- ナノ -



ありがとうのことばを
2017/02/25 15:38

ふしぎなこととはあるものです。

離れたところにいても、こんなに近くに感じられる誰かがいるということ。

たくさんのことばを交わさなくても、信じられる誰かがいるということ。


むかし私は、いまよりももっと臆病でさみしがりでしたから、
ずっと誰かの姿を追い求めていたように思います。
そのくせ不器用で、ひとへの近づきかたがわからない。
だからさみしいのに、悲しいのに、ひとりでいた。
ほんとは大丈夫じゃないのに、自分で自分にも「大丈夫」って思わせていたから、
みんなといたい、って気持ちにも気がつかないようにしていた。
たしかにひとりですごす時間も、たいせつな時間。たのしい時間。
そして私にとって、いまでも、なくてはならない時間です。
でもやっぱりきっと、それだけでは、生きていけない。
さみしいから、悲しいから、だから、ことばを尽くしていたんだろうって思います。
誰かに振り向いてほしい、と。
自分でもそんな自分に、またもや気がつかないふりをして。
……それはむしろ、ことばというよりは、「悲鳴」、だったのかもしれません。

ときを経て、いろいろなひととすごし、いろいろな話をしていくなかで……
そうか私は、いつでもひとりなんかじゃなかったんだなあ、
たくさんのあたたかなひとたちに支えられて、だからこそ、
奇跡のように、いまこの場所にいることができているんだなあ、
と、すこしずつわかるようになってきました。
むやみやたらとことばを振りまわさなくても、
そばにいてくれるひとも、こころにかけてくれるひとも、
いっしょになにかしよう、と声をかけてくれるひとも、
ありがたいことに、ほんとうにありがたいことに、まわりにいてくれた。
それに気がつかないように耳をふさぎ続けていたのは、自分自身だったのでしょう。
自分を「ひとり」にしていたのも、誰でもない、自分自身だったのでしょう。

ひとりでは生きていけないこと……
たくさんのすてきなひとたちが支えてくれるからこそ、ここに生きていけるんだ、ということ。
それを、家族、学生時代からの友だち、先生がた、
旅先で会ったひとたち、インターネットの友人たち、
職場の方がた……まだまだたくさんのひとたち……
みなさんが教えてくださりました。
そう思ったときに、私がことばにして伝えたいことは、まず、ありがとうというこころだと気づきました。
それから……、「悲鳴」なんかじゃなく、ほんとうに自分が伝えたい、ことばにしたい、表現してみたいと思えること、それを、
そのまま、ただまっすぐことばにすればいいんだな、そうすればよかったんだ、と、
やっと、やっと、わかるようになりました。

ひとりでいたとしても、けっして、ひとりじゃない。
想うひとたちも、信じられるひとたちも、支えてくれているひとたちも、いる。
きっと、目には見えない、でもたしかなひととひととのつながりを感じられるからこそ、
ひとりの時間は、よりこころ楽しく、たいせつなものとなっていくのでしょう。


そして……

誰よりも深く、たしかに、こころから信じるということを教えてくれたひとへ。

私はこれからも、何度だってあなたに伝えてゆくことでしょう。


ありがとうのことばを。








prev | next
コメント
前はありません | 次はありません
名前:

コメント:

編集・削除用パス:

管理人だけに表示する


表示された数字: