第九話「嘘つき達の空中戦‐4」
途端、フィーシィは指先を震わせた。何かの勘違いかと思ったのだろうか。訂正を求めるように見上げて来る瞳へ、リュディガーは寒気がする程の笑顔を返す。そうしてやっと、事実が正確に伝わった。
フィーシィは、情報を脳へと染み込ませるように。ああ、そうか・と、掠れた声で独りごちた。
「……鋼鉄の翼を指揮するのも、また、同じ鉄ですか……」
自分達が持つのはただの武器だ。
空を行く鳥達が生きる為培った、爪にも、翼にも、遠く及ばない。ただ、何かを奪う為造られた、鋼鉄の翼。
間違っている。気付いていた。
最初から、私達には、嘘の翼しか。
どう言うこと。
ジャンの冷え切った声に、普段なら萎縮していただろう。だが今最も寒々しいのは自分自身だ。ちょっとやそっとの凍えでは、立ち止まれない。
フェルディオは扉を後ろ手に閉め、今度こそしっかりと鍵をかけた。まさかアルベルトとジャンが揉めているとは思っていなかったが。むしろいいタイミングだったのかもしれない。
「ジャンさんが受け入れ口なんですよね? わざと怪しい行動繰り返して、不穏分子が集まって来るように釣り針役になって。狙い通りジャックは釣られちゃったみたいで」
アルベルトに相談もせず自分を検査したり、詳しい目的も不明のまま一人本部へ召集されたり。どちらももっと上手く隠せたはずだ。ジャンが起こした行動とは思えない、あまりにも分かりやすくて稚拙過ぎる。
「だから、貴方に言えば上に繋がるかと思って。伝えて下さい、俺が志願してるって!」
「僕が上に通じてるって、証拠もないのによく面と向かってそんなこと言えるね」
「だって普段の頭の良さから考えて今のジャンさん明らかに下手くそ過ぎますもん! こんなモンわざとやってるとしか考えられないでしょう!」
下手くそ、の一言に反応したのだろうか。アルベルトが思い切り噴き出した。ジャンはわざとらしく咳払いすると、乱れた襟を直し、フェルディオと正面から向き合う。
「……それ、さ。もし予想外れてたら、僕のコトとんでもなく馬鹿にしてるよね」
そう言いながらも何処か穏やかなジャンの表情に、フェルディオは自身の正しさを確信した。
ジャンは常に数歩先を読んでいる。本当にフェルディオの考えが的外れだったなら、動揺したフリをして焦った態度を演じて、更に情報を引き出そうとするだろう。
「何でヴィオビディナに行きたいの? あそこに召集されるってなったらさ、もう完全に「普通」じゃないよ」
普通。
ついこの間まで、安定剤のように染み込んで来た言葉なのに、今は違和感だらけで落ち着かない。
「……ジャンさん、もし、いきなり「お前今日臭い」って言われたらどうします?」
「え? ……傷付く」
「そっ、そう言う意味じゃなくて! あ、や、でもそうか、そうですよ傷付くじゃないですか! 全く覚えなくても、断言されたら、「昨日ニンニク食べたっけ?」とか「服に何か臭い付いたのかな?」とか、思うじゃないですか! 覚えがなくても!」
「……う、ん?」
気が付けば、アルベルトは椅子に腰掛け休憩している。完全にフェルディオとジャンのやり取りを楽しんでいるようだ。
「俺、「お前おかしい」って言われても、疑えないんです。「どこかそう思われる所あったかな」じゃなくて、「違う」ってしか思えないんです」
ーーそろそろ自覚しろよ。それ、結構やべぇと思うけど。
ジャックファルの真剣な言葉にも、自分は対応出来なかった。会話を忘れている、それがおかしいと言われても、ただただ相手が勘違いしているのだと思い込んで逃げ回って。
「もう、それ自体が、「おかしい」ですよね……」
こうやって話しているだけで異変を感じ始めた。思考に靄がかかり、走ろうとする心臓を無理矢理抑え付けて、いつもの普通へ収束させようとする。今までなら何とでも言い訳して、安堵出来る方向へ流されて来た。
でも、今は。
痛々しいまでに真っ直ぐな彼女と、悲しいくらい人のことしか考えない彼を、知ってしまった今は。
「ーーだから、そのおかしさが寒いんですよ。どう足掻いたって普通になれないって、腹括ってそれでも必死になってる人達の横で、みっともなくて仕方ないんです、だから、俺も戦わないと、逃げる余地すらないくらいの場所で、」
口にしてしまえば後は坂道を転がるだけだった。体中の血管が脈打ち、思考回路を切断しようと暴れ回る。これは最早、「異常」に対する恐れではない。「普通」から離反しようとする自分に対するーー怒りだ。
「フェルディオくん、息吐こっか」
「え?」
「目がちょっとマズい」
指摘されて初めて、異常な発汗と呼吸の浅さに気付く。
傍観していたはずのアルベルトも、いつの間にかすぐ近くにいた。気付けなかったのか。恐れて来た「異常」を認めようとするだけで、こんなにも精神があやふやになるのか。
[ 62/71 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]