- ナノ -



ことばにする
2017/03/05 23:38

まだ実家で、家族といっしょに暮らしていたとき。
母はよく、ものも言わずもくもくと料理を食べる父に、
「おいしい?」と聞いていました。
そう言われて、父はやっと、「うん、おいしい!」って言うんですが、
そんな父に、母は、「おいしいならおいしいっていってよー」と、
冗談めかしたように、それでいて、ほっとしたような、ちょっとさみしいようなふうに、
よくそう言っていました。
母の作る手料理は、いつもおいしかった。
だから、おいしいっていうのは、もう、あらためてことばにすることでさえ、ないような気がしてしまって。
言わなくても伝わってるはず、とか、何度もおいしいって言うのが、なんとなく照れくさい、とか、そういう気持ちもあって。
だから「おいしい」って、つい、言い逃してしまう。「おいしい料理、ありがとう」って、ちゃんとことばにして伝えることを、しないでいてしまう。
そういうところは私にもあるなあ、と思い、私はなるべく、「おいしい!」「これ、すごく好き!」と、ことばにするようにしていました。
でも、それだけじゃ足りなかった。
もっともっと、感じたこと、思ったこと、ありがとうを、食べるたびに伝えればよかったと、いまでは思います。
恥ずかしながら、実家にいるころには、私はほとんど台所に立つことがなく、自分では料理をしなかったのですが、
自立してひとりぐらしを始め、料理をするようになってから、しみじみと思うようになったんです。
いまは作った料理を、自分が食べるだけ。でももし、毎日、自分以外の誰かにも、この料理を食べてもらうのだとしたら。
「おいしい」ということばは、毎日、食事を作るたび、やっぱり聞きたい、と思う。ほんとうにそう思ってくれているのなら、ことばとして、聞きたい、と思う。
なるべくなら、どんなところがよかったのか、いいな、と思ってくれたのか、までふくめて。たとえ、そのひとがいつも「おいしい」って思ってくれているのが、わかっていたとしても。
……自分が料理をきちんとするようになってから、やっと、実感としてわかるようになったんです。
母が、「おいしいならおいしいっていってよー」って、いつも言っていた気持ち。


好きだと思っていること。
ありがたいと思っていること。
その気持ち。


それは、自分が思う以上に相手には伝わっていない。
そんなことが、きっとたくさんある。
だから私は、好きだなと思えるならば、好きだとことばにし続けたい。何度でも。
ありがたいなと思えるならば、感謝のことばを伝え続けたい。何度でも。


好きなもの、好きなこと、好きなひと。
ありがたいな、って思う、そのこころ。

それをことばにしてすなおに伝えることは、とてもすてきなことです。
いつでも。どんなときも。きっと。







prev | next
コメント
前はありません | 次はありません
名前:

コメント:

編集・削除用パス:

管理人だけに表示する


表示された数字: