暴食の黒‐5


「ハイハイ、見せ物じゃないヨ! 下がっテ!」

 カトン郊外に広がる、深くも穏やかな森。その入り口付近に、数十人の人々が集まっていた。
 ある者はカトンを訪れた商人、ある者はカトンを発とうとした旅人、ある者はカトンに根を張った住人。誰もが不安そうな表情を浮かべながら、彼等の前に立ちはだかる警備兵へと詰め寄っていた。

「どう言う事だ、ちゃんと説明しろよ!」
「だから何度も言っているだろう……! 現在確認中だ! 関係者以外は立ち入るな!」
「関係者以外ってこの森は軍の物じゃないでしょう!」
「そうではなくて、危険だから――」
「だからだよ! 此処にうちの知り合いが入ってくの見た奴がいるんだ!」
「アンタ等突っ立ってないで助けに行きなさいよ!」

 人々が好き勝手不満と不安を吐き出す光景に、細身の青年は狐色の髪をグシャグシャと掻いた。警備兵数人が何とか宥めようとしているが正に焼け石に水と言った所だろう。
 当たり前、と言えば当たり前かもしれない。自分達の生活圏のすぐ近くに黒獣が出たのだ。穏やかでいられるはずがない。
 青年は鼻の頭までずり落ちた眼鏡を指で押し上げると、黒く塗り潰されたレンズ越しに森を見詰めた。
 巨大な爆発音は、カトンの関所まで響いた。ユキト・ペネループを探し森のすぐ近くまで来ていた青年は、最悪の事態を誰よりも早く察し、“昼蝙蝠(ヒルコウモリ)”で警備兵へ連絡を入れた。
 結果、この有り様だ。
 警備兵が慌ただしく飛び出す様を見て、住民や旅人が何事かと集まってしまった。有事の際は市民に気取られぬよう落ち着いて行動しろ――そう演習で教え込まれたはずなのに。戦いを生業とする軍人にとっても、やはり黒獣は脅威なのだ。青年は改めて実感する。

「……ねぇキミ達」
「はっ!」
「とりあえず、何があっても人を森に入れないようにネ。昼蝙蝠飛ばしタ? 出来れば翼馬(ツバサウマ)使って、関所と人が立ち入りそうな場所の監視。後は軍本部にも通達ネ。一番軽い昼蝙蝠使いなさイ。騒ぎ過ぎちゃダメだヨ。黒獣が出たってのも言っちゃダメ。分かっタ?」
「りょっ、了解致しました!」
「最小人員でネ。黒獣はこちらに任せテ、……演習で腐る程訓練したはずでショ。警備部隊の有能さ、元帥閣下に証明してみせロ!」
「はっ!」

 青年の一喝で警備兵は平常心を取り戻し、各自与えられた仕事を全うする為散り散りになった。

「……“元帥閣下”……やっぱこの言葉は強いネー」
「失礼します、宜しいですかイルクシュリさん」
「アレ、君新入りサン? イリでいいヨ」
「は? ……で、ではイリさん。住民が森に入る少女を見たと……」

 イルクシュリ、と呼ばれた青年は、警備兵の発言に失笑して見せた。彼の質問内容に呆れたからではない。己の、この後背負わされるであろう面倒事に思いを馳せ、最早笑うしかなくなったのだ。

「うん……大体検討は付いてル。下手に入りたくないんだけどネ、参ったナー」

 今度はカラカラと明るく笑って見せるが、イルクシュリの口角は見事なまでに引きつっている。警備兵は彼の呟きが理解出来ず首を傾げる。
 イルクシュリはそんな兵を一瞥し、今度は喉の奥で押し殺すように笑って見せた。平生の明るい声からは想像も出来ない程、低い声で。

「保護は中のに任せル。それよりも君はやらなきゃいけない事があるよネ、初歩中の初歩だからさっき言わなかったけド……その様子じゃ、」
「……! もっ、申し訳御座いません!」
「ハーイ気付いたネ素晴らしイ。じゃ、素晴らしいついでに今すぐ用意してくれル」

 イルクシュリへの謝罪もそこそこに、警備兵は転がるように走り出した。
 彼が何を用意しに向かったのか。それは、黒獣を駆逐する為には欠かせない“木材”と“油”。
 多ければ多い程良い。奴等は、どれだけ切っても撃っても潰しても再生する。消滅させるには大量の油を浴びせ一気に焼き殺すしかないのだ。
 しかし、現在黒獣と交戦しているのはサンザ・ニッセン。一介の軍人とは訳が違う。彼の美しくも鋭い赤の鎌は、火を用いらずとも黒獣を抹殺出来るだろう。今回油と木材を必要とするのは恐らく後始末の際。
 残念だが……戦いの場は、焼き払わなければならない。新たな黒獣を生まない為にも。

「十年前焼かれたばっかりなのニ……この森、本当に呪われてるのかモ」

 住民達がまことしやかに囁いていた噂話。迷信の類を信じないイルクシュリも、もしかしたら、と思わずにいられなかった。






 最初は幾つあるかも視認出来なかった無数の黒い蔦。上下左右不規則にうねるそれは、常人であれば恐れで足が竦んでもおかしくない禍々しさを放っている。
 だが戦闘慣れしたサンザにとってそれは大した障害でなかった。
 黒獣は高度な知能を持ち合わせていない、それ故、大抵は攻撃も防御も実に一辺倒で単調だ。ある程度距離を置き時間をかけ冷静に攻撃パターンを分析すれば大した労力を費やさずに済む。
 むしろ普段のサンザであれば、そんなまどろっこしい真似すらせず、速さを生かし即座に中心の花弁を斬り落としていただろう。

 だが、今回は。

 背後に大から小まで多種多様な足手まといがゴロゴロ転がっている。
 自ら危険な取り引きに関わった頭の足りない商人達。忠告を聞き入れずのうのうと森に足を運んだ少女。どちらも出来るならば盾として再利用してやりたかったが、仕事である以上そうは行かない。
 黒獣だけでなく足手まといにも気を配りながら戦わなければならないのは、難しいだとか言う以前に、ただただ面倒臭かった。

 だから人の絡む仕事は嫌なんだ。

 全て終えたらこの仕事を持って来た同僚に泣き出す程罵詈雑言を浴びせてやる。何とも不穏な予定を脳内で組み終え、サンザは鎌の柄を握り直した。
 蔦は既に残り三本。この程度の本数なら、背後の人間に届かないよう捌きつつ花弁の中心まで辿り着ける。中心に直接鎌を叩き込めばいくら黒獣と言えど一溜まりもないだろう。
 面倒な守る戦闘もこれで終わりだ。
 鎌をわざとらしく振りかぶり注意を逸らせると、黒獣と向かい合ったまま後ろへ思い切り跳躍した。距離を今まで以上に取り、可能な限りの蔦を引き付け、素早く一気に懐へと潜り込む。
 ――はず、だった。

「消えて」

 声に続いた軽い破裂音を、最初は銃声だと思った。
 先程気絶させた商人の残党かはたまた別の何者かか。どちらにせよ、サンザは己の油断を悔いた。
 だが体の何処にも痛みはなく。しかし、確かに異変は起こっていた。
 ポタ、ポタ、ポタ、と。雲一つない上空からの雨粒が頬を打つ。雨粒? いや、違う。雨粒は何も色を持たないはず。「赤い雨粒」なんて、世界滅亡前夜くらいにしか降らないだろう。
 なら、今自分の頬を打つこの血のような液体は何だ?

「は?」

 大凡人には聞かせた事のない素っ頓狂な声が漏れる。
 液体の正体を確かめようと移動させた視線。その先には、赤い液体でしとどに濡れた、自らの右手と握り締められたナイフ。

 そこに赤の大鎌は存在していなかった。



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