面倒ゴト
太陽なんて、そんなにいい物だろうか。
夏はその激しさを疎まれるし、地域や気候によっては日照りを引き起こし、名実共に親の仇となる。
春や秋の麗らかな日和は好まれるが。あれは太陽その物のと言うより、穏やかな気候と日差しに対する賞賛だ。それでもこの男は、自身を太陽だと信じて疑わないのだろう。髪の色は確かに日光を具現化したような輝きだが、何をどうしてここまで盲信出来るのか理解出来ない。
副隊長用に宛がわれた、一般隊員の物より幾分か広く設備の整っている一室。限られたプライベートを守る空間。そこに有害生物が存在する現実から目を逸らしたくて、ひたすら作業に没頭した。
シャルルは入室直後こそ騒いでいたが、今は何とか大人しい。部屋のそこらで山積みになった本の中から、何か気に入りの物を見付けたのだろう。その場にしゃがみ込みひたすら読み耽っている。
明後日から他基地へ分隊ごと出張だが、ダンテは会議で本部に缶詰だ。終了後そのまま現地へ向かうこととなり、副隊長のユージーンが、出立前の雑務をこなす羽目になった。
「ユージーンさん、他のも見ていいですか?」
「キノコの胞子飛ばさないなら何でもいいよ」
「大丈夫です? 俺が黙っちゃって、寂しさで集中出来なかったりしないですか?」
「しない。全く。大丈夫。早く黙って」
就業中に連絡が来れば、こんな事態にならなかった物を。シャルルの分さえ終われば解放される、その事実だけを励みに、所属証明書と登録証明書へ手を伸ばす。
他基地へ出張する際は、この二枚を提出することが義務付けられていた。一般人が所持するパスポートと同じような役割だろう。更新日時や内容に不備があれば、例え分隊隊長でも追い返される。
だからこうして部下の隅々まで証明書を確認する。本来なら分隊隊長が。だが、いないのなら、副隊長がやるしかない。
分かってはいたが、心底面倒だ。明日中に提出する為、今日中に終了させる為、シャルルを部屋へ呼ばなくてはならなくなったことも含め。全て。
「今から話し掛けるけど必要なことだけ答えて」
「分かりました! あんまり俺の声聞くと話したくなってしまって仕事に集中出来ませんものね! 副隊長の心の内、俺細やかな気配りで察知してますから!」
「あーそうなんだ知らなかったー。で、証明書の最終更新日と担当者」
「十月二十日、シェンク隊員です!」
「最新の提示日と基地は」
「十月八日、本部通信局です!」
ハキハキと、正しい回答が返される。こう言った軍人としての有能さは申し分ないのだ。だからこそ、異常なまでの自己評価の高さが際立つ。
所属証明書に不備はない。後は登録証明書だ。カード型のそれを手に取り、刻まれた文章に目を通す。
「第二分隊所属シャルル・ブローで、……間違い、あるね」
証明書を、荒れに荒れた指で撫でれば、名前の部分に違和感を感じた。専用のライトを当てながら頭上に掲げ、下から覗き込む。すると予想通り、『Charles Braud』の頭に小さく『U』と刻まれていた。
「……偽名なんだ」
「はい」
そもそも特異細胞保持者と言う時点で、皆それなりに訳ありなのだが。IAFLYSには、最早飽きるくらいの頻度で面倒な者が入隊して来る。
だから、本名で登録出来ない者も、そう珍しくはない。だからこうやって、実際の戸籍と異なるデータであることが記録されている。
「知らなかった」
「え、……あ、ユージーンさん、落ち込まないで下さい! 眩しい存在の全てを知りたくなる気持ちは当然の物で、俺ならいくらでも応え、」
「何、地雷なの? そう言うの面倒だから何かあるなら先に言っといて」
同じように偽名を名乗っているジャンは、父親の話をタブーとしている。数年前、他愛のない雑談の中で、その話題は振らないようやんわりと主張された。
訳ありだろうが何だろうが興味はない。だが、面倒事を回避する情報なら欲しい。こう言ったことを遠慮なく質問する性格は、何度注意されても直らないらしい。
シャルルはどんぐり眼をこちらへ向け、数度しばたたかせる。手にしていた本を膝上に下ろし、腹の立つことに小首を傾げると、満面の笑みで言い放った。
「ありませんよ?」
ああ、ないんだ。そう返せば良かったのに、机仕事に滅入っていた頭は余計な詮索を始めてしまった。
「じゃあ本名は?」
「シャルル・ドレーです」
「……何だ、結構そのままか。姓だけ変えたの」
「はい! ドレーでもブローでも、俺の存在は変わらず輝きますからね!」
よし殴ろう。そう決意し立ち上がれば、キャスター付きの椅子が壁に激突した。
「分かった、これで確認終わりね。一発殴るから帰って」
「そ、そんな、副隊長を殴るなんて俺、」
「何でだよ逆だろ」
いつ見ても目障りなキノコ頭に所属証明書、呑気に広げていた本の上に登録証明書を落とす。
もういい。下手に会話をしようとした自分が愚かだった。さっさと退室させて、静かな時間を取り戻そう。
下手に忘れ物をされては堪らないから、最後に渡した証明書に間違いがないかだけ確認した。
シャルルが手にした登録証明書越しに、随分集中して読んでいた本が見える。ちゃんと片付けてよと言えば、シャルルは大人しく山の一番上に本を重ねた。
そうして気付く。表紙で寒々しい程整った笑顔を浮かべている男と、その脇に綴られた文字。本名を聞いた時僅かに引っ掛かった何かが、一気に芽吹きその色を主張する。
「ドレー社……」
シャルルが積み上げる本の表紙で、巨大軍需企業の名が踊っている。彼が読んでいた本が二冊三冊と重なるが、そのどれにもだ。
別段珍しい姓でもない。だがIAFLYSで長く過ごしていると、こう言う時の勘が異様に磨かれてしまう。ああ、そうか。所々で垣間見えていた育ちの良さは、やはり思い過ごしではなかったか。
また面倒事の重量が増して、逆に脱力してしまう。
「元気そうで良かったね」
「ええ、俺の家系みんな長生きなので、そこまで心配はしていないんですけれど」
「憎まれっ子世に憚るって言うしね」
「心配御無用です、俺は世界に愛されても皆さんの為に長生きしますから!」
マッシュルームカットと呼ぶのも腹立たしいので普段からキノコ頭と呼んでいる頭部を鷲掴み、強制的に立ち上がらせる。
身長は自分より頭半分は小さい。平均身長に遠く及ばず、顔面の偏差値は中の中、その上生まれ持った後ろ楯まで失っておいて。ここまでこの男を誇らせるのは、一体何なのだろう。
考えるのも嫌になって退室を命じる。今考えるのは、このキノコに触れてしまった右手を殺菌する消毒液が、部屋に残っているかどうかだ。
右手の中で、柔らかい感触が蠢く。仰ぎ見て来るのはやはりどんぐり眼。このまま左手の指を突き立ててやりたい。
「ユージーンさんの地雷は何かありますか?」
この笑顔を、当人は太陽だと評している。誰に何と言われても事実だと信じて疑わない。揺らがない自信を全くもって羨ましく思わないのは、周囲の冷え切った態度のせいか、それとも。
「水がダメ」
「水!」
「たまに番組とかであるでしょ、水に顔突っ込んで息止めの時間競ったりするアレ。見ると吐くから、止めて」
見上げて来る小粒の太陽が、自信満々に輝いた。
「細やかな気配りで察知出来るんだよね? 頼りにしてるから」
一点の曇りもない笑顔。ワインを一本空け、十分間逆立ちした後なら、視界の端を掠めた一瞬くらい太陽に見えるかもしれない。
世界最大とも言われる軍需メーカー。その最高経営者の息子に生まれておいて。作る側から飛ぶ側に、好きで飛び込んだのか引きずり込まれたのか。心底、興味がない。
「副隊長! 御安心下さい、太陽の懐の深さは、如何なる不安も痛みも飲み込みます!」
だって背負えもしない他人の過去なんて。
面倒臭いだけで、何とも思わないから。
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