今知る、その名は‐2


 サンザは我関せずと言った様子で手元の本に目を落としている。もう一度、旋毛から爪先まで舐め回すように観察してみるが、やはり不自然な点は見受けられない。

「ああ……良かった……ホント死ぬかと思ったんだから……」

 脱力し、再びベッドへと身を横たえる。
 清潔さを香りに含んだ白いシーツは、滑らかにユキトの体を包み込み、自らの体温が仄かに残るそれは何とも心地良かった。
 サンザの無事を確認し安心し切ったせいか、このまま目を閉じれば何の障害もなく眠りに落ちる――
 訳が、ない。

「で!? ここ、何処よ!?」
「貴女虫でも湧いてるんですか? 全くじっとしていませんね」

 シーツを引き裂かんばかりの勢いで捲り上げると、そのままベッドから飛び降りサンザに駆け寄る。やっと本から離れたサンザの視線は、それでもユキトを直視せず背後のベッド辺りにぼんやり向けられていた。
 だがそんな些細なことに構っていられない。ユキトは更に距離を縮め思い切り叫ぶ。

「診療所じゃないわよね!? あそこのベッドこんな綺麗じゃないし!」
「この街の診療所のベッド事情は把握していませんが、まぁ確かに違いますね」
「まどろっこしい言い回し止めてくんない!? だから何処!?」
「……本当にやかましいですね貴女……此処は警備兵宿舎ですよ」

 はぁ。わざとらしい溜め息に、本の閉じられる乾いた音が続いた。

「警備兵……宿舎? 何でそんな所に……」

 発せられた意外過ぎる解答。一般人である自分がわざわざ警備兵宿舎に運び込まれる理由なんて、皆目見当が付かない。再びの説明を求めサンザに目をやる。……が。
 何故かサンザは目元を覆ったまま、それはもう盛大に項垂れていた。後もう少し頑張れば周りに魂でも飛ぶんじゃないかと思うくらい。
 その光景を目にした瞬間は体調が悪化したのかと肝を冷やしたが、ブツブツ何か呟き始める辺り、どうやら原因は別にあるようだ。

「有り得ない……」

 一言だけ、それでもハッキリと聞き取れた。
 何が?と首を傾げ、椅子に腰掛けたままのサンザを覗き込む。だが答える気がないのかはたまた質問自体耳に入っていないのか、独り言は止まらない。

「幾ら可能性が一つしかなかったとは言えあんなヤケクソな……しかもまさか成功するなんて、そもそも今出現すること事態……」

 独り言の意図が理解出来ずともハッキリ思う。……出来れば、この状態のサンザとは関わりたくない。
 だが、「有り得ない」と頭を抱え唸りたいのはユキトも同じなのだ。悪いが気を遣って事態の沈静化を待つ余裕はない。ユキトは一度深呼吸すると、サンザの肩を思い切り掴みその場に膝を付いた。
 気だるそうに上げられた視線。
 こんな状況だが、至近距離で見る青緑の瞳は宝石みたいに綺麗だった。

「……何ですか」
「何ですか、じゃない。落ち込んでるトコ悪いけど私は落ち込むコトすら出来ないくらい訳分かんないの。お願い、説明して」

 やっと合った視線がまた逸らされる。
 だがその行為は、気まずさを感じていたり、言葉を探している風ではなく。とても自然な――例えば瞬きと同じような無意識の――動作に思えた。

「……色霊(しきだま)」

 サンザはユキトの手に掌を重ね、そっと自らの肩から引き離した。右・左と外されて行く間、ユキトはサンザの発した単語を反芻する。

「……色、霊?」
「初めて聞く言葉ですか? それともとぼけているとか?」
「なっ、違っ、」
「どちらにしろ。色霊は、理(ことわり)を跨ぐ力です。そして貴女はその中でも更に特別な能力を持っている可能性がある」

 理を跨ぐ。
 比喩するにしたってもうちょっと分かりやすい単語があるだろうと、ユキトは眉を顰めた。
 だがサンザの表情に変化はない。理解出来ないユキトを嘲るでもなく、先程のように辛辣な発言で謗ることもせず。ユキトの両手に目線を落としたまま、薄く唇を動かした。

「……間違いだ」
「え?」
「存在自体が間違いだ。生まれるべきじゃなかった」

 ――今何て言われた?
 ユキトの口が開かれる前に、重苦しい空気と真逆の、底抜けに明るい声が扉の向こうから届いた。

「サンっザー、もしかしてユキトちゃん起きてるネ?」

 声と同じ軽い音程のノック音。サンザは答えるように舌打ちする。
 目の前に座るユキトを無視し立ち上がると、大股で扉に向かい、ドアノブに手をかけそれはもう思い切り開け放った。途端「ギャッッ!!」と蛙の断末魔にも似た悲鳴が上がる。
 ……見えなくても予想出来た。十中八九、誰かが扉と壁の間に挟まれているのだろう。

「酷いヨっサンザ、いきなり何するネ!」
「……いたんですか。気付きませんでした」
「嘘でショ! 絶対気付いてたでショ!」

 高いけれど男性とすぐ分かるクセのある声が、扉の向こうで響き渡る。そしてサンザの脇をすり抜け、一人の青年が部屋へ足を踏み入れた。

「おっはよーネ、ユキトちゃん」

 真っ黒に塗り潰された眼鏡のせいで、青年の瞳は全く見えない。
 それでも、弓なりの眉、大きく半月型に開かれた口、おどけて敬礼する仕草、明るい言葉、その何もかもが、異様な風体から醸し出される威圧感を著しく緩和させていた。
 青年は表情を崩さないまま、軽い足取りでユキトへと歩み寄る。真っ赤な上着が、起きがけのユキトには眩しかった。

「でも感心しないネ、君は怪我人ヨ? まーだベッドから起きちゃいけませン」

 そう言ってユキトの脇に手を通すと、半ば無理矢理立ち上がらせる。
 よろめきながらも膝を伸ばしたユキトは青年に導かれるままベッドに向かい、促されるまま腰を掛けた。

「……あなた、は……?」
「イルクシュリ・ミーザ・ラクナハルトゥ。長いから「イリ」って呼んでちょーだいネ、ユキト・ペネループちゃん?」

 首を傾げ、口元には人差し指。いたずらっ子のような仕草にどう反応して良いのか分からず、ユキトはただじっとイルクシュリを見詰めた。

「……さて、見るからにパニックになってるみたいネ。サンザ相手じゃまだロクな説明して貰ってないんじゃなイ?」

 まるで今までのやり取りを静観していたかのような発言。とにかく頷くことしか出来ないユキトを見て、イルクシュリは「やっぱりネ……」と呟く。
 そしてそのまま俯くと、人差し指でこめかみをリズム良く叩き始めた。よく見れば口角は小刻みに痙攣している。

「サンザー」
「ついさっき起きた所です。それに、説明だの何だのは貴方の方が得意でしょう」
「そーゆー問題じゃないネ。ホントに、開き直っちゃ駄目ヨ」

 短い髪を乱暴に掻きながら、イルクシュリは体を反転させ背後のサンザと向かい合う。

「……じゃ、君はお使いに行ってらっしゃイ」
「は?」
「え?」

 意外な言葉に、サンザだけでなくユキトも思わず声を上げた。
図らずも被ってしまったそれが滑稽だったのだろうか、イルクシュリは一度盛大に噴き出し、肩を揺らし始めた。
そんなイルクシュリと対照的に、サンザの表情は見る見る歪んで行く。

「……何ですか」
「や、だから、ネ。ユキトちゃんが目覚めたなら報告しないといけないでショ? 後何か飲み物でも持って来てあげてヨ。待機室に行けば何かしら用意してくれるかラ」
「何故私が?」
「だってユキトちゃん目覚めて諸々の説明もオレがするなら、君、やるコトないでショ? 怪我も殆ど治ってるんだシ。お仕事してちょーだイ」

 背を向けたイルクシュリの表情はユキトから確認出来ない。ただ、このまま彼を刺すんじゃないかと不安になるようなサンザの表情は、嫌でも視界に入って来る。
 サンザは歪みなく顔面を歪めたまま、無言でイルクシュリを睨んだ後、荒々しい足音を立て部屋から出て行った。

「……もー、子供なんだかラ。いきなり二人っきりにされたら困っちゃうよネー」

 太陽と土を混ぜたような暖かい狐色の髪が、陽光に照らされ光沢を帯びる。それを見てやっと、ユキトは日が随分高い位置にある事を自覚した。
 自分があの森に入ってからどれくらい時間が経っているのだろう――



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