- ナノ -



翼ある言葉
2016/04/29 17:30

……そして、

今はもう、誰が言っていた言葉かわからなくなってしまったけれど、
ふとした瞬間に、思い出す言葉もある。
今はもう、会うこともなくなってしまったけれど、
たしかにあのひとが言っていたなあ、と思い出せる言葉もある。


第二次世界大戦のさなかに生きた少女、アンネ・フランクは、その日記にこう書き残しています。


    「周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。
   わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。
   わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること! 
   その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。
   このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!」



アンネは続けます。


    「書いていさえすれば、なにもかも忘れることができます。悲しみは消え、新たな勇気が湧いてきます。
   とはいえ、そしてこれが大きな問題なんですが、はたしてこのわたしに、なにか立派なものが書けるでしょうか。
   いつの日か、ジャーナリストか作家になれるでしょうか。
    そうなりたい。ぜひそうなりたい。なぜなら、書くことによって、新たにすべてを把握しなおすことができるからです。
   わたしの想念、わたしの理想、わたしの夢、ことごとくを」



書くことが大好きだったアンネには、夢がありました。
「ジャーナリスト」や「作家」となり、ひとびとの心に残る、言葉を紡ぐこと。
残念ながら彼女は、第二次世界大戦が終結する前に、
アウシュビッツのユダヤ人強制収容所にて、チフスを患い、
その命に幕をおろすことになってしまいました。
アンネ、15歳のときでした。
「ジャーナリスト」や「作家」になる、という、彼女の夢は、かなわなかった。
けれども、彼女の想いや夢、そして言葉は、今もこうして生き続けています。
アンネの日記は今でも世界じゅうで読み継がれ、
多くのひとの心のなかで、たしかに、生き続けているのです。
死んでからもなお、生き続けること。
アンネのその願いは、かなったのです。

私に、私自身に、
アンネのような、誰かの心に残る言葉を生むちからがあるのかどうか、それはわかりません。
けれども、紡げるといいな、と思うのです。
いえ、紡ぎたい、と願います。
表現の方法はたくさんありますが、私もアンネと同じように、特に、「書く」ことで。
すべてじゃなくていい、たったひとことでいい。
誰かのなかで、生き続ける言葉を紡ぎたい。
私の名前、顔、存在、なにもかも忘れられていい。
けれども、たったひとこと、
あなたのなかで生き続ける言葉を、紡ぎたい。
心に届く、翼ある言葉を、紡ぎたい。
そう、願います。


私の心のなかで生き続けるたくさんの「言葉」があります。
それは、いろいろなひととの、いろいろな「思い出」とともに、
今の私を形作り、支えてくれているものです。
私に「思い出」をくれたひとたち。
私に「言葉」をくれたひとたち。
そんなみなさんへのありがとうを、ずっと心に満たしながら。

私は、私の「言葉」で、今日も文章を綴ってゆきます。




管理人  ひらい しん




  文中の「アンネの日記」の記述は、文藝春秋より刊行されている「アンネの日記 増補新訂版」深町眞理子訳  より、引用したものです。





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