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父の言葉
2016/05/28 14:55

私は未だに、車の運転が苦手で、あまり好きになれません。
それでも日常生活や、仕事上差し支えのないくらいに、いちおうなんとか運転できるのは、やっぱり父の存在が大きかったなあ、なんて思うんです。
私の自宅と実家は、ものすごく遠いところにあるわけではないのですが、それなりに距離があります。
それでも父は、私の住んでいるところまで自分の車を飛ばして駆けつけてくれて、
駐車の練習から路上運転の練習まで、よくつきあってくれたものです。
いまでも、車のことで何かわからなかったり、不安なことがあったりすると、
まず父に相談することが多いです。


今年の1月から2月ごろにかけて、いま以上に、心がしんどい状況が続いていました。
自分で車を運転することなどとてもできる状態にはなく、
家族と会いにすこし街のほうまで出るための運転を、代わりに父にしてもらいながら、
私は助手席で、ぽつりぽつりと苦しみをはきだしていました。
ひととおり話を聞いて、父は言いました。

「おまえは今、なんていうか、視野が狭くなってるんだよ。
苦しいとつい視野が狭まって近くのものしか見えなくなるけど、そうじゃなくて、もっと先のほうまで見るようにしたらいい。
遠くを見て、視野を広く持つ。そしたらまた、何か変わってくる。そのほうが安定するし。
……車の運転と同じ。」

怖がりでもある私は、運転免許を取るための教習時代、自動車学校の教官に、「視野が狭い」とよく叱られていました。
車を動かすのがとにかく怖くて、必死にハンドルにしがみついていた結果、視線も目の前だけに集中してしまい、ほとんど何にも見えていない状況に陥ることがままあったのです。
ひとりで運転できるようになったいまなら、わかります、
それがどれほど危険で、余裕がなくて、苦しい自分をさらに追い込むことになるのかが。
父の言葉は、すっ、と、私の心に染みました。
そうか、私はいま、視野が狭くなっているのか。それならもっと、前を、遠くを、見なければいけない。
こんなときだからこそ、顔をしっかり上げなければならない、と。
あの日から、ふいに父の言葉を思い出してはそう思う日々を送り、今日に至ります。


冬がすぎ、春が来て、夏のかけらも見え始める時期になりました。
いま、私は、ほんのすこしですが、自分の進みたい方向を見つけ出しつつあります。
しかしそれを実現できるのかは、まだよくわかりません。
そうすることが自分にとってほんとうによいことなのかも、まだよく考えていかなければなりません。
しかしあくまでも、視線は前に向けて、視野を広く持っていられたらな、と思うのです。
父が教えてくれたように。










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