第五話「隣人の釣り針‐2」



 銀の翼だと尊ばれて、得られた物は結局何だった。
 奪うことを望まれて、応えて来たのは自分の意志か。








「ツァイス司令、何がしたいんだろうね」

 ジャンがアルベルトに声を声を掛けて来たのは、ヨニを一般空軍基地へ見送った後だった。
 意識をじわりと溶かし出す、昼下がりの日差しが不快で堪らない。

「フアナはどうした」
「少し休んでる。で、回答は?」
「俺に聞くな、だ」
「だろうねー」

 IAFLYSの頂点に座する男が、何を思っているかなんて分かりたくもない。フェルディオの異動を最終的に決断したのはツァイス上級司令官で間違いないが、ならば何故、一週間以上経っても姿を見せない。直接面倒を見ているアルベルトへの連絡も一切なく、ダンテがほぼ独断で行った実験への反応も皆無。

「手中に収めたいのか処分したいのか、これじゃ分かんないよ」

 情報が必要ないのか。あの男は、とっくの昔に今を想定していたのか。黒の中で羽ばたく電子羽は、脳裏を過ぎるだけで重圧を与えて来る。
 当てもなく歩き出せば、ジャンは黙って数歩後ろを追って来た。一致しない足音が、好き勝手に廊下の中で反響する。
 複座機の中でフェルディオに、「自分の頭で理解出来ない物が一番面倒」と言った。間違いなく本心だ。今も変わらない、むしろ日に日に不快感が増して来ている。絡まった苛立ちの糸が解ける瞬間が、一向に訪れない。
 いつも無駄に人をからかって来るジャンは、無言のまま。
 横目で確認してみれば、珍しく俯き気味で歩を進めていた。影の落ちた表情が、何とも言えず薄気味悪い。
 案じているのはフアナかフェルディオか。学生時代、人の姿勢を散々注意しておいて、何だその様は。
 浮かぶ言葉は山のようでも、実際音となったのは「戻るぞ」の一言だけだった。








 一つ、機体が落ちて行く。
 赤い炎が破裂したのは一瞬で、すぐ様操縦桿を倒し旋回行動に移った。細かい上下運動が広がり、機体全体が激しく振動する。
 目標、残り一機。幾度も上昇と下降を繰り返すが、敵機は容赦なく後方に迫って来る。真っ黒な何者かの機体は、塗り潰されたような青空から拒絶されていた。
 正面のモニターに映し出された機影が、蠅のように忙しなく動き回り、過ぎた力で持ってこちらの心臓を狙い撃つ。ヘルメットに内蔵されたスピーカーから、事務的な音声が漏れた。

『残り時間、三十秒です』

 命令ではないが、それは号令に等しかった。
 敵機の旋回運動が僅かに荒れたタイミングを見計らい、一気に機体を上昇させる。アラーム音が酸素不足の脳を揺さぶった。上昇からの反転を経て、敵機の無防備な背面を見下ろした。
 キャノピーの中で、目も口もない塊が、微動だにせず鎮座している。

「――つまらない」

 ボタンを押し、短距離ミサイル発射のアナウンスが流れると同時、眼前は底のない闇に包まれた。








 シミュレーション訓練専用のパイロットスーツは、普段着用している防刃スーツ以上に吸水性が低い。十五分程度のシミュレートを終えただけで、滴る汗が頬に幾筋も流れ落ちた。
 肩にも届かない短髪の自分が、これだけ鬱陶しいと思うのなら、アルベルトはどれだけ不快なのだろう。項に垂れる汗を手袋で拭いながら、腰まで流れる銀の髪を思い起こした。
 シミュレートルームから退室し、入り口近くの更衣室へと移動する。扉を開けてから、ノックし忘れたことに気付いたが、別に問題はなかったようだ。
 パイロットスーツのファスナーを一気に下ろし、チータ・グラスランドは深く息を吐いた。

「……フェルディオ、か?」

 更衣室の突き当たり、何の変哲もない壁に、この世の影を凝縮したような何かがいる。赤みの入った茶色い髪。年齢にしては小さな体。チータからは確認出来ない口が、この呪文のような言葉を作り出しているのだろう。

「フェルディオ。フェルディオ。……聞こえていないのか?」

 パイロットスーツを腰元まで下ろし、チータはフェルディオの肩を軽く叩いた。途端、壁から頭を離しフェルディオが立ち上がる。どれだけの間同じ体勢でいたのか、額の真ん中が仄かに赤くなっていた。

「ももも申し訳ありません、気付いていませんでした!!」
「それは構わないのだが。体調不良なら、医務室へ」
「違います、大丈夫です、シミュレートの結果が思わしくなくて、お気遣い感謝致します!」

 紫の大きな瞳が、敵を追うセンサーのように動き回る。同分隊に配属された新人パイロットは、随分と他人に気を遣う性分のようだ。
 よく「空気を読め」「天然も大概にしろ」と叱られるチータは、この少年を見習わなければと改めて思った。

「フアナもすぐに出て来るだろう。君は確か午後から外出だったか……詳しいデータ解析は明日行うつもりだが、構わないか?」
「もちろんでっしゅ! ぐあっ!! チータさん、俺みたいなペーペーの新米に確認取って頂かなくても、遠慮なく「俺について来い」的なノリで、もっと引っ張っちゃって下さい! 俺付いて行きます!」
「すまない、早くて発言の七割が理解出来なかった。後でゆっくり聞かせて欲しい」
「止めて下さい恥ずかしいです!」

 何が恥ずかしいのか分からないままだが、そこも含め昼食の時に確認すればいい。新入隊員とのコミュニケーションが希薄にならないよう努めなければ。決して社交的でない自分は、より一層意識するべきだ。
 落ち込むフェルディオに着替えを促し、ほぼ同時に退室した。一歩後ろを必死に付いて来るフェルディオに、思わず笑みが零れる。
 シミュレーション訓練は苦手だ。どれだけ現実に近い映像が流れようと、状況に合わせシートが振動しようと、撃ち落とすのはただの「仮定敵機」。
 確かにトリガーを引き眼前で炎が上がると言うのに。終了する度、何とも言えない虚無感に襲われた。

「……腹が減ったな」

 呟きに、フェルディオの表情が大きく歪む。
 ああ、腹の中の鬱屈とした物が、伝わってしまったのか。新人隊員に個人的な負の感情を露呈してしまうとは。チータは人知れず、自身の未熟さを悔いた。


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