今知る、その名は‐4


 途端、ユキトはその大きな瞳を更に見開く。だがそれは恐怖や警戒故の行為でなく――単純な、驚き。

「酒場で働いてるなら、傭兵とかが持ってるの見たことなイ?」

 イルクシュリの右手に握られていたのは、銃。
 確かに何度か直接目にしたことはあった。だがユキトの記憶にある「銃」よりもずっと小さく、掌で覆い隠されてしまいそうなそれは、まるで玩具のようで。
 そして何より――色が、おかしい。
 警備兵の抱える銃は、素材の色か塗料の色か分からないがとにかく地味な色合いばかりだった。大抵は濃く暗い茶色、金属部分が僅かに金色だったとしても派手な印象を覚える程ではない。
 だから、おかしいのだ。目の前の銃はどう見ても鮮やかな「橙色」。
 権力の象徴として金持ちが持つ、金や銀の銃なら偶に見かけるが。それでもこんなど派手な色の銃は見たことがない。ユキトの脳裏を、「悪趣味」と言う言葉が過ぎる。

「……本物……?」
「アハハ、見えないよネーこーんな悪趣味な色の銃」

 銃身を指先でなぞりながら、イルクシュリはまた笑って見せた。

「さてさて、ここからはタネも仕掛けも御座いませんヨー」

 長く細い人差し指が、銃身の上で跳ねる。
 ユキトの鼻を弾いた時のように、軽く、一度、二度。

「アルファル・オ・ル・リニー、ヤハスェ・ディ・ファルサ」

 紡がれた言葉と同調するように。
 橙の銃は淡く光を放ち、穏やかな輝きの中輪郭をあやふやにすると、瞬く間に、溶けた。
 ――これが初見の出来事なら、ユキトは前のめりになって驚いたかもしれない。だが一度サンザが作り出す様を見ていた為、心は不思議と落ち着いていた。代わりに、胸と腹の真ん中辺りがざわざわと不自然な熱を帯び始める。
 イルクシュリの掌で銃は完全に橙の球体へと変貌していた。
 楕円形のそれは、アスタ種の鶏が産む巨大卵によく似ている。勿論こんな橙の卵が産み落とされる訳ないのだが。そんなことがあれば天変地異の前触れかと村中大騒ぎになるだろう。
 ユキトは球体に触れようとしてみたが、腹の中でうねる奇妙な熱が口元までせり上がり、とっさに手を引っ込めてしまった。

「……森の中で、見た。サンザも同じこと……」
「うん、この動きが基本だからネ。色の宿った液体を自由に操り戦うって言ったでショ? あれってこう言うことなノ。各々自分に合った武器をこの液体で作り上げて戦ウ。色霊師の意識さえハッキリしてれば、壊されてもある程度までは復元可能だシ」
「……色霊師?」
「あ、ゴメンゴメン言い忘れてたヨ。この能力を使う人間のコトを色霊師って呼ぶノ。で、さっき言った通り君はその中でも特別中の特別。色無って力を恐らく持ってまス」
「色、無……」
「色無にはネ、文字通り色が無いノ。だからどの色にも――」

 言葉は、ノック音に遮られた。
 コン、コン、と、たっぷり時間をかけて二回。誰かいるのかと、ユキトの視線が目の前の球体から扉へと移動する。

「アルファル・オ・ル・リニー、ヤハナキ・ディ・キドゥ」

 イルクシュリの声に反応し視線を戻した時、球体は再び銃へとその姿を変えていた。

「授業は一時中断でス。ユキトちゃん、君はこれからお説教ヨ」

 ――お説教?
 一体何のことかとユキトが聞き返すより早く、イルクシュリが扉に向かい声を張り上げた。

「どうぞお入り下さい、アッシア・グランセス元帥閣下!」






 木造の廊下は、歩を進める度歪に鳴いた。
 サンザはその音を特に気にもせず、淡々と、黙々と歩を進める。警備兵は黒獣の後始末に駆り出されたのだろうか。殆どすれ違うことなく、閑散とした建物はひたすら足音と陶器のぶつかり合う音を反響し続けた。
 角を一つ曲がれば、中庭の中央を突っ切る渡り廊下へと辿り着いた。
 男所帯の警備部隊、その宿舎に設けられた中庭。
当たり前だが彩り鮮やかな花々が栽培されているはずもなく。足首辺りまで伸びた雑草と細く湾曲したサフィーラの木だけが、虚しく風に吹かれていた。

「サンザ――!!」

 殺風景な中庭に、けたたましい重低音の叫び声が響いた。
 声の方向――サンザが今正に渡らんとしていた廊下の突き当たり――に目をやれば、激しく手を振る人影が。
 とっさに踵を返し全速力で逃げ出しかけたが、手の中にある「物」の存在を思い出し、止める。その僅かな葛藤の間に人影は最早影でなくなっていた。

「よっ、災難だったなぁ!」

 黒髪と碧眼を持つ青年は、どれだけの速度で走ったのかサンザのすぐ隣にいた。拳一つ軽々入りそうな大口を開き笑いながら、同じく大きな手で思い切り背中を叩いてくる。
 サンザは瞳を歪め、青年を睨み付けた。
 いつもなら。普段通り、なら、この無遠慮な仕打ちに容赦なく反撃出来るのに。何て邪魔な物を押し付けられてしまったんだ……割れんばかりの強さで盆を握りながら、サンザは深く長い溜め息を零す。

「……ん? 何だ? そのティーカップ」
「ギデオーグ……貴方、今気付いたんですか……」

 サンザの手には、薄茶色の一枚の盆。更にその上には陶器製のティーカップと小さなポットが置かれていた。何故かティーカップには既に紅茶が注がれており、仄かな甘酸っぱさを含んだ香りが湯気と共に漂う。
 薄紅の紅茶に浮かぶ花弁は鮮やかな桃色。大柄で全身黒づくめなサンザには、上品な白のティーカップも、可愛らしい桃色の紅茶も、全くもって似合っていない。
 ギデオーグは盆とサンザを交互に見、一呼吸置いた後盛大に吹き出した。

「アハハハハ似っ合わねぇ! 何でお前がそんなモン、ブハッ!」
「飲み物を貰いにいったらイサルネがこんな物用意して来たんですよ」
「ハッ、イサルネかよ! そりゃー運悪かったな、アイツのは天然だ!」

 そのイサルネと言う人物に心当たりがあるのか、ギデオーグは腹を抱えて笑い転げる。
 が、サンザの凄まじく邪悪で険しい表情が目に入ったのだろうか、目尻の涙を拭いながら、呼吸を整え始めた。そして正面に移動するとしげしげと顔を眺める。

「にしても、安心したよ。黒獣相手に下手踏んだって聞いた時は心臓が股まで下りて来るかと」
「冗談は結構です」
「おっ前……ちっとは付き合ってくれや」

 切れ味鋭い制止の言葉に、ギデオーグは苦笑した。苦笑しながら、ティーカップの間を縫うようにして、サンザの胸に拳を当てる。

「心配した・ってコトだよ。生きてて良かった」
「それはどうも」

 サンザは視線を紅茶の水面に落としたまま、緩い口の動きで無感情に答える。ギデオーグも大して気にしていないのか、満足そうに頷いて見せた。そうしてまるで父親のように優しく力強く微笑む。
 サンザは眉を顰め、この青年はつくづく理解出来ないと心中で呟いた。
 そもそも全軍の中から選び抜かれた護衛兵と、何の肩書きもない戦闘員とでは立場が違う。その上無愛想で慇懃無礼な自分に、こんな風に声を掛けて来ること自体、サンザには不自然に思えて仕方なかった。
 会う度覚える不可思議さに、サンザはふと記憶に新しい顔を思い浮かべた。
 そう言えば……あのユキト・ペネループと言う少女からもこの青年と同じ匂いがした。せっかく人が張った防御壁を、乗り越えもせず叩き割り蹴り壊してくる図々しさ。息苦しい程の暖かさ。
 ――ああ、だからだろうか。ユキトに対して自分でも驚く程辛辣に接していたのは。気を緩めれば踏み入れられそうで、つい手っ取り早く伝わる言葉を手酷い物にしてしまう。
 第一印象が最悪なのは分かっている。それでも後悔なんてしていないし、むしろこれからもそうする以外術はないのだが。
 紅茶の甘ったるい香りが鼻につく。陶器の純白まで眩しく感じる。
 サンザは数度頭を振ると、ギデオーグと視線を合わせないまま渡り廊下に足を踏み入れた。

「あっ、おい何処行くんだよ」
「元帥閣下はどちらにいらっしゃるんですか? 先にイサルネに声を掛けたのが間違いでしたね……こんな物持って右往左往する羽目になる……」
「何だお前閣下探してたのかよ。閣下ならさっきここ通って宿舎に行ったぜ? ほらあのユキト・ペネループに面会しに」

 サンザが今正に出て来た建物を指差しながら、ギデオーグは言う。

「あれ? じゃあお前閣下と行き違いになったの知らねーで紅茶持ったままウロウロしてたのか? あっは何だよ骨折り損じゃねーか!」

 ギデオーグが再び笑い始める。 有らん限りの大口を開けて。
 その無駄に大きな口に拳をねじ込んでやろうかと思ったが、それでは汚い上に盆を落としてしまうので、もう紅茶が二・三滴零れるのを覚悟の上で。
 尻に思い切り蹴りを叩き込んでやった。



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