第六話「対者の釘‐2」
昨日の逃避行はすぐバレて絞め上げられた。一番恐ろしいジャンが出払っているとは言え、さすがに戻って来るだろう。念の為端末のタイマーを十五分後にセットし、フェルディオは自分のレポートに取り掛かった。
ーーいらねぇこと心配する暇があったら、そっちでさっさと認められろ
ヨニの言葉が蘇る。応えられているだろうか。自分は今、認められつつあるのだろうか。思案に暮れた所で、答えなど返って来ない。
ボールペンの頭を唇に当て、ぼんやりと白い壁を眺める。結局、ビセンテとジャックのことは確認出来なかった。まさか本人に面と向かって「何かあったのか」なんて聞けなかったし、仮に、何かあったと返されてもそれはそれで気まずい。
自分があれこれ詮索する必要などない。割りきって、頭の隅の引っ掛かりを無視し続ける。どうしてこうも気になるのか、追及しないまま。
窓から吹き込む風の心地好さに、自然と体の力が抜ける。
このまままどろみに身を任せ、眠れたならどれだけ楽だろう。そんな現実逃避は、鳴り響いた端末の呼び出し音に打ち消される。
「ふがっ!?」
奇声を発し、時間を確認する。タイマーが鳴るにはまだ随分と早い。ならメッセージか、電話か。慌てて画面を確認したと同時、フェルディオは転がるように立ち上がり廊下へ飛び出した。
「チータさあぁぁん! アルベルトさんが様子見に来るってぇぇぇ!!」
煙草が三分の一も減らない内に、喫煙室の扉が開かれた。
「フェルディオ、まだ一本終わって、」
「誰だと思ってんだお前」
油断し切っていた耳に飛び込んで来たのは、フェルディオの物とは真逆の、気の抜けた低音。煙草をくわえたまま振り向けば、思い浮かべた通りの人物が、窮屈そうに喫煙室の扉を潜っている。
「ヴォルキニー総令……」
「よお、一本恵んでくれや」
IAFLYS基地の総司令官であるこの男ーーガスパール・ヴォルキニーは、人に会う度煙草をたかって来る。ダンテ辺りはよく「ヤギは紙だけ食ってろ」などと毒づいているが、チータは別段腹を立てない。いつも通り煙草を手渡せば、無精髭の蓄えられた口元が美味そうにそれを咥える。
暗い赤髪は、きちんと整えれば青い軍服によく映えるだろうに。あっちこっちへ跳んだ毛先のせいで、だらしない印象しか伝わって来ない。
「調子どうだ?」
「まずまずです」
「おーおー当たり障りのない返答しやがって」
分厚いレンズに阻まれ、目元は確認出来ない。髪型も、不揃いの髭も、眼鏡に隠された瞳も、全てがこの男の胡散臭さを助長している。
総司令官でありながら、ガスパールは全く高慢な態度を取らない。言葉だけなら聞こえはいいが、人によっては、威厳が足りないと感じるようだ。
「何か御用ですか?」
器用に吐き出された丸い煙は、雲のように浮かび、雲よりずっと早く散った。返答がないまま、何ともない静寂が喫煙室を埋める。
「シミュレーション訓練、相変わらずじゃねぇか」
「……お恥ずかしい限りです」
「やっぱアレだな、直接空に上がってドンパチしねぇとその気になんねぇか。あーんな偽モン相手じゃ萎えるわな」
銃を構える真似事の後、銃弾の代わりにまた煙を吐く。窓に向かった白い靄は、目に見えないまま真っ直ぐチータへと跳ね返って来た。
シミュレーションは嫌いだ。いくらモニターにリアルな青空が広がっても、上がれないのなら意味がない。どれだけ敵機を撃ち落とそうと、偽物なら何の解決にもならない。
ガスパールには、正直に話したことがある。諌められるかと思っていたのに、「そりゃそうだ。んなコトより、」と、煙草をせびられただけだった。
「そのイライラのせいでシミュレーションとは言え無茶な飛び方して毎度毎度レポートと言う名の反省文提出か。ご苦労なこった」
今度は勢い良く煙が舞う。アルベルトが立ち入れば、一気に顔を歪めるくらい、この狭い隔離部屋には有害物質が充満していた。
「総令、シミュレーションの話ですか」
「んな訳あるかボケ、俺これでも総令だっつーの、暇じゃねぇんだよ」
指に挟んでいた煙草が口元へ移動する。咥えたままでも上手く喋る物だから、余計に「紙食ってるヤギ」だと揶揄されるのを、ガスパールは自覚しているのだろうか。
浄空器に肘を乗せ、殺風景な天井を仰ぎ見た。姿は見えるのに、掴むことも閉じ込めることも叶わない煙は、ガスパールの性分に近い。ふわふわと能天気に漂っているように見えて、その実とんでもない物を孕んでいたりするのだ、この男は。
「優しいオッチャンが告げ口してやる。エラントがやらかしたぞ」
ーーほら。
煙と一緒で、とんでもない有害物質を、こんなにも蓄えていた。
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