- ナノ -



もうひとつの自由
2016/04/17 12:08

    風呂場に戻って、再び枕カバーと布巾を触ってみる。まだひどく熱かったが、前よりは白くなっている様子だった。
  冷めるまでは、もう少しかかりそうだ。奈加古は部屋に戻り、パソコンを立ち上げてスピーカーをつなぎ、メディアプレーヤーを立ち上げる。
  リクライニングする事務椅子の上であぐらをかいて、腕を組んで目を閉じる。
    音楽が鳴り始める。何の根拠もないけれども、自分は自由だと感じた。

      
     (津村記久子「ワーカーズ・ダイジェスト」集英社,2012,147-148頁より)


 旅をすると、私は「自由だ」と感じます。
 物書きしているときも。本を読んでいるときも。
 しかし、旅も、物書きも、本読みも、常にできるとはかぎりません。
 大好きなことだけれど、その大好きなことすら、やってみようと思えないようなときもある。
 心が疲れていて、くたくたになっていて、もうどうしようもないとき。動けない。体も疲れているのかもしれませんが、なにより気持ちが、まいってしまっている。
 そんなときには、できるだけ少しずつゆっくりと、部屋の掃除とか、片付けとか、「身のまわりのこと」をしていきます。
 いつもよりじっくりと、お皿を洗う。キッチンまわりをきれいに掃除する。出しっぱなしの文房具や小物を片付け、テーブルや棚のほこりと汚れを落とす。ごみを出す。まったりと買出しに行き、あえて時間をかけて料理をする……など。
 そうするとなんとなく、心のなかまで整理されていく感じがする。そしてそんな、ほんとにふとした瞬間に、「ああ、私はいま、自由だな」って感じたりするんです。
 旅に出てもいない。
 物を書いてもいない。
 本を読んでもいない。
 でも、家のなかをきれいにして、洗濯物を干し、自分で選んだ食材を自分で調理して、おいしく食べる……そうしていると、なんというか、うまく言えないのですけれども、とても「生きているなあ」という気持ちになるんです。
 生きている、自分で生きることを選んで、生きていく。
 ときに誰かのちからを借りながら、それでも、自分のちからで生きていく。
 それって、やっぱり、とっても自由なことで……
 身のまわりのことをひとつずつやっていくのは、きっと、そのことを再確認するきっかけをくれるから……だから、もしかしたら、「自由だな」って、思えるのかもしれません。

 煮洗いした枕カバーや布巾の具合を確かめ、仕上がるまでのちょっとした時間に、ゆったりと音楽に耳を傾ける。
 津村さんの「ワーカーズ・ダイジェスト」のなかで、主人公が感じた、「自由」。
 ああ、なんだか、わかる気がするなあ、なんて思って、今日も洗濯物を干すのでした。


管理人  ひらい しん
 
 

 
 




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