- ナノ -



海が海であるように
2016/05/15 06:16

小さなころ、私はいつも不思議に思っていました。



「たいせつなものは、いつまでも、変わらない」

「変わらないものなんてない。どんなものも、変わる」




どっちもおとなが言うのです。
どっちも物語が綴るのです。


ほんとうなのはどっちだろう、と。
ずっと変わらないものはあるのでしょうか?
それとも、すべてのものはいつか、変わってしまうのでしょうか?
たとえ「たいせつ」なものでも。
私の知らない、何かに。


でもあるとき、海を眺めていて、思ったんです。

海は見るたびに、違う顔を見せる。
昨日あんなにきらきらと輝いていた海が、
今日はもう、怒り狂う勢いで、波しぶきを上げていて。
まっさおな海が、別の日には急に白っぽくなったり。
昼のあいだおだやかに凪いでいた海が、夕日を浴びて切なげに色づいたり。
それはもう、前に見た海とは思えない、というほどに。
表情も、姿も、変わってゆく。

けれども、どんなに姿を変えても、
海は、海であることに変わりはないのです。
その、おおもとのところは、変わらない。
根っこのところは、変わらないんです。

ひとも、町も、この世界も、次々と表情を変えていくことでしょう。
うつろう時間のなかで、永久に姿を変えないものなど、
きっとなにひとつとしてない。
ときに、「たいせつなもの」でさえ、いとも簡単に変わってゆく。
明日の私は、もはやあなたの知らない私になっているかもしれない。
明日のあなたは、もはや私の知らない誰かになっているかもしれない。
変わりゆくことこそ、自然なこと。


……しかしそうであっても。
きっと、その何かが持つ「おおもとのところ」は、同じであり続けるのではないでしょうか。
深いところにある何かは、その根っこは、変わらずにあり続けるのではないでしょうか。
たとえすべてが変わってしまったとしても、
海が海であるように。


「変わること」と、「変わらないこと」は、矛盾しない。
ひとも、町も、世界も、変わらずに変わってゆく。
そして、変わりつつ、変わらないでいる。
あるいはそれは、残酷なことかもしれません。
しかしきっと、限りない希望でもある。
私はそう思います。









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