暴食の黒‐7


 突然の言葉にサンザは目を見開いた。しかしすぐ元の、何処か気怠げな伏し目がちの瞳へと戻る。
 それとは対照的に、ユキトの瞳はハッキリと開かれていた。驚きに見開かれたと言うより、目の前の光景を、サンザを、真っ直ぐ見届けようとする強い意志の宿った瞳。
 片や色彩鮮やかな青緑。
 片や色彩を塗り潰す漆黒。
 異なる瞳は、相手が何を考えているか一言一句読めないまま、互いの違いを認識し合った。
 落ち着き払った態度を第三者が見れば、二人共今この瞬間を予知していたのかと勘違いするだろう。だが、確かに、何も知らないままでいた。
 ユキトはただ愛する人へ捧げる花を摘みに、サンザはただ愚かな罪人へ裁きを下しに来ただけで。分かっていないのだ。何も。何故サンザの武器が消えたのか、何故そこにユキトの願いが重なったのか、何故何も持たない状態で示し合わせたように二人手を差し出すのか。
 ただずっと、今為すべきことだけが脳裏を過ぎり続けている。

「貴女が消したなら、貴女がまた作りなさい」

 サンザの、赤い液体に塗れた右手が真っ直ぐ突き出される。ユキトは迷わずその大きな掌に自らの指を絡ませた。赤い液体は指を伝い、腕に流れ落ちる。
 ゆっくり。
 ゆっくりと、目を閉じ、握り締めた右手をユキトは自らの額へ導く。
 洗礼を与える神官のように厳かな一挙手一投足、途端周囲の空気が限界まで張り詰めた。
 黒獣の叫びが遠くなる。おぞましいはずのそれが、懐かしい。まるで血を分けた家族に抱くような、呼吸を締め付ける感情の疼き。
 懐かしくて虚しかった。
 一体それは、私達どちらの感情だったのか。






 ――この瞬間の全てを理解している存在があるなら、迷うことなくそれを神と呼ぼう。
 イルクシュリ・ミーザ・ラクナハルトゥは、まずそう思った。
 そして、そんなこと後回しにすればいいのに、爆風で吹き飛ばされた色眼鏡を拾い上げ、それから再び真正面に視線を向けた。許容範囲を越す情報に襲われた時程、どうでも良い言動を間に挟みたくなる。
 眼前には赤と黒。
 見知った顔が、土煙の向こう、朝日を背にし佇んでいた。

「サンザ……?」

 問う間でもない、彼はサンザだ。 流れる灰色の癖毛、鮮やかな青緑を隠すよう伏せられた瞳、太陽の加護を受けた褐色の肌、その加護を覆い尽くす黒い服。そして、両手に握られた美しい真紅の大鎌。
 何もかも寸分違わずイルクシュリの記憶通り。なのに、イルクシュリは彼の名を呼ばずにはいられなかった。
 違う、あんなモノ、見たことない。頭の中で自分が叫ぶ。
 サンザの背丈程もある赤い大鎌は明らかに異質だった。今まで彼は、無駄な装飾の少ない、悪く言えば見応えのない平凡な外見の鎌ばかり作り上げていたはず。
 装飾を好む質でなかったのに加え、そうした方がより鎌自体の攻撃力を上げられるからだろう。なのに今彼が携える鎌は、至る所に細やかな装飾が施されている。
 広い幅を持つ刃部には、熟練の彫り師が作り上げたのかと思う程複雑な紋様。刃部を支える柄には金の紐が何重にも巻かれ、蔦のようにうねる赤の宝石が、その下で妖しく光を放っていた。
 しかしどの色も鮮やかさを残しながら絶妙なバランスで調和し、濃過ぎる赤や金特有の、押し付けがましい発色は見受けられない。

 ――そうだ、色、色だ。
 最も目を射抜く異質は、色。
 イルクシュリは色眼鏡を掛けるのも忘れ、ただただ目を見張った。サンザの隣に鎮座する大鎌の色は、最早真紅と形容出来ない。
 鮮血のように、不安すら覚える程完璧な赤なのに、その赤は日光を易々と透過させている。濃く深い赤が、透き通る水面と共存していた。
 そんなはずない。
 だってサンザは、この世に唯一の完璧な「血の色(フォン・リフ)」。深く濃い血色は、光一筋の通過も許さないはず。
 ならアレは、何色だ?

「まさか――色無(いろなし)……!?」

 一つの仮説が浮かんだ瞬間、イルクシュリの表情が大きく歪む。
 サンザの足元。土煙が晴れてやっと、一人の少女が横たわっていることに気付いた。バラバラに切り裂かれ残骸へと成り果てた、黒獣の欠片達と同じ様に、全く動かない。

「サンザ!!」

 有らん限りの声に、サンザはゆっくり顔を上げた。
 途端、イルクシュリと視線が合う前に、青緑が瞼の向こうに消える。

「えっ、えっ、ちょっと待っテ……!」

 イルクシュリの懇願も虚しく、サンザはあっさりその場に崩れ落ちた。

「え――――っ!!! 何なの何でそんな風になるノねぇサンザぁ!!?」

 絶叫。それも、随分とみっともない内容の。散々喚き散らしながらも、イルクシュリは黒獣の残骸を容赦なく踏みつけ駆け出した。全く今日は早朝から走りっ放しだ。
 まずユキト・ペネループを探す為にアパートから森近くまで全力疾走、そしてサンザとユキトが戻って来ないのを心配して、またまた森の入り口から此処まで全力疾走。そして、現在。
 黒獣が倒されたことを知っていたなら、手っ取り早く馬に乗って来たと言うのに。自分の不運を嘆きながら、イルクシュリは二人の傍らに膝を付いた。

「サンザ! ユキトちゃん!」

 内部の損傷を警戒し、あまり激しく体を揺すらず、その分とびきり低い声を上げる。
 ユキトは額と掌、サンザは顔の左側一面に赤い液体が付着していたが、サンザの武器を考えるとこれが出血かは安易に判断出来ない。
 怒声に反応し顰められる眉と呼吸を確認する。最初は焦ったが、見れば見る程、……ただの物凄く安らかな寝顔に思えて来た。
 顔色は至って普通だし、呼吸も規則的に繰り返されている。死に物狂いで駆け付けた途端二人揃って倒れるから、それはもう思う存分肝を冷やしたと言うのに。
 切迫した状態でないと理解した途端、喜ばしいはずなのに何だかとても情けなくなった。
 しばらく項垂れていたかったが二人が気絶しているのもまた事実。イルクシュリは深い嘆息を漏らすと、その場に立ち上がった。 そして、ベルトにぶら下げたホルダーから、一丁のマスケット銃と小瓶を取り出す。
 小瓶の中に湛えられたのは、橙色の液体。

「もう走るの嫌だシ。とにかく、人呼びましょーかネ」

 言い終わると同時、素早くコルクを引き抜き、液体を銃にぶちまけた。
 囲いを失ったにも関わらず、橙色の液体は銃から零れ落ちることなく、瞬く間に新たな形を造り上げて行った。
 寒気に水の凍る行程を一呼吸に押し込めるが如く。イリの片腕程もある、巨大な銃へと。大きさに比例し重さもそれなりの物なのか、イリの腕が男性にしては細過ぎるのか。
 「よいしょ、」と親父臭く呟きながら、高々と、銃口を天に向かい掲げた。だが銃には火薬も銃弾も装填しておらず、このまま発砲するなど不可能なはずだ。それでもイルクシュリは何処か楽しげな笑みを浮かべたまま。
 しっかりと、人差し指を引き金に絡めた。

「ル・リニー、……一発どデカいの頼むヨ!」

 一時の沈黙を置いた、次の瞬間。
 散々森を騒がせた爆音や黒獣の雄叫びが、赤子のぐずりに思えてしまう程の、とてつもない轟音が響き渡った。




「閣下ぁ!! 何ですか今の音!!」
「イルクシュリの報告だ……一々騒ぐな、揺れる」
「え、大丈夫なんスか、サンザが向かったのにイリさんが報告って……」
「だから、報告だ。じき昼蝙蝠が飛ぶ。大人しく座って――」
「うっわスゲぇ!! 見ろよあの煙、イサルネ!」
「おい誰かギデを馬車から突き落とせ」
「無駄ですよ閣下、あの人走ってでも付いて来ますから」



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