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こころの辞書
2016/06/11 09:30

生きるというのは、「こころの辞書」を作り上げていくことなんじゃないかなあ、と、学生時代から思っています。

「喜び」の意味も、「悲しみ」の意味も、辞書を引けばすぐにわかる。
あるいは、辞書をわざわざ引かなくたって、わかるかもしれない。そんなことばも、多いかもしれない。

けれど、
いくら「喜び」が『よろこぶこと。うれしく思うこと、また、その気持』を意味するとわかっても、
いくら「悲しみ」が『かなしむこと。悲哀。愁嘆』を意味するとわかっても、
そんなことは、表面上の、文字のうえでの、意味がわかったにすぎません。
ほんとうにそのことばの意味を知る、ということは、
自分のこころで知る、ということなのではないでしょうか。

たとえば、大切なひとたちと時間を共有し、話したり、笑ったり、何事かを成し遂げたり、……そうして、これが「喜び」なのだ、と知る。
たとえば、そんな素敵な時間をともにすごしたひとたちとの、もう会えないかもしれないくらいの別れがあり、……そうして、これが「悲しみ」なのだ、と知る。

自分が生きていくなかで、感じ、味わい、経験し……そうして知ることこそが、そのことばの意味をほんとうに知る、ということなのではないでしょうか。
ひとによって、「喜び」や「悲しみ」はすこしずつ変わってくる。
けれどもきっと、それでいいのです。
自分にとって、「喜び」を教えてくれるものは何か。自分にとって、「悲しみ」を教えてくれるものは何か。それが大事なんです。
そうやって、自分のこころでことばを知っていくたびに、こころのなかにある辞書へことばが刻まれてゆく。
もちろん、普通の辞書にあるようなことばの意味を知ることも大事です。
けれども、文字のうえでのことばは、どうしても「無味乾燥」です。自分のこころで知ることで、そんなことばが、血の通ったことばに書き換わってゆくんです。
こうして、ことばを自分のこころのなかにある辞書に集めていくことこそが、生きる、ということなのではないでしょうか。

辞書には、いろいろなことばが載っています。
けっして明るいことばだけじゃない。悲しいことばも、苦しいことばも、載っている。
そう、載っていて、いいのです。載っていることが普通なのです。だってそれは、辞書なのですから。
暗い影を持つことばが載っていない辞書などありません。
もしも、生きるということがこころの辞書を作っていくということなら、
喜ばしいことだけではなく、悲しいことにも、苦しいことにも、つらいことにも、……生きていくうえで、すべてに意味があると言えるはずです。
それらは、自分のこころのなかの辞書をより豊かなものにしてくれる。
そして、豊かなこころの辞書を持つひとは、きっとまいにちをこころ豊かに生きることができるはずです。
だから、絶望はしてもいいですが、こころのどこかでは信じていてください。
この悲しみや苦しみさえも、いつか、自分を支えてくれる日がくるのだ、と。
……きっと。








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