- ナノ -



書くこと、伝えること
2017/02/22 01:32

こんばんは。しんです。
3夜も続けてしまった味噌汁ばなしですが、たくさんのかたからツイッターでのリプライやいいね、リツイートなどをいただき、こころがほっこりあたたまりました。
みなさん、ほんとうにありがとうございます。この場をかりて篤く感謝申しあげます。
いやあもう、あれ、あれなんですよ、書いたものへのなにかしらのリアクションをいただくと、うれしさのあまり部屋をかけまわりはねまわってベッドにたおれこんでじたばたして、
それでも足りずに飛び起きて外にかけだしウワアアアアと叫びたくなるくらいにはよろこんでいます。
……えっ、ほんとですよ? それくらいしあわせなことなんです。
まず読んでいただけるところからありがたい。そのうえ、お言葉やご反応までいただけるとなると……うれしすぎて、「書いてよかった! もっと書きたい! がんばりたい!」というすなおな意欲が、もりもり湧いてきます。
みなさんに支えられているから書き続けられるというところは必ずあって。
それを常に忘れずに書いていこうと思います。

なにかを書くことというのは、私にとって、それ自体が楽しい、こころのなかにあるこの感情や考えをなんとか形にしたい、というところからするものでもあるのですが、
もうひとつ、誰かに伝えるためにするもの、というところも必ずあります。書き物の両輪です。
知っているひと、知らないひと、広い意味では、未来の自分まで含めて。誰かになにかを伝えること。
いまここにいる自分だけが知っておけばいいだけならば、けっして意味がないとはいいませんが、やはり、まとまった文を書くことの意味は半減するような感じがします。
書かずにこころのなかで反芻するのと大差がないからです。
ただこの、「伝える」ということは、ほんとうに難儀なことでもあって、
私は、誰かに自分の思いや感じていることが伝わるのは、ほとんど奇跡のようなものだと考えています。
伝わることは、けっしてあたりまえのことではない。むしろ、「伝わらない」ことこそ普通のことなのではないかと思うんです。
なにかひとつの提示があったにせよ、それに対する感じかたも考えかたも、ものの見かた、捉えかたも、ひとそれぞれにことなるのが普通で、それがきわめて自然なことだと思うからです。
でもだからこそ、「どうせ伝わらないからどうでもいい」というのではなくて、
「この伝わらないという普通をなんとか打ち破って、少しでも伝えるためにはどうしたらいいのか」ということを、ずっと考えています。
そんなときに、みなさんのご反応やお声をいただけると、
ああこれは伝わったのだな、とか、伝わりきらなかったのだな、とか、
こんなふうにすればもっと伝わっていくのかもな、ということを、自分の外の目線を通して、感じたり考えたりすることができます。
お褒めのことばも、鋭いご指摘も、共感してくださるお声も、さまざまなご意見も、叱咤の厳しいご感想も、……だからこそ、すべてがありがたいものなのです。
そしてそのときどきのちからを尽くして「伝わった」、とそう実感できるとき……、それはこのうえなくうれしく、やはりとてもありがたいことだと感じるんです。

文章にし、それを他のひとにであれ、自分であれ、誰かに向けて発信するということは、
こう言うと重いようですが……それでもあえて言ってみると、
どこかしらに必ず、多かれ少なかれ、「伝える」という責任が生じてくるものではないかと思っています。
真剣な内容のものを書くときにも、軽やかな内容のものを書くときにも、こころのどこかではそれを忘れずにいて、
書くこと、伝えることに、いつでも真摯な姿勢であれるといいなと思います。


……いろいろありますが。
とりあえずなにが言いたいかといいますと。

みなさんいつもありがとうございます! 大好きですッ!!

ということです。はい、ほんとうにそれに尽きます。
これからも末永くおつきあいいただけたらと思います。
どうぞよろしくお願いいたしますね。

それでは今日はこのあたりで。
おやすみなさいませ。


管理人  ひらい しん





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