げる。
 こんな顔をさせたくなくて、激務に追われる伯父の心配事を一つでも減らしたくて、幼い頃から働いて早く一人前になろうとして来たのに。
 またこの人を困らせてしまった。
 ユキトは口を噤むと、膝の上で拳を握り締める。自分を叱咤するかのように、強く。

「色々、話したいことあるけど……無理、よね」

 言い終わると同時、アッシアから視線を逸らした。またあの笑顔を見せるに決まってる。自分の意見や我が儘を押し殺した、「元帥らしい笑顔」を。

「そうだな。あまり長居すると、周りに怪しまれる」
「だよね。……わざわざ来てくれてありがと」
「変な気遣うな。また夜になったら時間作る。それまで、大人しく寝てろ」

 そう言うや否や、アッシアはユキトの頭を鷲掴み滅茶苦茶に撫で回した。余りに突然で、首を激しく揺さぶられながらもされるがままで。
 やっと我に返り右手を振り翳したが、既にアッシアは背中を向け扉に向かい歩き始めていた。とっさに「伯父さん」と口走りそうになるが、息を詰め堪える。
 引き止めることなんて出来るはずがない。

「勝手に歩き回ったら女将に言い付けるぞ」

 そんな捨て台詞を残して、一度も振り返らないままアッシアは扉の向こうに消えて行った。扉が完全に閉じられた直後、部屋の隅から小さな笑い声が聞こえ、ユキトはやっとイルクシュリの存在を思い出す。イルクシュリは扉のすぐ隣で肩を震わせ、色眼鏡に隠れた目を擦っている。

「直接話してるの初めて見たヨ。仲良いネ、ホント」
「ごっ、ごめんなさいうるさくって……」

 ユキトの謝罪に、「いーよ面白かったかラ」と脳天気な答えが返って来る。

「あの、イリさん、私と伯父さんのコト知ってたんですか?」
「だーって朝ユキトちゃんアパートまで迎えに行ったのオレだもン。いなかったけどネ。探し回って街中全力疾走したけどネ」

 そう言うと口を尖らせながらいじけたように床を蹴って見せる。
 何処からどう見てもいい大人のイルクシュリが、拗ねた子供のように頬を膨らませる物だから、ユキトは謝罪しながらも思わず吹き出してしまった。
 四ヶ月振りの再会があまりにあっさりと打ち切られ、正直な所気分が沈みそうだったのだが。イルクシュリのおどけた態度に少し救われた気がする。
 温まったユキトの心を見抜いたのだろうか。イルクシュリは満足げに二度と頷くと、ゆっくり壁に凭れ掛かった。

「時間なんとか作って貰うからサ。また夜会えるヨ」

 優しい言葉は、間違いなく自分を気遣っていた。ユキトはそれを理解し、「ありがとう御座います」とにこやかに応対して見せる。出来る限り自然であるよう努めながら。

 ――嫌だなぁ……
 前例のない場所に黒獣が出現し、一般人である自分まで巻き込まれて。
 監査員や住民への説明、今後の対策。
 軍の内情や政治経済に疎いユキトでも、アッシアがどれだけの重圧に晒されるか容易に想像出来る。
だからこうやって自分を見舞ってくれたことすら、本当は叱咤して拒絶しなければいけないのだ。
 私なんて心配しなくていいから仕事に専念しろ、と。
 なのに、喜んでしまった自分がいる。また後で話出来るかと、期待してしまう自分がいる。
 どう足掻いたって重荷にしかなれないのか。幼い頃から抱き続ける苛立ちに、ユキトは笑顔で蓋をした。



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