第五話「隣人の釣り針‐1」



「止めろ。似合わねぇ」

 見事に一刀両断され、アルベルトは言葉の出口を見失った。
 新人時代、嫌と言う程苦渋を舐めさせられた相手だと、半端な揺さぶりなど挑発にすらならない。矢尻のように鋭い瞳が、僅かな驕りを霧散させて行く。

「そう言うのはダンテにやらせとけ。お前は正直に吐けばいい」

 壁に背を預けた後、フェルディオが駆け抜けて行った廊下を、ヨニは物悲しげに見詰めた。何か言葉を発さなければ。急いた気持ちすら、憂いと威厳を湛えた視線に貫かれる。

「誰の差し金だ?」
「……俺個人の判断です」
「そうか。信じるか信じねぇかは別として、とりあえずはそう言う前提で話するぞ。複座機での飛行訓練を提案したのは、総令じゃなくダンテだな?」
「いえ。あれは一個人で決定出来る内容ではありません。ヴォルキニー総令からの指示です」

 偽りだ。ヨニはそれくらい見抜くだろう。それでもIAFLYSに属する限り、相手が信頼に足る上官であっても、公式情報以外を漏洩する訳にはいかなかった。
 フェルディオとヨニの会話を、声も掛けず立ち聞きしていたのは事実だ。命令されたのではない。自分の意志で、こんな姑息な真似をした。
 案の定ヨニはとっくに勘付いていて、フェルディオが退室すると同時名を呼ばれた。「誰の差し金だ」最初の問いに、誰だと思います・と返せば、似合わないと一蹴される始末。

「お前の判断はよーく理解した。なら、これは個人的な質問だ。実際同じ機体に搭乗してみて、フェルディオに変化はあったか?」

 与えられた虚偽すら判断材料の一部として、その上で核心を突いて来る。何処まで見抜かれているのか、推測する気も起きなかった。
 自分がジャンであれば、ダンテであったなら。もっと上手く会話を誘導出来ただろうか。

「望んでいたような物は、全く。模擬戦も行いましたが、……恐らく、隊長が今までご覧になって来た物と、似たような反応かと」
「ギャーギャー騒いで舌噛んで失言して謝罪の言葉すらまた噛んでたか」
「はい」

 苦悶に満ちた表情を浮かべ、ヨニは閉口した。原因は苛立ちか、失望か。

「異常な記憶力の向上も見受けられませんでした」

 当たり前と言えば、当たり前の話だ。フェルディオが異変を見せたのは、生きるか死ぬかの選択を迫られた、本物の「空戦」の最中。幾ら不測の事態だったとは言え、あの模擬戦が代替になるとは到底思えない。
 機械であっても記録し切れるか分からない程の情報を、フェルディオは抱えていた。そしてその異常性に毛程も気付かず、素知らぬ顔で報告書を書き上げた。当然のように、自分は一般だと主張しながら。

「実際の戦闘にならない限り結論は保留か」
「こちらからも一つ宜しいですか、ヨニ隊長」

 許可も制止もない。アルベルトは背筋を伸ばしたまま、淀みなく言葉を発した。

「一般空軍時代、フェルディオ・シスターナに異変は見受けられませんでしたか」
「調書読んでねぇのか?」
「……事務的な内容ではなく。人としての異変です」

 終始厳しく細められたままだったヨニの瞳が、僅かながら見開かれる。アルベルトも、自身の発言内容がいかに冷淡か自覚していた。それでも問わずにはいられない。フェルディオが、フェルディオの言う通り本当の「一般」だったのか。
 ヨニは項に手を当て、天を仰いだ。その一挙手一投足に緊張を覚える。

「変わった奴だとは思ってた」
「……それは、どう言う、」
「あの年代は特別に憧れるもんだろ。人とは違う、自分“だけ”を欲しがる。だがあいつは最初っから普通にこだわってた。むしろ特別を恐れてたって言った方がいいかもな」

 特別、普通。聞き飽きた単語が、今までと異なる感触で染み込んで来る。
 何処にでもいるような、平均の周辺をうろつく、ただの少年。フェルディオと接した人間が抱く印象はそんな物だろう。アルベルトも、航空学校で鉢合わせた時、賑やかだが平凡な学生だと思った。
 極々自然だったはずの思考が、今となっては真っ向から覆された。
 ヨニも考えが整理し切れていないのか、口元に指を這わせながら、いつも以上に眉を顰めている。

「怖がるには、経験が必要なはずだが……」

 零れた憶測が寒気を招く。経験。想像だけでは補えない、その肌で感じた痛苦が、人間により深い恐怖と警戒を与えると言うのなら。
 ――フェルディオの中にある怯えは一体何処から訪れたのか。

「普通を恐れる経験、フェルディオにあると?」
「そこまで部下のプライベートは把握してねぇよ。だが、疑う価値はあるだろ。万が一特異細胞が関連してるなら尚更だ。派手には動けねぇがこっちでも探りくらい入れてやる」

 そっちは事情があるみてぇだしな?
 思わぬ指摘に息が詰まる。非常に不本意だが、今だけは、ダンテの常に笑んでいるような顔が羨ましく思えた。こんな表情では動揺しているとすぐに見抜かれてしまうだろう。
 遠慮がちに見上げれば、ヨニは呆れたようにガキかと吐き捨てた。いっそ無知な未熟者だと開き直って、自分より優秀な人間に縋り付くことが出来れば、どれだけ楽だろう。

「隊長」
「あ?」
「ドラマとか映画だと、独自に探り入れる奴って結構すぐ死にますよ」
「……お前みたいなタイプも、そこそこ早死にしてると思うけどな」

 不穏な単語にも、アルベルトの心は揺らがなかった。ただ、「ああ、そうだろうな」と納得するだけ。それよりも、今は外部の人間であるヨニの動向が気がかりだった。
 彼に動いて貰えればアルベルトも情報を得やすくなる。それも、自身の手を汚さずして。
 ――だが、あの男にとってはどうなる。万が一ヨニの接触が有害だと認識されれば。最悪の事態を想定しただけで、無意識に表情が強張る。

「辛気臭い顔してんな。隊長なら、利用出来る物は全部利用しろ」

 懐かしい台詞だった。今正に思い浮かべていた上級司令官からも、同じように忠告された。お前が抱えているのは必要ないプライドだと。手段が一つでも残っているのなら、犠牲を恐れず進むべきだと。
 優先順位を見誤るな。何度も繰り返し言い聞かせて来た言葉が、今になって、こんなにも重く響くとは。

「動くなら御自由にどうぞ。俺は関知しません」
「そうだよそれでいいんだよ」

 見限ると、宣言したような物だ。それでもヨニは肯定する。当然のことだと笑って見せる。
 例え望まぬ選定だとしても、選ぶしか道はない。
 灰をかぶったような赤髪を真っ直ぐ見据えれば、同じ色の目が弓のようにしなる。見切り、切り捨て、最後まで必要な物だけを常に把握しておかなければ。この瞳と対等になれる日は来ない。
 躊躇なく、引き金を引く為に。例え銃口の先にいるのが、同じ苦難に打ち勝った者だったとしても。


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