- ナノ -



文体であそぼ!
2017/03/04 11:06

おはようございます。
雨もすっかりあがり、さわやかな晴れ間の広がるいちにちがはじまりました。
家のなかよりも外のほうがうんとあたたかな感じがします。
どことなく気分もうきうきしてきますよね。
せっかくのお天気なので、このあと、すこしお出かけしてこようかな、と思います。

本日はちょっとしたお遊びを。
最近はわりと「ですます調」で文章を書くことが多いのですが、実は私、言い切りの「だである調」で、漢字の多い、かための文章を書くほうがより書きやすかったりします。
同じ内容でも、文体を変えるだけでかなり印象や質感が変わってくるのが、難しいところでもあり、とてもおもしろいところでもあります。
そこで今回は、先日、「ていねい語」でやわらかめに書いた「きろく」の文章を、
「だである調」でかための文章に自己リメイクして書いてみようと思います。
3月2日に更新しました、『3月です』からの、一部抜粋です。
では、いきます。



仕事をし始めれば忙しくて時間など無くなる、と、周囲の大人が言うのを、何ともいえず重苦しい気持ちで聞いていた幼少時代だ。
それはまるで、よくよく気をつけるがいい、ここからは一寸先も見えない闇が広がっている、そこへ一度踏み込めばもう二度と光の射す方には戻ることはできないのだ、という手厳しい宣告を受けているかのようなものであった。
未来には不安しかない。幼き日の自分がそう感じたのも至極当然のことである。
そして、現在。私は働いている。働いていて、確かに、まだ幼かった頃よりずっと、慌しく忙しない毎日を送っている。
が、どうしたことだろう。「時間が無くなった」わけでは決してなかったのだ。
思うに、何とか日々を乗り越えていくうち、時間には量だけではなく、使い方というものがあるということが、何かしら体感としてわかってきたらしい。
同じだけの時間があったとしても、その用い方次第で、できること、やれることの多さはかなり変わってくるのである。
私も相当不器用な人間だし、もっともらしく大威張りして言えるような立場でないことは重々承知の上だが、
それでも、過去の自分に対しては、大いに誇りを持って言うことができるだろう――
今の私は、おまえよりかは随分上手に時間を使える。だから、時間が無くなるということについて、まあそんなに、絶望するんじゃない――と。
実際、持っている時間――自分の自由になる時間と言ってもいいだろう――は、幼い頃より少なくなったのに違いないが、
その反面、本を年間100冊読みきったり、様々なところへ旅に出たり、まさに今こうしているように、自分のホームページを持って書き物をしたり、と、多くのことを実現するに至っている。
それはもしかすると、時間に制約があるからこそ、今を逃せばもう機会はないのだ、と、より積極的に行動しようとする意思を働かせることができるようになったからかもしれない。
あるいは、仕事をすることで、時間を上手に使っていく力を少しずつでも磨いていくことができているからかもしれない。
まさに、仕事をすることこそが、自分を育ててくれている。そういう面は、必ずある。
そのことを忘れずに、今の自分に何ができるのかを考えつつ、少しでも行動に移していくことができればと思うのだ。




……いかがでしょうか。
「文体でこんなに印象が変わってくるんだ!」というのが、うまく伝わるといいのですが……楽しんでいただけたなら、さいわいです。
よろしければもとの文章もご覧ください。管理人が泣いてよろこびます。

ちなみに、私自身は書いてみてとても楽しかったです。
もっと物書きと表現の腕を上げたいぜ! やっふう!! と、いう前向きな気持ちになりました(?)。

それでは今回は、このあたりで。
みなさん、よいいちにちをおすごしください。


管理人 ひらい しん



prev | next
コメント
前はありません | 次はありません
名前:

コメント:

編集・削除用パス:

管理人だけに表示する


表示された数字: