いにしえと貴方‐4


「仮にだ。お前がとんでもなく優秀で、熱心で、幸運だったとする。数多の蔵書から歴史を紐解き、誰も知り得なかった先人達の遺志に気付き、隠された真実に辿り着く。そこにーー例えば、そうだな、今の王族達が本物でなかった、と記されていたら?」

 叫びが喉の中で弾けた。行き場を失った衝動が肩を震わせる。両手で口を押さえれば、薄皮の剥けた指が唇を引っ掻いた。

「な、何を、ヴィレン所長」
「例えだって。正しき血脈は先の大戦で失われ、混乱を避ける為代役を立てた。それが今の王族。充分あり得る、さっきのラスト史記にだってあった展開だ」
「そうではなくて! そんなこと騎士団の誰かに聞かれたら……!」
「不敬罪か? でもいいだろ? 神より授かった尊き欲だ。その果てに辿り着いた結論なら、何の悔いもなく公言出来るよな?」

 止めて。口から耳に移動しそうな腕を、意地だけで縫い止めた。聞きたくない。でも、ヴィレンの発言に間違いはない。知ることが喜びなのだ、自分にとっては。価値のない物などない、如何なる知識もいつから糧となる。そう信じたかった。
 羞恥が頬を染めた。知識欲だの何だのと喚いておきながら、今得ることを恐れた。

「……だから一々反応すんなっつーの」

 ただでさえ寝不足で、考え過ぎで、その上頭を小突かれ目眩がした。手で覆う箇所を口から旋毛に変えると、ヴィレンは意地の悪そうな笑顔を見せる。
 唖然としたまま見上げれば、視線はまた積み重なった本へ降りていた。

「後二年もすりゃ、黒の落日から十年だ。条約締結の節目にもなる。動くとしたらそこからだな」
「動、く……」
「こっちの王族共も、向こうの王連院も、十年あれば手札が揃う」

 また、相反する感情が湧き上がる。揃う手札。知りたい、でもその先が怖い。これこそが害悪の有無か。それは、単なる好き嫌いや己の臆病さとどう違うのだろう。
 クジェスは、センシハルトに比べこう言った研究には消極的だ。その分、黒獣対策に資金を回している。黒獣の発生数は向こうの方が多いのだから、当然の判断なのかもしれない。だが、歴史の解明に心血を注ぐ者としては、蔑ろにされているようで釈然としなかった。

「お前も、研究に関わって行くつもりなら、自分の欲を管理出来るようになっとけって話だ。先輩からの、やさしー助言だろ?」

 神は何故与えたのだろう。
 人へ清らかさを課しながら、何故欲がなければ生きられない性を宿したのだろう。多くの人々は憤りを飲み込めず、あの黒の落日で、神を捨てたのだ。御伽話のように語られた惨劇が、一気に目の前へと迫って来る。
 惨劇の頃、ヴィレンはもう少年だったのだろうか。なら、賢人と呼ばれる彼の目に、あの黒は。白銀は。流れた血の赤はどう映った。

「は、い」
「いー子だ」

 この人に、余分な知識は必要ない。それでも自分なんかよりよっぽど多くを知っている。知ったからこそ、いらないのか。いらないと思っていたから、知れたのか。
 混濁し始めた意識を断ち切るように、甲高い音が鼓膜を襲う。鉄と鉄のぶつかり合う音に、思わず肩を竦めた。短い悲鳴を上げた後、恐る恐る音源に視線を巡らせれば、背後の扉を見る羽目になった。
 見なければ良かった。青の瞳に射抜かれて、心底後悔する。鉄の肩当てに鉄の手甲を打ち付け、沈黙を武器とするこの人は。

「ヴァルハ団長ーー!!」

 荘厳な貯蔵室に一切の違和感なく溶け込むのは、センシハルトに於いて武力の頂点と評される存在。最早神々しさすら感じる風格が、青に埋まった立ち姿から伝わって来る。
 帝国騎士団団長、ヴァルハ・ナインハーツ。獣の熱と非情さを湛えた隻眼が、じっとこちらを睨み付けていた。

「特待生か。勉学の邪魔をして済まない、すぐに引き上げる」
「わっ、わたっ、わたくしのことでございますか!?」
「声すげぇブス」

 ヴィレンの嫌味に構う余裕もなく、とにかく頭を下げに下げた。前には武力の長。背後には知力の長。真っ直ぐ立っていられる程、図太くないし能天気でもない。

「ヴィレン。未来ある若人に何を吹き込んでいるかは知れんが、貴様の存在は害悪にしかならん。退室しろ」
「うーわ面倒臭ぇの来た。何処で休憩しようが俺の勝手だろーが」
「すぐに発掘調査会議が始まる。連絡がなかったとは言わせん。最奥の、鐘の音もロクに届かん貯蔵室にいれば、貴様にまた遅刻の言い訳を与えることになる。戻れ、命令だ」

 ヴァルハ様になんて口の利き方を。貴方、やっぱり勉学の為でなくサボる為にここへ通ってたんですか。問い詰めたいのに、雲の上の存在が二人も目の前に降り立ったせいで、上手く舌が回らない。
 数秒睨み合った後、ヴィレンの方が先に動いた。椅子に掛けていた上着を羽織ると、そのまま扉に向かって気だるそうに歩き出す。

「あ、あの、所長、発掘調査とは……」
「明日から入るんだよ。いっつもいらねーっつってんのに、騎士団から護衛付けろって陛下様がうるさくてなぁ」
「貴様のような下賎の者をも、陛下は慮っていらっしゃるのだ。光栄に思え」
「陛下陛下うるせぇな、それしか言えねぇのかお前」

 大きな背中が、少しずつ遠ざかる。
 そんな、調査に入るなんて聞いてない。騎士団が護衛に付く程の規模なら、一度城を発てば十日は帰って来ないはずだ。真意が見えずとも、ヴィレンは一介の学生に協力してくれた。ちゃんと礼を言いたかったのに。


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