第九話「嘘つき達の空中戦‐5」
ジャンの手が後頭部に添えられ、頭蓋骨の形を確認するように、ゆっくりと頭皮をなぞる。吐け、と言われたので、必死に酸素を体の外へ送り出した。冷えていく汗が何とも言えず不快だが、様々な感覚は戻り始めたようだ。
「ジャンさん……やっぱり俺おかしいです……」
「だろうね。まさか自覚し始めてくれるとは思ってなかったよ。ビックリした」
引き寄せられ、そのまま汗ばんだ額がジャンの鎖骨に触れる。人の体温は何て偉大なのだろう。触れただけで、一気に呼吸が整い始めた。
「……ダメだろうって僕が予想しても、君達はちゃんと……」
言葉を作る振動が、泣きたい程に優しい。
認めてしまった。認めてしまった。どうして恐れていたのかも分からない異常を、自分自身で認めてしまった。
「当たり前だろうが。お前よりよっぽど度胸あるんだよコイツ等は」
アルベルトの声に、ジャンの細い溜息が続く。
「他人同士の事情重ねてどうすんだ、馬鹿らしい。俺もフェルディオもテメェの予想の外にいるに決まってんだろ。ダメだと思ってようが踏ん張るし、何とかしようとしてもーーダメな時はダメだ」
ジャンはフェルディオの両肩を掴み、しっかり自立するよう促した。駄目だった時の記憶が、アルベルトにもジャンにも浮かんでいるのだろうか。
「だから。そう言う時の為の分隊だろうが」
そうして今度は、アルベルトが、ジャンの背中へ遠慮のない平手を打ち込んだ。体を離していなければフェルディオにも衝撃が伝わっていたかもしれない。
噎せる余裕すら失い悶絶するジャンを放置し、アルベルトはフェルディオの頭を掴み上げた。
「フェルディオ、この馬鹿がさっきみてぇな言い回しする以上、どうせお前もヴィオビディナ行きの人員に入ってんだろうよ」
「っ、は?」
「ただ、ジャックみたく表立って発表出来る役割じゃねぇってことだ」
「ほ、本当ですかジャンさん!」
返答を求めても、ジャンは動かずにいる。この場合の沈黙は肯定と受け取るしかない。
どうして、自分が。すぐに湧き上がって来た自己否定を必死に抑える。望んだことだろう。隊長と副隊長相手に直談判する程だろう。みっともないのは、もう、
「みっともねぇから、何とかしたいんだろ。なら腹括って飛び込んでみせろ」
こんな理由で空に上がることこそ、人から見ればみっともないに違いない。
自分がおかしいことを確かめたいから。逃げ場をなくしてしまいたいから。何かを守りたいだとか倒したいだとか、そんな高尚な理由、欠片も持ち合わせていない。今後付随して来るとしても、最初の火種は間違いなく自身の欲求だ。
ーーだから、戦える。
「アルベルト……色々頼んだよ」
「あ?」
「や、本当、隊長だからとか別にして。頼むよ。僕今回、飛ばして貰えなさそうだから。航空部隊のこと、任せた」
沈黙を破ったジャンの発言に、フェルディオは動揺した。分隊の副隊長が、飛ばして貰えない? どうして? フェルディオの不安を感じ取ったのか、ジャンはすぐに言葉を続けた。
「やだなあ。こっちに残ったりしないよ。ちゃんとヴィオビディナに行くから。ただ、今回は事情が違ってね。人がホント足りないの」
もしかして、これはーー上層部が動かそうとしている作戦の話だろうか。アルベルトも瞠目し、わずかながら焦っているようにも見える。
当のジャンは俯き、押し殺すように肩を揺らすと、異様なまでにくぐもった声を絞り出した。
「だから空は任せた。その分地上のことは心配しないで。操縦桿の代わりに銃持って、エラントの野良犬共ブッ潰して来てやるよ」
まさか、先客が。しかも、よりもよってこの男か。
ダンテはとっさに踵を返そうとしたが、あっさりと、恨み辛みの滲んだ声に捕まった。
「ダンテー逃げんでねーボケー」
低いテンションにありったけの嫌味を詰め、獣が唸る。このまま立ち去ろう物なら撃ち抜かれそうだ。ダンテは大人しく降参し、射撃訓練場に佇む一つ年上の同期ーークォーツ・モーリオンを見据えた。
「荒れてるな?」
「誰のせいだと思ってんだアホったれ」
銃を置き、バイザーとヘッドセットを外せば、何ともふざけた「柄」の髪が露わになる。
黒い頭髪の左半分に、白い水飛沫のような斑点がいくつも散っているなんて。初対面の人間なら染髪しているのだと勘違いするだろう。これでいて地毛だと言うのだから、最早生命の神秘さえ感じてしまう。
「副隊長サマのせいでエラい目に遭ったべ」
「副隊長? カルラか?」
「分かってて言ってんだろアホー、ユージーンのコトだべ! オメーんとこの! 副隊長!」
自分に頭突きと跳び蹴りを食らわせ、果ては馬乗りになった部下を思い出す。車だって買ってやると言ったのに、全く薄情な物だ。
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