暴食の黒‐1
痛いくらいの沈黙とは、無音とは、実際音が途絶えずとも訪れる。ユキトはサンザに組み敷かれたまま、生まれて初めてその事実に気付かされた。
確かに鳥が囀り風が草木を揺らしていたはずなのに、今のユキトには何も聞こえない。滅茶苦茶に入り混じった緊張と恐怖が聴覚を遮断してしまったのだろうか。
ナイフを構えまま自分を見下ろすサンザは相変わらず無言で。
せめて何か口にしてくれない物かと、何処か他人事のように思った。
「静かに。動けば刺します」
サンザはそう呟くと、ユキトの横に移動し片膝を付き、まるで兎を狙う狩人のように身を屈める。サンザの持つナイフから滴り落ちた赤い液体が、鮮やかな黄色の服にシミを作っていた。
いきなり首根っこを掴まれたかと思えば怒鳴られ押し倒されナイフを突き付けられ、まともに抗議する時間すら与えられず。
サンザがナイフをしまったのと二人の間に距離が開いたお陰で、ユキトはやっと疑問を口にするコトが出来た。
「な、何でこんなコト……」
「静かに、と言ったはずですが。刺されたいんですか?」
平然とした様子で、サンザは茂みの向こうを睨み付けている。
何をしているのか全く理解出来ない。
だが、ここで騒いで刺されるのは絶対に嫌だ。
酒場で酔った客が刃物を振り回したコトもあった。先程向けられたナイフよりずっとずっと長い剣。それでも、その武器から発せられる“敵意”は、サンザの物よりずっとずっと小さかった。
あの時サンザは、本当に刺す気だったのだろうか。殺意を宿す人間と対峙した事のないユキトには判断出来なかった。
「……来ましたね……」
低い声でサンザが呟くと、馬の蹄を鳴らす音が茂みの向こうから聞こえて来た。
ユキトはサンザを真似て身を屈めると、茂みの隙間から声のする方向に目を向けてみた。
茂みの向こう、木々の並びが少しだけ途切れる開けた空間。そこに二台の馬車がやって来た。そしてその荷台から男が数人下りて来る。
身なりは旅の商人と言った具合だが、指や首元に光る装飾品が、華やかさを通り越して最早下品なくらいに派手だ。もしかしたら着込んでいる外套も高価な物かもしれない。男達が汚れを気にしてやたらと叩いている。
「……?」
ユキトは状況がますます理解出来なくなり、隣のサンザに視線を向けてみた。
だがサンザは先程と全く同じ姿勢で、無言のままじっと男達の様子を窺っている。その瞳は鋭く細められとても声を掛けられる雰囲気ではない。
「……私が馬車の近くまで移動したら、来た道を戻りなさい」
視線を男達から外さないまま、サンザはいきなり立ち上がった。
ユキトは思わず声を上げそうになったが、とっさに口を両手で覆い堪えた。ナイフを突き付けられたのだから、下手に騒げば次は何をされるか分からない。
男達はすぐサンザの存在に気付いたかと思えば、ある者はナイフを、ある者は銃を、それぞれ迷う事なく構えた。しかしサンザは全く怯みもせず茂みから一歩前へと踏み出す。そして、
「なっ、何だお前、」
「確認させて頂きます」
感情の籠もらない言葉を吐き出すと、勢い良く駆け出した。
銃声が一度鳴り響く。
しかし放たれた銃弾はサンザを仕留める事なく木の幹に着弾した。瞬く間にサンザは男達の眼前まで迫り、振り下ろされるナイフを避けそのまま馬車の荷台に駆け寄る。
「待てっ、荷台は――!」
焦りの色を帯びた声が響く。
先程発砲したのとは別な男が銃を構えるが、サンザはお構いなしに荷台の暗幕を捲り上げた。
「――、……やはり……そうですか……」
茂みの中にいるユキトには、サンザが何を見たのか確認出来ない。それでもサンザ自身の横顔は何とか視界に入って来た。
暗幕を捲り上げた途端、微かに、それでも深く歪められた瞳の色。馬車を取り囲む男達に視線が動くと、その瞳はまた別な色を浮かべる。
読心術の類を持たないユキトにも、サンザの瞳に浮かぶ“怒り”が、はっきりと見て取れた。
荷台の中に一体何が――?
不安と興味がユキトの中で入り交じるが、確かめる術はない。
「処罰対象ですね。全員、大人しくしていなさい」
ついさっきまで肌を撫でていた朝の爽やかな空気は、何処へ消えてしまったのだろう。
茂み一つ隔てた所には武器を構えた男達。爽やかさとは無縁の物騒な光景に、ユキトは目眩を覚えた。
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