- ナノ -



”合唱曲を聴きながら”
2016/04/30 21:19

出会いがある限り、別れもあって。
別れがある限り、また新しい出会いもあって。

出会いと別れは、きっと、同じひとつの裏おもて……で。

それを思うたびに、この曲が、

  
    「僕らの出会いを 誰かが別れと呼んだ」
    「僕らの別れを 誰かが出会いと呼んだ」


……合唱曲「虹」のこの一節が、じんわりと身に染みます。


出会いとは別れで、別れとは出会いで。
誰かと道を別って、この出会いがあった。
しかし、出会ったからには、いつの日か必ず、また別れのときがくる。

ずっと一緒にいることはできない。
遠く離れてしまって会えなくなるだけじゃない。
心が通じなくなって、袂を別つこともある。
ひとはきっと、出会いと別れを繰り返しながら、生きていく。
でも、それならば、いまここにいて、
こころを通わせ、言葉を交わせるということは、どれだけ貴重で、すばらしいことだろうか……と、思います。



    「ときには私
    共演してもいいですか
    台詞はひとつで
    いいのです
    YESと」

    「この舞台で 役を演じず
    あなたを生きるあなたに
    YESと」




……その、大切な、大切な、ひとときに。
私は、あなたの「共演者」であることができるでしょうか。
「共演」できる時間は、別れがくるまでの間。
長いかもしれないし、短いかもしれない……けれども、必ず限りがある。
その間に、ひとことだけでいい、
「YES」と、そのことばが言えるなら。
合唱曲「共演者」のように。



そして。
たとえ別れが避けられないものであったとしても、
別れのためにすべてが「なかったことになる」わけではないのだ、と。
きっと、「共演」できた時間は、
お互いのなかに、残り続ける。
それは少し、切ない思いかもしれません。
けれども、たしかに、存在し続けるものなのだ、と。
その記憶が、明日の私たちを作っていってくれるのだ、と。



    「僕らの出会いを誰かが 別れと呼んでも
     徒に時は流れていった 君と僕に光を残して」




……「虹」の、ように。







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