第六話「対者の釘‐4」


 掲げられた青地の旗には、国防軍の統治区域を表す四つの星と、金色の電子羽が刺繍されている。執務机を覆い尽くすのは、触れるのも恐ろしい量の書類。ガスパールはその前で数秒静止していたから、恐らく他者に持ち込まれた仕事なのだろう。
 総司令官室は、フェルディオが思い描いていたそのままの内装だった。本棚だろうが椅子だろうが、転がるボールぺンの一本でさえ、高価な代物に見える。
 チータは扉のすぐ前で歩を止め、フェルディオの動揺など意に介さず、ガスパールは乱雑な手付きで紙袋を漁っていた。

「フェルディオ」
「はいっ!」
「やべぇ。お前の軍服ねぇぞ」
「ーーは、い?」

 唖然としたまま凝視すれば、ガスパールはちっとも「やばい」なんて思っていなさそうな顔で、紙袋の中身を机にぶちまけた。大量のファイルとバインダーと用途不明の小物が、ニスの光る卓上で右往左往する。

「本部に忘れて来たわ。わりぃ、明後日来る奴に頼んどくからよー」

 嘘だろ。思わず零れた呟きにも、反応は返って来ない。
 軍服と襟章を渡すのが目的なのに、それをそっくりそのまま本部に忘れて来るなんて。引き攣る口角を止められず、一度だけゆっくりと頷く。振り返れば、肩を竦めたチータが項垂れる。そうか。いつものことか。どうなっている。

「で、本題な」

 緩まった心臓の血管が、一気に収縮した。上げて落とすのだけは本当に止めて欲しい。

「とにかくまぁ、アレだ、特異細胞とかIAFLYSだとかに対して、お前が今思ってる疑問? 持論? そーゆーの聞かせて欲しいんだよな」

 疑問。持論。ここ最近何度も頭の中を跳ね回った単語が、記憶の中の会話を呼び起こす。
 ーー特異細胞があるから特別なんですか? それとも……“特別”だから、あることになるんですか?
 異動初日、ジャンに問い掛け、どっちにしろ特別だから一緒だと一蹴された。まるでずっと昔を懐かしんでいるような感覚だが、まだあれから二ヶ月も経っていない。その間に明かされた謎など皆無だった。
 だからこそ頭が動く。いくら自制しても、考えることは止められなかった。

「い、一兵卒である自分の考えなど、総司令官殿のお耳に入れるような内容では、」
「だったら尚更だ。お前の持論なんざ取るに足らねぇ、だったらここで吐き出しちまってもなんの問題もねぇよな? 一兵卒が導き出す仮定なんざ、他の奴等はとーっくの昔に辿り着いてんだからよ」

 だから、何故説明を求める。問う間でもなく答えは出ていた。総司令官が、必要としたからだ。過程なんてどうでもいい、その結果が示された以上、フェルディオには回答する義務がある。
 ずっと思っていたことだ。特別が先か、分離が先か。考えている内にビセンテと出会った。出会ってから、アルベルトを思い出した。そうして他人事だった事実と、先走った想像が繋がった。
 まただ。また感覚が遠くへ消え、代わりに恐ろしい程冷え切った思考がせり上がって来る。

「特異細胞に、ついては……自分の考えが及ぶ物ではありません。何処までが真実なのか想像も出来ない」
「おお、そりゃそうだ」
「ただ、利用するなら、これ程扱いやすい囲いもないと思います。細胞が発言したからと言って具体的な症状ご現れるでもない。紙切れ一枚と一日の検査だけで、IAFLYSと言う用意された囲いへ、」

 思っていたより考えは整理出来ていたらしい。
 いつまでも渦巻いているだけだと思っていたのに、実際口に出してしまうと、意外と上手く積み上げられてしまった。

「ーー 一纏めに出来る。スラム出身の人間も、遮断区域出身の人間も、不穏分子は全て同じ場所へブチ込んでしまえばいい」

 上手く出来なければ良かった。まとまらないまま、結局言葉に出来なければ良かった。
 アルベルトがスラム出身だと知ったのはいつのことだったか。自分にはさして関係のないことだと、薬をやっていただとか、人を殺したことがあるだとか、そんな物騒な噂はすぐ忘れてしまった。
 思い出したのは、ビセンテの出自を聞かされた直後だ。そしてついさっき、チータとガスパールの会話を聞いて、この持論を固める要素がまた一つ増えてしまった。

「本来、国防軍の現体制に不満を持つような者は、別の部隊に分散されます。それが第一分隊では違った。同じ分隊に所属している。アルベルトさんとビセンテさんは上層部から見れば充分危険要素を含んでいるでしょうし、先程の会話を聞いた限りチータさんも」

 名前を出した途端、口内の水分が一気に蒸発して行った。今、自分の背を射抜いているのは誰の双眸だ。
 頭に浮かぶのは、自分の命を救ってくれた人と、不器用でもその真っ直ぐさに憧れる人と、偉ぶらず対等に接してくれた人の姿。彼等の名を挙げて、自分は今何を言おうとしていた。
 彼等を何で一括りにしようとしていた。

「……いえ……」

 滑らかに動いていた舌が、今度は上顎から離れない。待て、落ち着けと、何度も繰り返す。
 自分で言ったんだ。「求められている物が違う」と。勝手に想像して先回りしていらない足掻きでエネルギーを消費するな。今求められている物は何だ。ただの考察の報告だ。
 そこに個人的な感情を乗せてどうする。自分は、危険なんて思っていない。思っていないのなら、それでいいだろう。

「チータさんに限らず、誰しもその可能性を秘めている。だから、何かあった時IAFLYSと言う名目は非常に利用しやすい。その何かを誰がどう想定しているのかは皆目検討も付かない。私の持論は以上です」

 逃げた。それでも嘘は付いていない。
 ガスパールは何を言うでもなく、そーかそーかと無関心に呟く。そっちから聞いておいてなんて口答えは許されない。
 生唾を飲み込み、待ち焦がれた次の言葉。犬を追い払うようにガスパールの掌が揺れた。

「報告ご苦労サン。仕事戻れー」

 思考が停止し、錆び付いた鉄より鈍い動きで再びチータに視線を送る。宝石のように美しい瞳を瞼で半分隠し、これまた再び項垂れる。そうか。これもいつものことか。本当に、どうなっている。


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