海を渡る
2016/05/25 21:46
私なんかは、本来、とてもオクビョウモノですから、
つい、波風立たずに穏やかにいちにが終えられるのなら、それでいい、なんて思ってしまうことがあります。
休日にしても、本を読んで物を書いて、散歩に行って、ひとりでまったりのんびりすごせたのなら、それでいい、と。
そういう、ちいさいけれどふんわりしたやさしい幸せを積み重ねて、
静かに時を経ていくのも、わるくない、と。
あこがれとか、夢とか、希望を、そのまま大切に胸にしまっておいて、
「もう少し若かったら、あれもしたかったなあ」って、
歳をとったときに、ほがらかに笑いながら、どこか懐かしげにそう語る一生も、わるくない、と。
もしも、一隻の船だったら。
海を渡ること。それには、危険が伴います。
嵐が来て、激しい雨に打たれ、暴風と高波に飲まれて沈んでしまうかもしれない。
霧の、一寸先も見えない白い闇のなかで、
自分よりも大きな、大きな船に衝突して、そのままこなごなになってしまうかもしれない。
浅瀬に迷い込んでしまって船底をやられるかもしれないし、
遭難して、いつ陸にたどり着けるかもわからないまま、雨の日も晴れの日も海をさまようことになるかもしれない。
しかし、ひとつだけ、ありとあらゆる危険を避ける方法があるのです。
それは、港からけっして離れず、出航しないこと。
簡単です。絶対に、海に出なければいいのです。
きちんと横付けされていれば、たとえ嵐にもまれても、広い海のただ中で嵐に見舞われるよりずいぶんましです。
別の船に衝突するなんてこともないし、危険な場所に迷い込んだり、遭難したりすることもない。
安全です。ずっとずっと、港にいればいいのです。
……けれど。
けれど。
ずっと港にいる、ただそれだけの船は、いったいなんのためにそこにあるのでしょう?
どうして、船としてそこにあるのでしょう?
「船は港にいるときが最も安全であるが、」
ブラジルの作家、パウロ・コエーリョはこう言いました、
「それは船が作られた目的ではない」、と。
港に居続けるということもまた、選択肢のひとつです。
でも、私自身はそれでほんとうに、後悔しないのか……と。
海に出れば目にできたはずの美しい景色や、感じられたかもしれない自由の風、
出会えたかもしれない、まだ見ぬすばらしいもの、船、ひと……
それらをすべて夢のなかにとどめておくだけで、後悔しないのか……と。
大好きなこの街の、大好きな空や海を眺めながら、
私は考えています。
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