暴食の黒‐4
赤い放物線を描き、大鎌が真っ直ぐ振り下ろされる。自分の背丈程もある鎌をサンザは軽々と操った。軽々と操り、黒い物体を引き裂いた。
荷台から猛スピードで向かって来た黒い蔦のような物体は、ユキトの足元にビチャッと嫌な音を立てながら転がる。
「うわっ……!」
とっさに片足を上げ避けるが、物体から滲み出る黒い液体は大量に地面から跳ね、ユキトのブーツを汚した。
「黒獣、……これが黒獣なの!?」
「見るのは初めてですか? ああ、そう言えばカトンは一度も黒獣に襲われた事のない街でしたね」
勢い良く振り下ろす事で鎌に付いた液体を払うと、サンザは再び柄を両手で握り馬車に向かって構えた。
「とは言っても、本体はまだあの中ですが……」
体勢を低くし、真っ直ぐ走り出す。
長い灰色の髪と黒いコートの靡く様がそのスピードを物語っていた。あんな大きな鎌を易々と振り回し、その上あれだけのスピードで走るなんて。
一体あの男は何者なんだ。サンザは転がる男達を軽やかに避け、馬車に後数歩と言う所まで迫った。
しかし次の瞬間、荷台が轟音を立て弾け飛ぶ。
「さ、サンザ!」
覚えたての名を呼べば、答えるようにサンザは土煙の中から姿を現しユキトの眼前へと降り立った。
あれだけ急な爆発にも即座に反応し、とっさに空中へ避けたのだろう。
ユキトが安堵の溜め息を吐き出し終わる前、鎌の柄が旋毛へ思い切り振り下ろされた。
「いっ、たああぁぁぁい!!!」
「喋るな、と何回言えば分かるんですか? 脳みそ沸いてるんですか? それとも人の話を無視するのが趣味なんですか? 何でしたら貴女を盾にして戦ってやりましょうか? 放っておいても静かになるでしょうねぇ、その貧相な体で二・三発耐えられれば良い方ですが」
何やら凄まじい勢いでまくし立てられているが、視界に細かい星がチラつき、脳に直接叩き込まれたかのような痛みが頭頂部を駆け回る状態では上手く理解出来ない。
痛みに唸るユキトの髪をサンザは容赦なく掴むと、まるで盾にするかのように自分の前へと引きずり出した。
「ちょっ、だから痛いって!」
「見ろ」
何を。痛みに痺れる頭でも、それくらいは理解出来た。
ユキトはゆっくり、視線をサンザから爆発した馬車へと滑らせて行く。
荷台を覆っていた暗幕、支えていた骨組み、その全てが粉々に吹き飛ばされ無残にも焼け焦げている。それだけでも十分異常だと言うのに、ユキトは残骸に視線を止めなかった。
何故なら、本来荷台があるはずの場所に、それ以上の異形が鎮座していたから。
全体の様相は、もう何と表現すれば良いのか分からない。無理矢理ユキトの知っている物に当てはめるなら、肥大した薔薇と、それに絡み付くこれまた巨大な蔦、と言った所だろうか。
だが、薔薇はユキトより大きい花弁を何回も繰り返し開閉させていて、蔦もまた一人でに右へ左へとうねっている。
そしてその全てが、黒。
どんな色を投じようとも一緒くたにして飲み込んでしまう、底の見えない完全な黒だった。
「アレが黒獣。……戦って勝つ自信があるなら勝手にしろ。……ないなら、じっとしていろ」
ユキトの頭から手を離し、サンザは再度駆け出した。
薔薇の姿をした黒獣は、蔦を上下左右関係なく滅茶苦茶に動かしサンザの接近を阻もうとする。
だがサンザは右手で鎌を一度回転させると、一番手前にあった蔦をいとも簡単に切り落とし、その後ろから迫る蔦すらも避けて見せた。
大人の胴程の太さを持つ黒い蔦。あまりに簡単に切られる物だから脆く思えたが、地面に転がる時の重苦しい音が予想を否定する。
サンザが次々蔦を切り落として行く中、ユキトはやっと多少の冷静さを取り戻した。そしてすぐさま足元で眠る男達を思い切り揺さぶり始めた。
「呑気に寝てないで起きなさいよ! 巻き込まれるわよ! 立って逃げろ!!」
だが男達は微動だにしない。胸倉を掴み上半身を持ち上げてみても、反応しないまま眠り続けている。
サンザがどんな方法を用いたのかは分からないが、武力行使したのならば、何処かしらに痛みを感じ呻くくらいしてもいいはず。あの短時間の間に薬でも嗅がせたのだろうか。それにしたって不自然過ぎる。
四苦八苦していると、微かに舌打ちの音が聞こえた。
反射的に顔を上げれば、黒い液体の滴る赤い鎌を構えたサンザが、とんでもなく凶暴な表情でこちらを睨み付けている。その時やっと、再三動かないよう忠告されていた事を思い出した。
……だが、もう動いてしまった物は仕方ない。
どう叱られるかは終わってから不安がろう。今はまず、目の前の人間をどうにかしないと。何か打開策はないかと、ユキトは大声を張り上げた。
「アンタこの人達どうやって気絶させたの!? 起きないんだけど!」
「起こす必要ありません、そのまま転がしておきなさい!」
「だって、このままじゃ巻き込まれる……!」
「そうならないよう距離を取っているんでしょうが!!」
バシッ、と音を立てながら鎌の柄が蔦を弾く。
――そう言えば。ユキトは記憶を辿り気付いた。サンザは、場所を移動している。さっきまではユキトの正面で戦っていたのに、今は馬車の真横で鎌を振るう。
攻撃を交わし、反撃しながら、それでも少しずつユキトや男達から距離を取っていたのだ。今までの傍若無人な態度から、他人の事など気にせず戦うと思っていたのに――
「意外にいい人じゃない!」
「……ハァァ!?」
とんでもなく的外れな発言に、サンザの眉間に寄った皺が一層深さを増す。
「馬鹿な事を言っていないで、貴女はじっとしていろ!」
再び、何本目かも分からない蔦が切り落とされる。
サンザの戦い様はあまりにも鮮やかで、相変わらず彼の素性や目的はサッパリ分からないが、強さだけは操る大鎌の軌道から伝わって来る。
そうして、ほんの少し心拍数も呼吸も落ち着き、頭が冷えて来たせいで。
自分の身の安全とは別に、ある一つの心配事が大きく影を落とし始めた。
ユキトの頬を一筋の汗が伝い、黒く染まったブーツに落ちる。
「……このままじゃ……焼かれるんじゃないの、此処……」
実際音にしてみると、落ち着いた心拍数が再び跳ね上がった。
十年前の災厄に世界が狂っても尚平穏だったカトンの街。それでも、黒獣と言う異形の脅威くらい、一般人のユキトでさえ十分理解出来ている。
耳を塞いだって目を瞑ったって、黒獣に蹂躙された知らない街の情報は嫌と言う程届くのだから。
『黒獣の爪は人の命を引き裂き血は土地の未来を殺す』
黒獣を形容するこの簡潔な文章に誇張はない。
サンザがこの後黒獣を完膚無きまでに叩きのめしたとしても、黒獣が流した血は地に染み付いたままだろう。
なら、迎える未来は一通り。
この場所が焼かれる。新たな災厄の殲滅と引き換えに、古い悪夢が繰り返されるのだ。
小刻みに震える指先も、額に滲むじっとりとした汗もこの上なく鬱陶しい。目の前でサンザが戦っていると言うのに何を考えているんだ自分は。
――大丈夫。お前は何も、考えなくてもいい――
優しく宥める声が脳裏を過ぎった。
その優しい声をまた上辺だけの物にさせてしまうのかと思えば、サンザにナイフを突き付けられた時より生まれて初めて黒獣を目の当たりにした時より、ずっと大きく心臓が軋んだ。
この場所が焼き尽くされるのを見ても、優しい声の持ち主はきっと呆れたように笑うのだろう。身内でなければ気付けない程の些末な震えを瞳に宿したまま。
――こんな事で折れると思うか?大丈夫だから、お前は自分の心配だけしてろ――
どうして此処なんだ。
どうして二度も戦いに巻き込まれなければならないんだ。
どうして、十年前この地で弟と義妹を喪った人に、また無理矢理な笑顔をさせなければならないんだ。思考すれば思考する程最悪の想定ばかり浮かんで来る。
「……消えてよ……」
戦いの痕跡だけじゃない。
今目の前で空中にたなびく赤と黒の放物線も、何もかも、最初からいなかった事にして欲しい。取り戻した美しい風景をそのままに返して欲しい。
自分が生まれ育った、十年前、何の前触れもなく壊滅させられたこの元・集落から。
戦いの根元を、全て消して欲しい。
現実逃避でしかない身勝手な願いが、ユキトの唇を震わせた。
[ 11/65 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]